なんでも言って 2



 かけあがるように会社まで到着し、自分のデスクへと向かえば、隣席の悪友であるグリエ・ヨザックがちょうど書類をまとめ終えたのかこちらに手を振る。まだ朝だというのに、ヨザックの顔には疲労の色が見えた。それはおそらく自分もだろう。ほかの社員より多く連日勤務をしているのだから。
「よお、お疲れさん。アンタは今日休みじゃなかったか?」
 とっても貴重な、とお休みなのに。と一言余計なことを付け加え、コンラートは眉根を顰めた。
「休みだったが、後輩に頼んだ資料がどうしても終わらないらしい。期限も迫っているし一度課長にも目を通してもらわないといけない資料だから」
「だからきたってのか。ばかだねえー」
 ヨザックは呆れたようにため息をつく。
「あんたは後輩を甘やかしすぎなんだよ。できる先輩、無駄のない仕事をしたいっていうのはわかるけどよ、突き放してやらなきゃいけないときもあるだろ。コンラート、相手が女性だからって怒らねえでやさしく指導しすぎ」
 俺なら先輩が休みっていうんなら、電話しないわ、とヨザックはあざ笑うような笑みを口元に浮かべコンラートはそれを無視した。反論するよりもさきに手を動かさなければ終わるものも終わらない。
 パソコンを起動すると、ちょうどよく電話をかけた後輩が申し訳なさそうにコンラートへはなしかけてきた。
「コンラートさん、すみません。休日だというのに……」
 いや、大丈夫だよ。と返答しようとしたが、それよりさきにヨザックが女性社員がもってきた資料を奪いそこに目を通して笑った。
「……あのさ、これまえにオレが教えてあげたところだよね。メモ取ってたはずだと思ったんだけど、今井さん。申し訳ないって思うんなら一度自分で書類を完成させてみて他の社員に聞けばいいんじゃないの? コンラートにわざわざ来てもらうほどのことでもないだろ」
 トゲのある口調に今井の肩がびくり、と震えるのがわかった。社内でもお調子者と言われムードメーカー的な存在のヨザックがこんなことを言うとは思わなかったのだろう。休日のひとけのない室内のざわめきが、すっと引いていくのがわかる。
 数人の社員の好奇な視線に居心地が悪いのか、彼女がわずかにそわそわとしていた。
 後輩のなかでも今井は、仕事ができると言われているのは知っている。彼女自身おそらくそう思っていたに違いない。うつむきがちで表情を読みとるのは難しかったが頬が羞恥で赤く染まり「すみません」と謝罪を口にする彼女の声音に苛立ちがこもっていた。
「……一応、見せてね」
 コンラートはヨザックから資料を取り、目を通していくと最後のページに小さなメモが入っているのに気がついた。それを見て、いまさらながら腹が立つのを感じた。
 たしかに自分は指導が甘かったようだ。
 ちらり、とヨザックがメモの切れ端を見て「ほら言わんこっちゃない」と、鼻で笑う。
「コンラートは今日お休みなんだろ。家に帰ればいいじゃん。今井さんの面倒はオレがみるからさ。資料と上下関係についてしっかりと」
 言うと、今井は顔を真っ赤にしている。しかし、そんなことを気にもとめていないのかヨザックは再び携帯を開き彼の恋人でありユーリの親友でもある村田健のメールを見せた。
「ケンちゃんがお怒りのようだよ。坊ちゃんが楽しみにしていた休日をキャンセルして、仕事に行くなんてどういう頭してるんだろうねってさ。まったくだね。たしかに休みであっても行かなきゃいけない仕事っていうのはあるけど、そうでないときもあるだろ。そういうのを判断できるようにならないとだめだと思うけど」
 メールには画像が添付してあり、そこにはどこかのファミレスに村田と出かけているのかテーブルに頬杖をついているユーリの姿。おそらくカメラを向けられたことにも気づいていないのだろう。ぼんやりとしている。
「場所はどこだ?」
「ここから徒歩十分の駅前のファミレス。いい子の坊ちゃんあんまりないがしろにしてると、ほかの奴にとられるぞ。あとケンちゃんの機嫌も損ねるなよ。かなり怖いんだから」
「わかってる。……今井さん、悪いけどヨザックに見てもらってください。俺は帰ります。それと――あなたには答えられません」
 書類からメモを抜きとり、コンラートは今井の手渡す。メモに書かれていたのは仕事のことではなく『今晩夕食一緒にどうですか』というプライベートの誘い。
「あの……っ! これは、わざわざ私のために会社へ来てくださったお礼として」
 慌てて弁解するその理由はすでに用意していたのだろう。しかし、やはり私情の拭えないことばが混じっていてコンラートは苦笑する。
「俺は『あなたのため』に会社に来たのではありません。お世話になっている『会社』のために来ている」
 きつい言い方をしたという自覚はある。けれど、いままで自分が甘やかしてしまった自分の責任だ。それにこれで彼女の態度が変わるのであればそれは彼女が悪い。
「それに俺、付き合ってるひとがいるので」


