spoiled

 時折、おれはものすごくコンラッドに甘えたくなる。ぐずぐずに甘やかしてほしいときが。そういうときはなんとなく定期的にやってくる。
 大人になったとひとに褒められて喜んでもっと成長したいと思うときにふと、やってくるのだ。たぶん、これは自分のなかにある幼稚返りみたいなことかもしれない。コンラッドも知っている。はなしたとき彼はとてもやさしい顔で「きっと、ユーリのなかで背伸びをして我慢をしている部分がそうさせているのかもしれません。だってあなたはまだ十八歳ですから」と言い「あなたを甘やかしたいといつも思っているから、うれしいですよ」とも言った。



 やっとのことで、もぎ取った三日の休暇。初日の今日は、城下町で日本でいう祭りのようなものが開催されると聞いて、午前中にふたりで町へと出かけた。(このときすでにおれはコンラッドに甘えていて、彼の愛馬ノーカンティでタンデム)出店している屋台という屋台を巡り歩き、食べ歩いた。普段であれば屋台の商品をみているとき「これが欲しいんですか?」尋ねられてもたいていは首を横に振って欲しいものは自分のお小遣いの範囲で選び購入する。
 けれど、今日のような甘えん坊になっている日は彼に買ってもらうのだ。
 日が暮れるまで十分に祭りを堪能し、ほっと息を吐くと充実感に包まれたからだにほどよい疲労がじわじわと巡る。
「ユーリ」
「ん、なに?」
 屋台に設置してある簡易いすにもたれながら聞き返すとコンラッドは「この近くに馴染みの男が経営している宿屋があるんです。もしよろしければ、今日はそこに泊まりませんか?」と言い、加えて「グウェンダルには出発前に外出先で宿泊するかもしれないとは言ってありますから、あとでお説教を受けるようなことはありませんよ」といたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。
 コンラッドはおれを甘やかす機会があるとほんとうにとことん甘やかす。書類整理で追われるこの時期は連続で三日の休暇をもらえることはまずありえない。おれだって休暇のお許しをもらうためにいつも以上に仕事をこなしていたが、それでも日を空けて一週間に二日もらえたらいいほうだと思っていた。けれど、三日ももらえた。渋々という感じにグウェンダルが三日の休暇をくれたのだ。コンラッドに「三日休暇がとれた」と報告したとき彼は、すこし驚いたような顔をしてから「それはよかったですね」と言ってくれたが、おれには全部お見通しだ。コンラッドの驚いた顔が演技だったこと。おそらく、コンラッドが三日の休暇がとれるように根回しをしたんだ。似てない三兄弟の共通点はみんな頭が頑固なところ。三日も休めば執務室の書類が唸るようにたくさんのタワーを作る。それをわかっているグウェンダルは絶対折れないはずなのに、一体コンラッドはどんな口話術を使ったのか。
「どうかしました?」
「……いや、あんたって怖いなって思っただけ」
 一体なにが、ということは口にはしなかったがおれの表情とニュアンスで察しがついたのだろう。「ちゃんと相互が納得できる形をとった話合いですよ」と笑った。話合いっていうか取引きじゃないかなと思ったが、その考えも彼にはお見通しのようだ。
「大丈夫、あなたに負担をかけるようなことではありませんから」
「ならいいけどさ」
「で、どうするんです?」
 コンラッドの癖だ。おれは手に持っていた焼き鳥みたいな串焼きの肉を頬張って答えた。
「もちろん、お願いします」
 コンラッドの癖。相手の答えを知っていて尋ねること。
 だっておかしいだろ。血盟城に帰るんだったらお腹いっぱいに食べない。料理人さんが美味しい夕飯を作って待ってくれているから。
 なによりコンラッドは、おれを甘やかすことに長けている。

 ――そうして、再びノーカンティでタンデムされながら行き着いた場所は城下町の中心からはなれたところに建つ宿屋だった。外観はこじんまりとしたオレンジ色の煉瓦屋根が印象的な見た目喫茶店のような宿屋。夕暮れの闇色に染められたなか、店からのあたたかい色が窓からこぼれていて、気持ちがほっこりする。宿屋からおいしい匂いがして、たくさん食べたはずなのにおなかを刺激した。
「この宿屋のチキンスープと麦パンはおいしいと評判なんです。あとで夜食に頼んでおきましょうか」
「おう!」
 元気よく返事をするとコンラッドが「食欲旺盛なお年は怖いな」と冗談めかして笑った。
 宿屋の主人はコンラッドが隊長と呼ばれた一団、ルッテンベルク騎士団の生き残り、戦友だという。
 ルッテンベルク騎士団と聞くとおれは胸が痛くなる。あの時代にあったことをいろんなひとから聞き、学んだが実際に体験をしていないおれにはみんなの悲しみや怒り、苦しみを想像するしかできない。想像するたび、きっとおれの想像よりもずっとひどいものだったのだろうと感じ、一層胸が痛むのだ。
