be a good boy.(いい子にしてね)
 

「コンラッド、見て見て!」
 中庭でちょうど指南が終わると、はしゃぐ主――ユーリの声が聞こえた。
 数分前に白鳩便で眞王廟に帰還されたのを知らされ向かおうとも思ったが、指南ももうすぐ終了というタイミングで中断するのは、いままでの訓練が中途半端になってしまう気がしてユーリを迎えに行くのは断念したのだ。
「……おかえりなさい、陛下。おや、ヨザックは?」
 自分の代わりに眞王廟へユーリを迎えに行ったはずなのに。だが主のうしろを見れば頼んだ男の姿ではなくおもに眞王廟の巡回をしている兵が二人。
「ヨザックは、一緒にスタツアしてた村田に書庫整理を頼まれたから血盟城に来れなかったんだよ。代わりに他の兵に連れてきてもらったの。だから眉間の皺を寄せるなよ」
「そうでしたか」
 額に指を指す主にひとに指を向けてはいけませんよ。と、その手をとれば指南を受けていた新兵がわずかにざわめいた。あとで陛下トトに変化が生じるのかもしれないと思うとちょっと楽しくなる。
「眉間に皺をよせてたかと思えばこんどはなに笑ってるし……」
 あんたってわかりやすいなあ、とユーリは言う。それはあなた限定ですよ、とコンラートは心のなかで呟く。口にしてもおそらく彼は信じてくれないだろうから。
 ユーリと居ると毎日新しい発見がある。それは幼いころ、父親と旅をしているのとすこし似ている。あのときは、遠くにしか知らない世界が広がっているのだと思っていたが、いまはユーリのおかげで身近にもたくさんの知らない世界があるのだということを知った。童心に返えり、その気持ちが胸に花を咲かす。
 無意識に変化する表情。それをコントロールするのは困難だ。
「ああ、まだ髪が濡れていますよ。ちょっと待っていてください」
 持っていたタオルでユーリの髪の水滴を拭う。
「これぐらい大丈夫だって」
「またそう言う。前科があることをお忘れですか?」
 わざとため息をこぼせば、ユーリがことばを詰まらせた。以前、ユーリは髪を乾かさずに寝てしまい風邪を拗らせたことがあるのだ。
「視察から戻ってきてみれば、ギュンターは汁を流しながらあなたの部屋の前で祈っているし、グウェンダルは執務室で眉間に皺を普段よりも刻んで険悪な雰囲気を出して、ヴォルフラムは厨房で紫色に変色したオニオンスープを作っているしで、」
「わかった、わかりました! 以後気をつけます! だからあのときのはなしをしないでくれ。思いだしただけでも気が滅入るから……」
 肩をすくめ、眉をハの字にするユーリが可愛らしくてその額に唇を寄せたくなってしまう。こんな場所では思うだけで行動に移すことができないのが残念だ。
「はい、乾きましたよ。それでなにを俺に見せたかったんですか?」
 尋ねると思いだしたように「これこれ」とユーリは鞄からファイルを取り出した。(毎回突然スタツアするので鞄を防水加工のものを購入したらしくいささか申し訳ないと思う。)
「ほら、みて! 今日英語の抜き打ちテストが返却されたんだ!」
 嬉々として答案用紙をこちらにつきつけられた点数に目をやりコンラートも目元をさげた。
「百点ですか! やりましたね」
「だろー! おれってやればできるんだな! って言ってもコンラッドが勉強見てくれたからこそなわけで――ありがとな、コンラッド」
 最後のほうは言っていて恥ずかしくなったのか声が小さくなったがもちろん聞こえ、愛おしさがこみ上げてどうしようもなくなる。
「ユーリが頑張ったからこそですよ。でも、お手伝いできてよかった。……すみません。指南は終わったのですがこのあとの日程を新兵に伝えなければならないので、さきに自室へ待っていてくれますか? 百点をとった日です。グウェンダルにもユーリのスケジュールを変更してもらってあとでどこかへ一緒に出かけましょう」
 今日、ヴォルフラムは視察へ赴いているので咎められることもありませんよ、と付け足せば「やったー!」と両手を空へ向かって突き上げた。
「わかった! じゃあお忍びルックに着替えて待ってるな」
「ええ、すぐに向かいます」
 コンラートはユーリの護衛についている兵に自室へ送るように指示をし、未だにざわつく新兵や近くを歩く下女たちの好奇な視線に、すこしだけ大人げない優越感と独占欲がむくりと顔を出す。
「ユーリ、」
「なに?」
 兵に連れられ部屋へと向かう彼にコンラートはわずかに声のボリュームを下げて自分たちにしかわからない異国語で話しかけた。
「せっかくのデートです。どこにでも連れていきますから、部屋でちゃんと待っていてくださいね」
 デート、ということばにユーリは頬を赤らめながら「ばかなこと言ってんなよ、子供じゃあるまいし。ちゃんと待ってるってば」
「一応、ね。ではまたのちほど――you're a good kid」
 百点を取った彼ならもうこの意味はわかるだろう。
「コンラッドのばか!」と罵るも他の者はふたりのやりとりがわからず小首を傾げ、自室へと戻るユーリへ会釈をする。
「では、遅くなって申し訳ないがこのあとの日程を……」
 報告が終わったらグウェンダルの元へ行きすぐにユーリの待つ部屋へと向かおう。そして、ここではできなかったあの愛しいひとの唇に触れたい。
 その想いを隠しながら、コンラートは再び顔を引き締めた。
 

be a good boy.(いい子にしてね)


END