LETTER

 シンプルなとある男の部屋。その窓から見えるのは指南をするこの部屋の主の姿と新人兵。時折、厳しい声が聞こえる。ひやり、と冷えたガラスに指の腹をあてそっと見つめる彼の横顔は凛として視線はおなじくらい鋭い。自分のとなりにいるときの横顔や視線と全然ちがう。
 ふと、そんなことに気づくときおれはちょっとだけ切ない気持ちとたのしさを覚える。切なさを感じるのは、ふたりが出会ってからふたりの時間が『ずっと一緒にいる』と勘違いしてしまうほどに共有していたはずなのに、ちょっと時間が離れただけですぐに彼の知らない顔を見つけてしまうからだ。見つけた途端『ずっと』だったと思っていた時間は思ったよりも短く、べつべつに過ごした時間のほうが、うんと長く生きてきた時間だということ知る。
 この剣の指南が終わったら彼が部屋に戻ってくる。昨日受けた任務からの帰路途中で買ったというおいしい焼き菓子を厨房に寄りワゴンに焼き菓子と紅茶をのせてくるのを思い描きながらおれは彼の部屋で待つ。そっと、窓ガラスから指をはなし、冷えた指の腹を温めるように手を合わせてすこしだけ擦った。
 おれの仕事の時間はその日の書類の量とテンションでかわる。そんなに今日の気分は向上する感じではなかったし、彼とのお茶会は遅刻すると思っていたが、予定よりもはやく終わってしまった。おそらく、彼の仕事はもうすこし掛かるだろう。
 ぐるりと部屋を見渡す。何度来てもシンプルな部屋だ。必要なものしかない。机のよこにあるごみ箱も空っぽだ。この世界には日本のように血液型を調べるようなことはしないらしい。もし、地球と同じ血液型でこの世界のひとを判断するとしたら彼はA型なのだろか。……いや、ふとしたときに影のある行動をするからAB型なのかもしれない。安直な血液型判断は暇つぶしにもならなくて、おれはなんとなく彼の机の引き出しに目を映し――金具に手をかけた。おそらく開けても部屋と同じで必要な道具だけがあるだけだろうと思うが。
 親しき仲にも礼儀あり、だ。いくらひまだからと開けていいものか。
 勝手に引き出しを開けるのはいけないと自制心が顔をのぞいて、手をはなす。しかし、おれはふたたび取っ手に指をかけた。なんにもないとわかってはいてもふつふつと湧きあがる好奇心にあらがえない。ごめん、とちいさく呟きおれは引き出しを開け――目にはいったのは白。
 宛先のないたくさんの手紙。一通手にとる。のりづけもされていないみたいだ。手にとった瞬間ぱらり、と彼の綴った手紙が床に落ち、おれは二度目の小さな謝罪を口にした。


* * *


「――遅くなりました。へい……ユーリ?」
「……」
 稽古を終えた彼が戻ってきた。が、おれはそちらを振り向けない。焼き菓子のおいしいにおいにうっとりすることもできなければ、陛下、と言いかけた彼を咎めることもできなかった。
「どうかしましたか?」
 心配そうに尋ねる彼の声。
 どうしたもこうしたもない。まったくなんでこの男はこのような届かない手紙を書き綴っていたのか。
「……意味がわからない」
 おれはゆっくりと彼のほうへ振り向いた。手紙を持ったまま。
 いまおれはどんな顔をしてるのだろう。
 彼は手紙を握っているおれを見て、それから机にたくさん散らばる手紙を見てわずかに目を見開いて眉尻をさげ、ゆるやかに口角をあげた。
「まさか見られてしまうなんて。いけませんよ、ひとの手紙を覗くのは……でも、あなたならどんなことでも許しますけれどね」
 ワゴンにのせた紅茶一式と焼き菓子を円卓テーブルに置きながらなんでもないように淡々と述べる。
「いつからこんなの書いてたの?」尋ねれば彼は「ずっと」と答えた。ずっと、というのは離反していてもということか。と思っているとおれの考えを読み取ったかのように「シマロンにいても書いてましたよ」と彼は言った。
「書くと落ち着くんです。口切りいっぱいになってしまった感情を文字にするとすこしだけ心に余裕ができる。まあ、余裕ができてもまたいっぱいになってしまうから、同じことを繰り返し……こんなもに手紙が引き出しにたまってしまったんですけど」
 彼はきっとこの手紙を出そうと、一度も思ったことはないのだろう。ためるだけためてそっと机の引き出しを心に置き換えているだけだ。そんな雰囲気が感じてとれる手紙だ。彼が綴った想いがぐるぐるとおれの脳内で遊泳して、動けない。お茶会の用意を終え、こちらに近づいてきた彼がおれの口唇にキスを落としても、動けなかった。
「……恥ずかしい想いばかりがつまった手紙です。だれにも読まれることを望んでいなかった。でも、本当は願っていた。ユーリが読んでくれることを。……だって、ことばだけでは足りないんです。伝えきれない」
 宛先のない手紙の始まりの一文はすべて「親愛なるユーリへ」。
 内容は、あなたがいなくてさびしいとかずっとそばにいたい。そんなばかりの内容で離反していたときにかかれたであろう手紙には痛烈な想いが綴られていた。そして最後はかならず「愛しています」で締めくくられている。
「……コンラッ、ド」
 彼の名前を呼ぶ。するともう一度、口唇にキスが落とされた。たぶん、この男は自分と恋仲になれないと思っていた。離反していたとき二度と戻れないと覚悟を決めていた。そしていまも……いつか、別れるかもしれないと思っている。
「あんたって本当に、ばかだ」
 こんなに愛されてしまったら、よそ見なんてできない。するつもりはないが……これはずるい。
「すごく、恥ずかしいんですけど。おれ」
「俺はその数十倍恥ずかしいですよ。顔から火がでそうだ」
 うそだ。彼の顔には違うものが浮かんでいる。
「ユーリ、愛しています。……あなたは?」
 楽しそうに尋ねる口調は反対に彼の瞳はいたく真剣だ。
彼はわかっている。己の愛情が重すぎることを、理解している。だから尋ねるのだ。おれの返答次第で明日からのふたりの関係は変わる。変わっても彼はおれに手紙を書き続けるだろう。
 おれは彼の胸に両手をおき背伸びをして――耳元で囁いた。
「……愛してる」
 ただこれからも綴られる手紙が、本当の意味でしまわれることはとてもいやだ。手紙のはじまりが自分の名前でなくなるのもいやなんだ。この白くうすい軽い手紙にのせられた重い気持ちを受け取るのは、おれがいい。
「コンラッド、お茶にしようよ」
「ええ、そうですね。お茶が冷めてしまう」
 彼がおれの手をひいて、テーブルへと連れる。すこしだけ自分さきをいく背中に声をかけた。
「勝手に読んで、ごめんな」
「いいえ。読んでくださって、ありがとうございます」
 そう言って彼は振り返り、やさしく笑うからおれは泣きそうになった。
 コンラッドは、本当に愛に不器用で口べたで、愛おしいひとだ。

END


2013/5/3 SCC/cnyプチオンリーにてペーパーラリーで書きました。
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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