 みんなはとても強くて、やさしい。
 やるせない気持ちが胸のなかでぐるぐるとまわってなんて声をかけていいのかわからないおれのことを気遣ってくれる。
 ――そのお気持ちだけで十分です。
 そう言ってみんな笑う。おれには、みんなにありきたりなことばしか口にできない。きっとこの話をするたびに言われることばたちで、それらはみんなの心の傷を癒すことなどできないからいつもおれは自分を情けなく思う。でも、みんなはあの出来事にたいしてそれぞれが区切りをつけている。だから、あんなにやさしく笑えるのだろう。
 同じ傷を共有しているひとたちが笑いあうのをみるたびに、すこし切なくて、うれしい。
 傷は完全には癒えない。だけど触れば生んでしまうようなカサブタでなく、傷痕が残っても触れても傷口が広がらないものにしたい。そんな、あたたかい世界に。
 コンラッドと宿屋の主人の談笑をすこし後ろでみつめる。
 おれの視線に気がついたのか、コンラッドが振り向いた。主人もこっちをみた。今日はお忍びルックだけど、主人もおれの正体はばれているんだろう。でも、詮索するような雰囲気はなくおだやかな笑顔をみせて会釈をしてくれた。
「こんばんは、あいさつが遅くなってしまい申し訳ありません。この宿の主、ヘルマンと申します。入手困難な銘酒とじっくり煮こんだチキンスープが宿の自慢です。どうぞ、素敵な一夜をお過ごしくださいませ。ええ、と名は……」
「あ、カクノシンといいます」
 正体はバレていると思うが一応のために偽名は名乗っておこう。
「カクノシンさま。そしてコンラート閣下、こちらが部屋のカギです。二階の一番端の部屋ですので」
「ありがとう」
「あ、閣下すこしお待ちくださいませ」
 主人は、呼び止めるとカウンターの後ろの壁にぎっしりと並んだ酒瓶のなかから一本を手に取って戻ってきた。
「これは私からのプレゼントです。受け取ってください」
「しかし……」
 酒について知識のないおれでもわかる。主人がコンラッドに渡したお酒はきっと貴重で高いものだ。コンラッドも「こんな貴重な酒はいただけない」と顔を横に振ったがどうしてももらって欲しいと主人の熱意に負けて「悪いな、ありがとう。大事にいただくことにするよ」と酒を受け取った。直後、うれしそうに主人がなにかをコンラッドに耳打ちし、ふたりして笑う。
「では、改めて。お部屋でじっくりおくつろぎください」と、主人はカウンターの奥へと行ってしまった。
「……なにをはなしてたの?」
 甘えん坊(こども)スイッチが入りっぱなしのおれは、無意識に彼の右裾をひっぱって尋ねた。コンラッドは「部屋に着いたら教えます」と裾をもっていたおれの手を左手ではずし、ふたりの手を繋ぐ。いつもならひとがいないとしてもいつみられるかわからないので『公衆の面前でなにをやってるんだよ』と彼の手を払うが今日は「わかった」とおれは頷き、手を握りかえす。恥ずかしさよりなによりいまは彼に甘えたいのだ。
 階段を昇り、廊下のさきにある部屋にたどり着いた。部屋の扉はアンティーク調で細かい装飾が施されている。鍵を開け室内に踏み入れると木製の家具で統一された横長のソファーとシングルベッドがふたつ。それとローテーブルだけのシンプルなものだったが、落ち着く雰囲気があってセンスの良さが伺える。
 店や屋台で買った夜食ともらった酒をコンラッドがテーブルにおく。
「チキンスープは朝食に運んでもらうようにいいましたので、今夜は町で買ったものを適当でつまみましょうか」
「うん」
 頷いて、テーブルにおかれた酒瓶をまじまじと眺めた。
「ユーリも飲みます?」
 食器の並んだ棚からグラスをふたつ取り、コンラッドがからかうように尋ねた。
「わかってるくせに。おれは禁酒喫煙主義なの。ただラベルとかおしゃれだし、どんな色なのかなって気になっただけ」
「それは残念だ」
 グラスを片手に、コンラッドが視線でソファーに座るように促す。おれは言われるがままに横長のソファーに腰をかけた。すると、彼はローテーブルをソファーの近くに引き寄せておれのとなりに座る。
「栓抜きがなかったんで、ちょっと品のない開け方をしますが、許してくださいね」
 品のない開け方? 一体どういうものなのか。おれは小首を傾げつつ「どうぞ」とコンラッドをみつめた。
「では、おことばに甘えて」
 コンラッドは腰のホルダーから小型ナイフを手にとるとコルクの中心にそれを差し込んでゆっくり栓を引き抜いていく。半分までコルクが抜けるとナイフが抜けてしまった。もう一度差し込むのかと思いきや、彼には想定内のことだったらしい。ナイフをしまうと、コルクを噛んだ。
「っ!」
 コンラッドは想定内のことだろうけど、こっちは予想外
