Be My Valentine



 早いときは日も跨がずその日のうちに。長いときは三か月ほどひとりの少年の帰りをコンラートは待っている。
 不定期な少年の帰りを期待している素振りはみせないように、感情のうえに一枚の仮面を被るものの、ふと気がつくと自分の視線は水のある場所に向けられているのだ。
 無意識にそそがれた視線のさきを悪友はあざとくみていて、そのたびに微笑をする。その男の脇を肘でつくのは彼のいない日常の日課だ。
 それを以前弟のヴォルフラムに「犬のようだ」と冷ややかな口調で言われたが、まったくもってそのとおりだとコンラートは思う。
 彼がいないとさびしい。彼がいると片時もはなれたくなくて、いてもいなくてもコンラートのあたまのなかは少年のことばかりだ。
 そうして、少年の帰還を待ちわびながら十日目の今日も終わりを告げようとしている。夜も深まったからとはいえ、すぐに寝床にはつかない。もとよりコンラートの睡眠時間は長い軍人としての生活がからだに染み着いているのか三時間もああればことたりる。就寝までの余暇は、剣の手入れと読書、それから酒をたしなむ。しかし、近年になってその生活もわずかに変わってきた。もちろんとある少年との出会いによって。だれかと肩をあわせて寝るということはそれこそ軍人をしていたときの任務のときぐらいでそれは睡眠と呼べるようなものではない。いつなにが起こるかわからない緊張感を常にもちあわせた状態で目をつぶっている、といったほうが正しいのかもしれない。異性とからだを重ねても軍人のときの癖は抜けず、ことがすんだらすぐにその場をあとにしていた。
 それぐらいだれかつねにいる状態は自分を落ち着かない状態にする。
 だから「なかなか寝つけない」と少年がはじめて部屋に訪れて添い寝をしたとき内心不安があった。無意識にしがみついてくる少年に不快な気分を感じたらどうしよう、と。心は彼を好いていてもからだがそれを否定する。それはアレルギーと同じで自分にはどうにもできないことだからだ。が、実際はそんな心配など無用だった。不思議なことに普段の睡魔よりも数倍は重いものが瞼に落ちてきて、気がつくと朝を迎え自分もまた少年を抱きしめていた。
 三時間の睡眠で生活に支障をきたすようなことはないが、彼と眠るようになってからは物足りないような衝動が目覚めると胸に落ちてくる。
 アルコール度数のわずかに高い酒をゆっくりと嗜んでいたつもりだったが、気がつけば酒瓶は軽くなり、グラスに注がれた酒は底をうっすらと色づけるだけであった。グラスを傾けそれを舐めるように飲みほして、二本目の酒瓶に手を伸ばす。頭の奥がすこしだけ、ぼんやりとしているような気がするが眠気は一向にやってこない。コルクを引き抜き、グラスを口切りいっぱいに満たす。酒のツマミももうほとんどない。
 腹が減っているわけではないが、なにか口にしたい。それは口がさびしいからだろう。百年も生きてきた男がなんて女々しいのか。コンラートはひっそりと苦笑を浮かべた。
 酒のツマミではないが、机の引き出しのなかに食べ物がある。あれもそろそろ食べなければ。重い腰を上げ、コンラートは机へ向かい引き出しを開けた。そこには持ち手のうえに青いリボンのついた小ぶりのバスケット。バスケットのなかには、カラフルな包装紙にくるまれたお菓子が詰まっている。数日前に城下町でコンラートが購入したものだ。少年が、好きなお菓子だけを詰め込んだバスケット。お茶会に出そうと考えていたのだが……もう少年のまえにこのバスケットを出すことはないだろう。賞味期限も近い。バスケットを手に取り、再び円卓テーブルのいすに腰を掛ける。
 青いリボンをほどき、また酒をグラスについでさてなにから食べようかと菓子に手を伸ばしたとき、浴室からバシャン! と水がはねた音が聞こえ、コンラートは目を見開いた。
 急いで浴室へと向かい、ドアを開けた。視界のさきに映ったのは、恋いこがれた、黒。
「――よっ! ただいま」
 こちらが、どんなにあなたの帰りを待ち望んでいたのかまったくしらないように、黒髪についた水滴を振り払いゆるやかに漆黒の瞳にコンラートを映し笑う。
「……おかえりなさいませ、陛下」
 一拍遅れ、コンラートが言うと「陛下」と呼ばれたことにむっとしたのか口唇を尖らせて少年がバスタブから出てくる。その塗れたからだにバスタオルを巻く。
「陛下って呼ぶなよ、名付け親」
 たしなめられ、コンラートが「つい癖で」と言いかけた唇に人差し指が押し当てられる。
「癖じゃないくせに。無理矢理笑ってとりつくろうとすんなよ。おれの名前呼んで、それからいまの気持ちを素直に述べること」
「それはご命令ですか?」
「いや、お願い。ちゃんと答えてくれたらあんたのしたいことをしてあげるよ」
 彼の額にはりついた前髪を横に梳くと、まっすぐな視線とぶつかった。意味ありげな笑みを浮かべている。
「……ユーリ、」
「おう」
「あなたがいなくてさびしかったです」
「よくできました。じゃあ、あんたがしてほしいことしてやる」
 そういって、ユーリはぎゅっと腰に手をまわす。
「ったくさ、寂しそうな顔してんだもんな。まったく……」
 どこかねこが甘えるような声音が愛おしくてコンラートは思わず息をはいた。同じように少年の背中に手をまわす。
「ふだんのあんたは凛としてて格好いいけど、おれが帰ってくるときはいつも寂しそうな顔をする。……酒飲んでた? お酒くさい」
「ええ、すこしね。……このままでは風邪をひいてしまう。服を用意してきますので、からだを拭いておいてください」
 言って、コンラートは浴室をあとにする。ドアを閉めるとなかからユーリの「お腹すいた」というひとりごとが聞こえた。円卓テーブルに置かれたバスケット――無駄にならなくてよかった。

