anemone


 主を怒らせてしまった。
「脱走もそうですが、ひとりで出かけるのはお控えくださいと仰ったでしょう?」
 野暮用で執務室からすこし離れたすきに主――ユーリが脱走をしたと、嘆く王佐に言われて慌てて捜索したが血盟城のどこをみても彼はおらず、まさかと思い愛馬ノーカンティで城下町へ降りると路地裏でこっそりと身を隠していていたのを発見した。
 慌てて駆け寄ると、ユーリはいくつか紙袋を抱えていた。飲み食いしたのだろう。日ごろあんなにも注意をしているのに。
 彼がだれもを信頼しているのはわかっている。けれど、それとこれとは話がべつだ。
 地球――日本で暮らしていたユーリには苦痛だろう。信頼しているからと疑いもなく護衛もつけずに出かけ、ものを口する行為のは。万が一のことが起きないように事前に対策をしておかなければならないこちらの気持ちもわかってほしい。
 コンラートは言ってから口調が無意識に強いものになっていたことに気づいてひやり、としたがもう遅い。口に出てしまったものはもう元にはもどらない。
「……ぃなっ!」
「え、」
「うるさいな! おれだってひとりになりたいときくらいあるんだよっ! だれとも一緒にいたくないときがあるの!」
 本気で苛立っている。こちらに向けられた目は、怒りに満ちていてコンラートは背筋が冷えるのを感じた。が、ここで引いては意味がない。同じことを繰り返さないためにも。
「わかっています。だれにだってひとりになりたいときはある。けれど、あなたは魔王だ。どうかお願いですからこのようなことをするのはやめてください。ひとりになりたいと言うのであれば、部屋を用意します」
「部屋を用意するって言っても、扉の前にはあんたや兵がついているんだろ。それじゃあひとり、じゃない」
「……一旦、血盟城へ戻りましょう。城でじっくりあなたの話を聞きますから」
 このままでは人の気配がない路地裏であってもふたりの抗論を聞きつけて好奇な野次馬が現れてしまうかもしれない。コンラートはユーリの手を掴む。
「いやだ!」
 が、それを振り払われた。こんなことは初めてで、コンラートは一瞬目を見張ったが、すぐに今度は手首を掴み強引に路地裏を抜け、馬に乗せる。今日は一頭できてよかったと改めて思った。ユーリの愛馬と二頭でくれば、そのままどこへなりとも駆けだして行くのではないかと言うほど彼は不機嫌だ。
 自分のまえにユーリを乗せてコンラートは有無をいわさず馬を走らせる。脱走して、ひとりで城下町に出向いたわけや怒っている理由聞きたいことはたくさんあるがコンラートは口を開くことはしなかった。
 いま聞いても、彼は教えてはくれないだろう。
 城下町から血盟城まではそう遠くない。けれど、いまはとても長く居心地が悪い。


 ーー城に到着すると、コンラートは近くにいた巡回兵に、声をかけ執務室にいるだろうグウェンダルに陛下を無事発見したことを報告するように命じた。本来ならユーリを連れ執務室に向かうべきだが、今日はあまりにも彼の様子がおかしい。目を合わせたくないのか、顔を伏せたままで口をかたく噤んでいる。
「ちゃんと理由をお教えくださいね」
 コンラートはユーリの自室へ向かう途中に声をかけてみたがやはり返事がなかった。
 ひとにはだれにも言えないことがあるのはわかっている。けれど、ユーリは自分に言ってくれたはずだ。だれよりも信頼している、と。いままでどんな些細な悩みでも尋ねれば教えてくれた。なのに、言ってくれないのは自分に対して思うことがあるということなのだろうか。
 しかしここ最近のことを振り返ってみてもとくに彼の気分を害するような態度も接し方もしていなかったはずだ。
 ――ああでも、最近眠りが浅いと言って顔色が優れていない。
 そうして、回想をしながらユーリの部屋のまえに着き扉をあけてなかに入るように促す。
 ユーリがソファーに腰かけたのを確認してコンラートはすぐに本題を尋ねた。
「……城下町へと降りたのはひとりになりたかったからなのでしょう。あなたはなにを悩んでいるのですか?」
「……」
 やはりユーリは理由を口にしたくないらしい。
「口にしたくはないことだとは思います。けれどあなたを守るためにも、知らなければならない」
 理由がわかればそれに配慮した警備やスケジュールがたてられると続けるはずだったことばは、ユーリによって遮られた。
「いやだ! 言ったところで解決しない」
「ユーリ」
 たしなめるように名を呼ぶと、目尻をつり上げ尖る声音でユーリはこちらを睨む。
「……おれは王様だけど、その自覚もあるけどそのまえにひとりの人間なんだ。言えない悩みくらいあったっていいだろ。もし言うとしてもあんただけには言いたくない」
 言われてコンラートは息を飲んだ。こんなにも否定されるほどのことを自分は彼に対してなにかしてしまったのだろうか。
 なにか俺がしましたか? と尋ねようとし、コンラートはそれを寸でのところでやめた。言う気がないと言ったユーリの機嫌をより悪くするだけだ。
「……わかりました。それなら、俺でなくてもいい。だれかには理由をはなしてください。その理由の深くまでは俺は追求しませんので」
 お願いします、と頭を下げるとユーリは少し間をあけて小さく答えた。
「……村田。村田になら言う。でも、絶対どんな内容だったのかは聞くなよ」
 釘を指すように言われ、コンラートはわずかに腹になにか黒いものが沈んだのがわかる。
「わかりました」
 そう一言だけ答えればよかった。
「案外、バッテリーだと仰ってくださるわりには俺のことを信頼していないのですね」
 なのに無意識に本音が漏れてしまいすぐに口を手で覆ったがそれはしっかりとユーリの耳に届いてしまった。
「俺でなくてもいいって言ったくせに、そういうの?」
「申し訳ありません……」
 すぐに謝罪をしたがそれに対しての返答はなく、ユーリはこちらから目を背けると「村田を呼んできて」と言うものだった。
 わかっている。地球で同世代である猊下のほうが自分よりもずっと彼のことを理解していることくらい。自分は護衛であり、名付け親であることで勝手にだれよりユーリとの距離が近いと優越感に浸り思い上がっていたのだ。
 所詮、臣下は臣下であり己が口にした信頼というものは友人間にあるものとは別物であるというのに……。
 それでも猊下に対して悔しさを覚え、ユーリに対し悲しさを覚えるのは自分の心にあってはならない感情が芽吹いているからなのだろう。
 過保護、と言われて私情を交えて接していた自分に罰が当たったのだ。
「はい。……すぐに猊下をお呼びいたしますので少々お待ちください」
 再度、コンラートは頭をたれた。
 声音がどうしても低くなってしまう自分に嫌悪する。そのせいでますますユーリの機嫌が悪くなるというのに。しかし、どうしても感情をコントロールができないのだ。
 ユーリのこととなると、どうしても。
 ……いつか、ユーリは婚約者であるヴォルフラムと結婚するだろう。もしそうでないとしてもだれかと恋に落ち、つき合いやがては結婚するのだ。彼は、女性が好きだと言い、子供が好きと言っていたから、女性と結ばれればのちに子も授かるのかもしれない。それを自分は祝福すると以前言ったくせに。
 自分には言えない悩み事がある、それを許せないでいる。
 部屋を出て、魔王の自室を警備する兵に眞王廟にいる猊下に白鳩便を出すよう命じ、代わりに扉のまえで警護にまわりながらコンラートは己の器の小ささに自傷的な笑みを浮かべてため息をついた。

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