* * *


 朝食は済ませているというのに朝からファミレスへ。どこかに遊びに行こうと思ってもほとんどの店の開店時間より早いので、行き先が決定するまではここでのんびりすることにしたのだが、窓際の席から外を様子を窺えば見渡すかぎり人、人、人。ひとであふれている。
 有利とコンラッドの休暇はなかなか合わない。しかも一般的な祝日や休日ともなるとなおさらだ。それでも毎日一緒にいるし平日の休みが合えば活気溢れる休日と違ってどこに行くにもひとがいなくて楽なのもある。けれど、ここ最近は同居しているのに顔を合わせる回数が少ない……だから、ふたりで同じ日にとろうと決めたのに。
 我慢しなければならないことだとわかっているのに、どうしても心はすっきりしない自分に嫌気がさす。
「渋谷、五回目だよ」
 呆れたように言われてはっと村田のほうを見れば「ため息、五回目」と指摘をされた。
「そんなに僕といるのがつまらない?」
「いや、そんなんじゃない」
 むしろ、こうして外に連れ出し、付き合ってくれてありがたいと思っている。
「ならもうちょっと、明るい表情してほしいなあ」
 拗ねた口調で言われて、有利は苦く笑う。村田の言うとおりだ。
「ごめん」
「謝ってほしいわけじゃないの! でも悪いって思うんならデザートひとつ奢ってほしいなあ」
 有利が纏う雰囲気を明るくさせる村田の意地悪な発言にわずかに気分が向上する。「しかたないなあ。今回だけだぞ」と有利はメニューを開く。「どうせなら割り勘にしてうんと豪勢なものを注文しよう」とはしゃぐ村田がとても可愛らしい。
「朝ごはん食べてからそんなに時間経ってないのにキングチョコレートパフェ?」
「あのねー、きみはぼぅっとしていて気がつかなかっただろうけどもうここに来てから二時間は経ってるからね。僕がどこ行こうって提案しても適当に相槌してたことも覚えてないでしょ」
 言われてポケットに入れていた携帯電話を取り出し時間を確認してみると意識ではまだ三十分ほどしか時間が経過していないと思っていたのに村田の言うようにディスプレイに表示されている時間はもう十一時過ぎをさしていてまたため息をつく。
 どれだけ自分は、ぼんやりしていたのか嫌になる。
 そんな自己嫌悪に浸る自分を無視して村田はベルを鳴らしパフェを頼む。オーダーを受けたスタッフがいなくなると村田は「まったく、きみらしくないね」と口を開いた。
「コンラートさんに言いたいことがあれば言えばいいのに。……些細なことも気にかけて言えないような関係なわけ?」
「そう言われても……」
 マンションではなしたように、自分には彼にわがままを言えるような権利はない。はなしに途切れると再び妙な沈黙が流れてしまいこの悪循環をどうしようかと思っているとタイミングよくキングチョコレートパフェがテーブルに置かれる。思ったより大きいサイズに思わず驚いてしまうがそれ以前にこの状況を冷静になって考えると自分たちはとんでもないことをしてしまったことに気づいた。
「……あのさ、村田」
「ん、なあに?」
「ファミレスで野郎がひとつのパフェを食うのってどうよ?」
 しかも窓際の席で。
 有利が言うと村田は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と用意されたスプーンに手をとりながらなんでもないようにパフェの生クリームを掬う。
「かわいい男の子が仲良く食べるようにしか見えないって。見られても一部の女の子がツイッターで騒ぐだけだよ。ほらほら早く食べよう」
 いや、まったく大丈夫なところが見当たらないんだけど、村田サン。
 と、思いおそるおそる周りを見渡してみるが、幸いにもこちらを気にしているひとの視線はなく村田に促されるように有利もパフェに手をつけた。


* * *


 コンラートは足早に会社から出ると、マンションに携帯電話を忘れたことに気がついた。電話に一度出て、切ったときにうっかり室内か玄関に忘れてしまったのかもしれない。
 このまま駅前のファミレスに向かおうとも思ったがもし、すでにふたりが店をあとにしていたら、ユーリに連絡もできない。どうしようか迷った末、コンラートは一度マンションに戻ることにした。
 急いで帰れば、数十分で帰る距離だ。

 ――そうして、マンションに帰宅をして携帯電話を探すと、おそらくユーリもコンラートが携帯電話を忘れたことに気がついたのだろう。
 リビングのテーブルに携帯電話が充電されて置かれていた。
 コンラートはそれをすぐに手をとり、切らせた息を整えるために一杯だけ水を飲もうとキッチンに向かいあることに気づく。水場にある三角コーナーに捨てられた食事を。口をつけた形跡のないハンバーグ。それからサラダ。もしかして……と、生ゴミ箱をあけてみれば、同じように手のつけられていないまま捨てられた料理が捨てられている。どれもこれも、コンラートの好きなものばかりだ。
 ユーリは、毎晩作って待っていたのだろう。二人分の料理を作り、テーブルにのせてひとりで食事をしていたのだろうか。
 どんな想いで毎日自分の帰宅を待っていてくれていたんだろう。仕事から帰り、食事を作ってひとりで食べて……朝、起きれば知らなかったとはいえはなしもそこそこに家を出てしまう自分を今日も見送ってくれていたユーリの気持ちを考えるとどうしようもなく自分に腹が立つ。
 ここでふたりで住むのは決してユーリに悲しい想いをさせたくなかったのと、毎日しあわせに暮らせたならと思ったからなのに。
 一体、自分はなにをしているんだろう。
 ヨザックの言うとおりだ。
 コンラートは、すぐにマンションを出てひたすらに走る。行きかうひとがこちらを見るがそんなことは気にしていられない。
 自分が我慢している以上に我慢をしていただれよりも大切なひとに、ユーリに早く会いたくてどうしようもなかった。


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