* * *

 ユーリの部屋から、寝巻きを取り自室へと戻る。彼が帰還したことは朝報告すればいいだろう。
「ただいま、戻りました」
 バスローブに身を包んで寝台のふちに腰をかけて足をぶらぶらとさせている。
「おかえりー。服、ありがとう。こっちはもうすっかり真夜中なんだな。地球だと夜だけど、夕飯食いおわった頃だよ」
 バスローブを脱いで、恥じらうことなくコンラートのまえで脱ぐ。それがなんだかおかしくて笑うとユーリは不思議そうに首をかしげた。
「なんだよ?」
「いや……セックスのときは脱ぐとき嫌がるじゃないですか。顔を真っ赤にして」
 言うとユーリは脱いだバスローブを掴んでこちらに向かって投げつけた。それを避けることなく顔で受け止める。
「あんたってほんとばか」
「すみません」
 顔に被さったバスローブを丁寧にたたみ、着替え終わった彼を円卓テーブルへと誘う。
「このおかし食べていい?」
「もちろん」
 あなたのために買ったおいた、とは言わなかった。情けない姿を見られているが、だからといって自分から醜態を晒すようなことはしたくない。ユーリは、バスケットから菓子をひとつ手にとり「……これ、酒をたしなんでるとかいうレベルじゃない気がするけど。飲みすぎなんじゃないの?」とこちら睨みつける。
「心配してくれるんですか?」
「そりゃそうだろ。……ヴォルフラムがまえに言ってたぞ。おれがいないとコンラッドはふぬけで使いものにならないって」
「使いものにならない、はひどいな」
 冗談めかして言うとユーリは「まあ、でもあながち間違いじゃないと思うけどね。おれとあんたはバッテリーだから……なんとなくわかるよ」
 普段では、決して口にしないことユーリは呟いた。
「……あなたも同じことを思ってくださったのですか」
「うれしそうにいうな。使いものにならないって言われてるんだぞ」
 髪を拭き終え、一房手にとってそこにキスを落とす。
「それはうれしいですね」
 自分がこの少年にとって、特別なものだと彼の何気ないひとことが実感させてくれる。
「そういう恥ずかしいことするなってば。ほら、髪の毛乾いたんならコンラッドも座って。それとももう眠くなった?」
「いいえ、まだ晩酌をしようと思っていましたので。それにやっとあなたが帰ってきてくれた。もうすこしおはなししたいです」
 ユーリの向かいに座り、酒をゆっくりと味わう。さきほどまで味のないアルコールだと思っていた酒がいまはとてもおいしく感じる。
「また酒飲むの?」
「すみません、あと一杯だけ。あなたがいると酒がおいしくて」
「ったく……あと、一杯だけだぞ。――なかなかこっちに帰れなくて」
 地球でもの回想をしたのか、ためいきを吐いた。「テストでもあったのですか?」と尋ねると、「テストじゃない」と首を横に振る。
「テストとかじゃない。全国の女子をおれは改めてすごいなって思ったよ」
「なにか、あったんですが?」
「んー……まあ、あっちだといろいろあったんだよ」
 ちょっと待ってて、とユーリは立ち上が脱衣所へと向かいなにか手に持って戻ってきた。ユーリの頬がわずかに赤い。どうしたのだろうか。
「ん、これ。あんたに」
「酒のつまみになればいいんだけど」
 そう言って手渡されたのは、モスグリーンのリボンのついた小箱。
「開けていい?」
「うん」
 コンラートは丁寧にリボンと包装紙をほどき、小箱を開ける。なかには、ちいさなチョコレートが四つ入っていた。
「……チョコレート?」
 ちらり、と視線だけをユーリへ向けると目があった瞬間にぱっと、そらされた。
「……バレンタインデーも近いし最初は、バイトしたお金で高いチョコレートを買おうと思ったんだけど、勇気がなくて入れなくてさ……手作りのほうが、いいのかなって思って作ってみたんだ。一応お袋とかにも味見してもらったからお腹を壊すようなことはないと思うけど……口にあうかは保証できない」
 わずかに彼の声音がふるえている。コンラートは、チョコレートをひとつつまみ、口のなかに放った。ゆっくりと舌でまるいチョコレートが溶けて、やんわりと歯をたて咀嚼をし、最後に指についたココアパウダーをなめとった。
その様子をユーリはそわそわと目を泳がせている。味の感想が気になってしょうがないらしい。
 残念なことに自分には、表現力や文才がない。愛しいひとに伝えられる感想は一言だけ。その一言にいろいろな思いを詰め込んで口にする。
「とてもおいしいです。ありがとう、ユーリ」
「……本当に?」
