わざと爪を立てました。
 



 べつにコンラッドに勝ちたいなんて思っていない。と、いうかもとより勝負をしているわけでもない。が、知識も器の広さも体術や剣術。からだについた筋肉……それと情事における慣れと余裕。どれをとっても彼と比較にはならない。それはコンラッドが人間寿命を超えて百年以上生きて培ってきたものだからたった十六年しか生きていない自分が超えるどころか同等の位置に立てるはずもないのだ。
 頭では理解しているもののくやしいと感じる気持ちはコントロールができない。
 有利は乱れる息を深呼吸してゆっくりと整え、同じ速度で首筋から汗が流れていくのを感じた。
「……なに笑ってんデスカ、コンラッドサン」
 っていうか、重いからはやくどいてほしいんだけど。
 汗ばんで額にはりついた前髪を梳いてキスをするコンラッドの肩を叩く。ほとんどの体力を使い果たしてしまったといってもいいほどからだは重く、重力に引き寄せられるように男の肩を叩いた腕はシーツへと落ちていく。いつもならもうすこし体力も残っているのに、こんな脱力してしまっているのはもちろんコンラッドのせいだ。
「だって、あなたから誘ってくれるなんてめずらしいから、うれしくて。……歯止めがきかなくなってしまいました」
 コンラッドが有利のうえから横へと移動しながらうれしそうに返事をかえす。
「そういうこと言わなくていいから」
 コンラッドが言うように誘ったのは自分でよろこんでもらえるのはうれしいことだがいたたまれない気持ちになる。
 気恥ずかしくて顔をそらしたら羞恥心に追い打ちをかけるように「かわいいですね」と首に顔を埋めるようにして耳元で囁いた。
「……」
 好青年と称される男の一枚皮を剥げば、おっさんであることを何人が知っているのだろう。
 今度はいたずらに耳たぶを食んだり、息を吹きかけてくるコンラッドの顔を手でおしやる。
「もー今日はしないです。打ち止め」
「まったくつれないおひとだ」
「だっておれは『かわいい』が似合う男じゃないから」
 にやり、とした笑みを浮かべてやればコンラッドは肩を震わせて喉奥でくつくつを笑いを立てる。
「花のような笑顔と言われるあなたがこんな笑い方をするなんて民に知れたら大騒ぎだ」
 からかい口調に咎める彼に有利は鼻を鳴らす。
「こんな笑い方をさせるのはコンラッドのせいだから、だれにも見せないよ。それはそうと、シャワー浴びたら? 明日も早いんだろ」
 この男は一体何時に起床し就寝しているのか、常々疑問に思う。
「ご心配ありがとうございます。でも睡眠は三時間もあれば足りるので」
 と答える彼はうそをついていないと思うが、こっちはやはり心配なのだ。どうせ、一緒にベッドでよこになってもこの男は自分が眠ったのを確認したら剣の手入れや巡回兵の確認に向かったりしている。
「あのさーコンラッドはもっとおれと一緒にいたいと思わないの?」
 甘えるようにコンラッドの頬を撫でつけながら問うと彼は「いたいに決まってるじゃないですか」即答した。
「じゃあ寝ろ。長生きの秘訣は睡眠時間なんだぞ。六時間から七時間。これが一番いいんだって」
 言ったところで、コンラッドは睡眠時間を今日から規則的にするなど思っていないが頭のかたすみに自分の想いをふとしたときでいいから思い出してほしい。
 コツン、と額と額をぶつけて言うとコンラッドが眼尻をさげ有利の唇を食み、バードキスを何度か繰り返した。
「あなたを守れなくなるのも、さびしい想いもさせたくありませんからね。最善の努力をつとめることにします」
「ぜひそうしてくれ」
 よくできました、とキスを返せば大人である男がすこしだけこどものようにみえた。
「では、シャワー浴びてきますね。ユーリも一緒に行きましょう」
「えーやだよ。あんた風呂場で発情しそうだから」
 熱が冷めたからと言っても、さきほどまでからだを重ねていた肌は通常よりも敏感になっていて冗談で愛撫でもされてしまえば流されてしまいそうだ。そうなれば、明日は確実に寝不足と腰痛で一日ベッドコースだろう。のちのち眉間に皺を増やしたグウェンダルにお説教される自分の未来予想図が安易に浮かんで無意識にため息がこぼれた。
「大丈夫ですよ。今日はもうしません、約束します。たっぷり睡眠時間をとって寿命をのばすことにしますから」
 一日、二日で寿命など長くなるものじゃないだろ。と、思ったが本当になにもする気はないらしい。
 有利はのろのろとけだるいからだを起こし、ベッドのしたに散乱した衣類を拾い上げている男の背中に視線を向ける。橙色のランプでぼんやりとしか見えないが、コンラッドの背中――肩甲骨のあたりにいくつか赤い筋が見えた。
「あなたがつけてくれたものですよ」
 こちらの視線に気がついたのかうっすら口端をあげ、コンラッドが赤い筋部分を指さした。
「爪を立ててしまうほど気持ちよかったですか?」
「……うるさいぞ、おっさん。へんなこと言ってると一緒に風呂なんて入らないからな」
 尖る口調で返答しそっぽを向けば、衣類の回収を終えたコンラッドが意地悪気に「ひとりじゃ洗えないところがあるでしょう?」とシーツをめくり抱き上げる。しかも屈辱の横抱き。女の子が夢見るお姫様だっこだ。彼よりは身長も体重がないとはいえ、大の男をこうも軽々と持ち上げられるのはコンプレックスを刺激される。だが、もう正直歩く気力もないので、有利は「本当になにもするなよ」と念をおして反抗することもなく、男の首に腕を絡め自然な素振りで自分でつけた赤い筋に触れてみる。
 コンラッドはおそらくわかっていないのだろう。わざと爪を立てたことを。教えるつもりもない。
 これはささやかな、できる男への復讐だ。翻弄されているばかりではないということと『愛している』なんて言えないこどもでも独占欲があるという滑稽な意思表示。
 教えてなどやらないが、いつか伝わればいいとは思う。
 そうして有利は男の肩に顔をうずめ、悪戯に成功したこどものような笑顔をひっそりと浮かべたのだった。

END