忘れられた花 「コンラッドがおれのものじゃなきゃいやだし、あんたにとっておれがなによりも大切じゃないといやだ」 こどものわがままなど比べものにならないほどの欲望と傲慢にまみれたことばが喉を通りぬける。自分がこれまでどれほどかれに執着し、オモイニンゲンだと知りたくなかった。たったひとつの恋も捨てることのできない男が、選択をし犠牲を払うことを理解しながら一国を背負うことができるのか。 「……はは、だっせえなあ、おれ。あんたと出会うまえはこんなに格好悪いやつじゃなかったのに」 眞魔国に来るまえ。まだどこにでもいる高校生で自分の周り、視界に映るものだけで世界がまわっていたころの自分は、いまもよりもずっと単純で無知だったが、それでも身勝手に相手を傷つける発言や疑うことはしなかった。眞魔国に来てから褒められたことは「傷つくことをおそれず、傷つけることをしない純粋な心」だったというのに。その心は最初から持ち合わせていない気もするけど。 「なんで、おれはあんたと出会っちゃんだろう」 心を許した一番精神的、肉体的距離の近いコンラッドのことさえ、信じられない。 ああ、こんなどうしようもない人間になるくらいだったら、 「コンラッドを好きになりたくなかったよ。いや……――おれなんて生ま、れ、」 「生まれてこなければよかった、ですか? そんなこと、あなたの口から言わせませんよ」 コンラッドの低い声が途中で重なり、ユーリは両頬を彼の大きな手、片手で掴まれる。まさか、彼が乱暴な行動をするとは予想をしていなかったので、ユーリの宙をさまよっていた目は反射的にコンラッドの顔、瞳を捕らえた。互いの視線が絡む。 コンラッドの怒りに満ちた瞳と、まなざしが思い出したくない記憶をフラッシュバックさせた。ドラマの結末と、テンカブでの戦い。さまざまな思い出がぐちゃぐちゃに脳内で再生されていく。 「や、やだ、いやだ、やめろ、コンラッド!」 コンラッドの目が怖くて、ユーリは叫んだ。しかし、じたばたともがいても身動きがとれない。なら、絡みあう視線だけでもはずそうとユーリは瞳を足元へと向けようと動かした。 「逸らすな!」 が、それはコンラッドの一喝によって憚られた。 普段、敬語を使用をするコンラッドが、そのことを忘れたかのように声を荒げた。 ――コワイ。 恐怖がユーリの感情を支配していく。 「……あんまり、馬鹿なことを言ってこれ以上俺を怒らせないでくださいよ」 「ん、ぅ、」 キス。そんなものではない。力づくに唇を押し付けられる。息ができない。 とっさに彼のキスを拒むため、唇をくいしばるが、愛撫とは呼べない強さでコンラッドが下唇を噛まれ、痛みで口を開いてしまった。口先を割って彼の舌が口内進入し……犯される。 これまで、数えきれないほど彼とケンカをしてきた。怒りから情事に無理やりもつれこまれたこともある。けれども、恐怖でからだが動けなくなることは一度もなかった。 コンラッドの舌が縦横無尽に口内を動きまわる。脳に酸素がたりないのか、徐々に意識がぼんやりとしてきた。彼が自分の発言に対して怒りを覚えたのはわかるが、ひどいことばをぶつけすぎてどこで爆発したのかわからない。 ……いや、そもそも。 そもそも、元を辿ればコンラッドの行動に不審なところがあったからだ。彼を信用しない自分も悪いが、強姦のようなキスをされるいわれはない。屁理屈な考え方だ。しかし、徐々にからだのオフになっていたスイッチが怒りによってオンになっていく。だが、力の差は歴然。平凡な男子高校生が百年も軍人をやっている男に叶うわけがない。コンラッドの胸板を叩いたところで彼の腕のなかから逃れることはできない。しかしこの男にだって鍛えるのが難しい部位はある。 口内の酸素を奪われ、絡んだ舌を思い切り吸い上げユーリは捕えて、噛んだ。 ――ガリッ! 鈍い嫌な音と唾液とは違う液体、鉄の味が口のなかいっぱいに広がった。その瞬間に、コンラッドの表情が痛みで歪んだが「痛いですよ」ととがめられただけで再び口を塞がれる。 血の味がするキスは、気持ちが悪い。口内に溜まった唾液を飲み込むたびに吐き気が襲う。コンラッドもきっと同じだろうにキスは彼が満足するまで続けられた。そうしてようやく互いの口唇が離れたときにはユーリは涙を流しながら床に膝とついていた。 「俺は謝りませんからね」 「……うるせえよ」 こんなときに謝られたら、胸倉を掴んで殴っている。 ユーリは長く息を吐きながら、床を見つめた。 「……ユーリ」 「……」 答えてやるものか。荒い息さえ聞かれたくなくてユーリは口をきゅっと噤んだ。 「ユーリ、こちらを向いてください」 「……」 もういい。重い感情を持ち合わせた男などさっさと振ってくれればいい。赤い糸は彼と繋がっていなかったと実感させてほしい。このままで彼のことばを無視していればきっとまた怒りで別れ話をしてくれる。 別れるのは嫌だけど。そうするしかほかにない気がした。 「ユーリ、言いたいことがあるなら言って? 教えて?」 顔をあげないと悟ったのか、コンラッドが屈む。屈んで、抱きしめた。彼の体臭が鼻を掠める。好きな匂いだ。この匂いもいつかだれかのものになってしまうのか。そう思うと鼻の奥がツンとする。 「俺はあなたとしか恋愛しません」 「……悪いけど、いまのおれにはそのことばが信じられないんだよ」 突き離されるのもいやだが、甘いことばも受け入れられない。女々しい男。以前同じクラスの女子が言っていた。自分の悩みを相談ときにはもう己のなかで悩みはおおよそ解決していると。あんなのは迷信とユーリは思う。 だれかに相談したわけではない。けれども、いま悩みの種である本人に打ち明けたところで解決の糸口などみえてこないのだ。なにもみえない。赤い糸と同じ。 「いつもだったら、なんでもないようなことだってわかってる。でもさいきんはそう思うことができない。あんたになんでもないよって言われるだけで胸がざわつくんだ。それが自分でもめんどうなやつだってわかってる」 でも、どうすることもできない。 「……あんたさいきんツェリ様の花園に出入りしてたよな。あれはなんで?」 ここまでみじめな姿をみせてしまえばどうでもよくなってきた。コンラッドの『あなたとしか恋愛をしません』を全部信じたわけではないが、それでもこんな自分でも受け入れてくれたらという願いはあった。 ずっとコンラッドに言いたかったことを、ユーリは嗚咽まじりにたずねた。わずかにふたりの間に神妙な雰囲気が漂ったあとコンラッドはため息をついた。途端にユーリの背筋に冷たいものが走る。愛想を尽かされる覚悟はできていたが、それでも冷静でいられない。 「俺がほかのひとと逢引きしてると思ったんですか?」 ユーリは答えない。答えなくともあの質問をした時点でコンラッドに質問の意味は伝わっている。 「たしかにひととは会っていましたし、あなたに尋ねられたときも詳しくは説明しませんでした。ユーリがなにか不安に感じていたのも知っていましたが……」 そこでことばを区切ると、コンラッドはユーリの腕をひいて立ち上がらせる。 「詳しいはなしはあちらでしましょうか」 言って、コンラッドが指を差したのは自分の予想通り花園だった。 next |