「ええ、本当に。ビターな甘みと、噛むとなかからトロリ、としたチョコがやみつきになりそうだ。まさかあなたの手作りをくちにできるなんて、とてもしあわせです。……しかし、なぜバレンタインデーにチョコレートなんですか?」
「え? ふつうバレンタインデーっていったらチョコじゃない?」
 きょとんとユーリが小首をかしげ、コンラートもつられるように小首をかしげた。
「俺が地球にいたころは、バレンタインデーと言えば花とカードを相手に渡すのが習慣だと聞いていましたので……チョコレートをもらうのははじめて聞きました」
「えっ! ……じゃあ、こんなことしなくてよかったじゃん。あんたも知ってるのかと思って……」
 言われて、地球でそのような行事があったことを思い出す。国ごとで行われることは同じことだ。
「バレンタインは意味があるんですよね。愛するひとに愛を伝える日」
「あー……もうなにも言わないでください、コンラッドさん。恥ずかしい。いや、渡すってきめたときから恥ずかしかったけど、意味をわざわざあんたに教えるなんて思ってなかったからなおさら恥ずかしいので……もう一杯じゃなくていいから酒飲んで潰れて、さっぱりぽんと忘れてくれ」
 ぼんやりと薄暗い部屋でも彼の頬が、赤く染まっているのがわかる。ちょっとだけ睨みつけるような目つきがかわいらしい。「もう百歳過ぎのおじいちゃんなんだから、思い出さなくてもいいのに」と悪態をつくところも。
 ユーリの頬の熱が自分にも伝染したのか、瞳の奥に熱を感じる。
「ねえ、ユーリ。あなたの気持ち教えてくださいませんか? 俺にバレンタインにチョコレートをくださった理由」
「……わかってるのに、聞くとか意地がわるいぞ」
「あなたがいなくてさびしかったんです。今日くらい、俺のお願い聞いてくれませんか?」
 自分がユーリのお願いに弱いのと同様彼も自分のお願いに弱いのを知っている。手を伸ばして顔を覆っているユーリの手はずしその指先にキスをした。
「言ったら、おれが恥ずかしいだけじゃん」
「いいえ。それだけではありませんよ? ……俺がしあわせになります。あなただけが俺を満たしてくれるんです」
 だから、どうかお願いします。と、コンラートが言うとユーリは困ったように笑い「もったいないなあ」と言った。
「この世界にはもっともっとあんたをしあわせにしてくれるのがあるってのに数百年生きててもコンラッドはそれをしらないなんてもったいないよ。……おれがそのうちそういうしあわせ教えてやる。それまでは、あんたをおれがしあわせにしてやるよ」
 頬を未だ赤らめたままでユーリがじっとこちらをみて、すっと息を吸う。
「ーーあんたのことが、渋谷有利は大好きです。もう一個食べちゃったけど……チョコレートに込めたおれの気持ち受け取ってくれませんか?」
 彼に愛のことばを強請ったのは自分なのに、鼓膜を震わせるのことばにどう言っていいのかわからなくなってしまった。
 いま、自分は情けない顔をしている。だからやさしい彼はいすから立ち上がりその情けない顔を胸に抱きよせてかくしてくれるのだ。
「泣きそうな顔してんじゃねえよ。ほら、おれはちゃんと言ったぞ。返事は?」
「すみません。ーー愛しています。あなたを、愛してる。ずっとそばにいてください」
 縋るように、ユーリを抱きしめ、あたまのうえにちいさなリップボイスが落ちた。
「いいよ。ずっと、おれはあんたのそばにいる」
「……ありがとうございます」
 当然のように言うユーリのことばに本格的に泣きてしまいそうだ。
 顔をあげて、と言われコンラートは情けない顔をしたままユーリを見上げた。そこには意地悪そうに笑う笑顔があった。
「日本には、ホワイトデーっていうのがあるんだ。バレンタインデーでもらった奴は三倍返しする。ホワイトデーたのしみにしてるからな」
「たのしみにしていてください。三倍以上に返します。――たっぷりと」
 ユーリの頭を引きよせて、唇をあわせて口先を舌でわり、奥に隠れている彼の舌を絡め捕える。ときおり歯列や上顎をなぞり、思うさま堪能してゆっくりと口をはなした。
「……目が潤んでますよ?」
「さっきまであんたが酒飲んでたからだろ」
「まあ、そういうことにしておきましょう。……ねえ、ユーリ甘いものを口にしましたしふたりで運動でもしませんか?」
 ベッドで。
 ユーリの耳元でコンラートが囁くと彼は、呆れたように笑って頷いた。

 ――Be My Valentineとちいさく呟いて。

END

2013/2/14

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