のことだ。いたずらに彼は目でおれの動揺を笑い、慎重に噛むちからを加減しながらコルクを引き抜いていった。抜ける瞬間キュッ、と音が鳴る。「コルクが思ったより柔らかったので、一本飲むつもりであけちゃいました」と、コンラッドが笑う。好青年と言われる男がふとしたときにがさつな行動や仕草をするとどうしてこうも色っぽくみえるんだろう。兄の勝利が、コンラッドと同じように口でコルクを抜いても格好いいとか色っぽいとは思わないのに。
 これも惚れた欲目というやつなのか。
「一本飲んだら酔うんじゃない?」
「軍人をやっていたころは、安くてアルコールの強いものばかり飲んでいましたから、一本では酔いませんよ」
 彼は言い、ふたつのグラスに酒を注ぐ。
「えっ、おれは飲まないぞ?」
 あわてて声をかけるが「形だけです」となみなみにグラスに注いだ。酒は琥珀色をしていて、昼間コンラッドが見せる目の色にそっくりだとおれは思った。
「まあ、形だけなら……」
 片方ずつおれたちはグラスを手に取る。
 禁酒禁煙主義のおれだけど、大人になったら酒を飲んでみたいなとすこしだけ思った。一本の酒をコンラッドと分けながら夜通しはなすのを想像したのだ。
「では、お仕事おつかれさまでした。美しいあなたに乾杯」
 歯の浮くようなセリフに頬が熱くなって目を背けた俺をお構いなしにコンラッドはグラスをぶつけ、酒を仰ぐ。
「ユーリのもいただきますね」
 グラスを取るかと思いきや、おれの手にコンラッドは自分の手を重ねて二杯目も水のごとくするすると飲んでしまった。
「ごちそうさまでした」
「そんな飲みかたして、酔ってもしらないからな」
 呆れ口調で窘めると、コンラッドは「大丈夫ですよ」といつの間に購入していたのか、買い物袋のなかからぶどうジュースの瓶を取り出した。おしゃれなパッケージのそれはおれのお気に入りのジュースのひとつだ。空になったグラスにぶどうジュースを注ぐ。
 ジュースの注がれたグラスからは微かにさきほどの酒の香りがする。
「……お酒飲んでるみたいな気分だ」
「酒の香りが気になるのでしたら、グラス洗ってきますよ」
「ううん、大丈夫」
 グラスに口をつける。果汁百パーセントのぶどうジュースは濃厚で砂糖をさほど使用していないと聞いたがとても甘くておいしい。おいしくて、自然に口元がゆるんでしまうとコンラッドの視線に気がついた。
「コンラッドも飲む?」
「いえ、俺は酒を飲むので大丈夫です。……酒には酔いませんが、あなた一緒となると、べつかもしれませんね」
 コンラッドの言いたいことがなんとなくわかって、額にしわが寄る。
「しわを寄せてどうしたんです?」
「……あんたの言いたいことがわかって、思わずね。どうせおれに酔っちゃうとか言うんだろ」
「よくわかりましたね。さすがはバッテリーということですか」
 それとこれとははなしがべつだ。
 ジト目で見るも、好青年と同じくらいコンラッドが称される夜の帝王が顔を出していた。淡い室内の橙色のランプにブラウンの瞳が昼間の光とは異なる色を帯びている。笑顔甘いのに注がれる視線の奥には獣がいて背中がぞくり、と震える。
 腹のおくにふつふつと瞳の獣に誘われるようになにか生まれて、食道、喉を通り、頭で考える間もなく声になる。
「キスしてもいい?」
 自分でも驚くくらいに甘い声音だった。
「いいですけど、お酒くさいかもしれませんよ?」
 疑問口調ではあるが、それはあくまで口ぶりだけでコンラッドとおれの距離は吐息がかかるほどに近い。
「ほんとだ。じゃあやめようかな」
 言って、コンラッドの顔を手でやんわりと押し退けると手のひらをべろりと舐められた。手首をつかまれている状態なので引っ込めることもできない。手のひらに口唇を押しつけたままで「甘えん坊になっても天邪鬼なところはあいかわらずだ」と彼は言う。
「ほんとうはキスがしたくてどうしようもないくせに」
 否定も肯定も口にはしなかった。ただおれは軽く首をたてにふる。そうしてやっと手を開放される。
「男を誘うしぐさがますますとお上手になられた」
「あたりまえだろ。あんた好みの男になってるんだもん」
「それはそれは男冥利に尽きますね」
 夜もふけるにつれて、だんだんと甘え癖もひどくなる。身を乗り出しておれはコンラッドの鼻先を噛んだ。
「……そういえば、ヘルマンさんになにを言われたの? ふたりで内緒はなししてたろ」
「おや、焼きました?」
 お返しとばかりにコンラッドに鼻を齧られ、顔じゅうにキスをされながらふたりでソファーに沈む。
「ヘルマンに注意されたんですよ。閣下、いつものすまし顔が崩れてますよってね。しかたないと思いません? あなたとデートなんですから」
 顔に落とされていたキスが唇へと寄せられ、おれは彼の上唇をぺろりと舐めた。酒の苦味がほのかにする。誘惑するように舌を出すとすぐに舌を絡められた。酒を飲んだわけじゃないのに、舌が痺れてくる。
「……っぁ、いじわるすんな。もっと」
「もっと?」
 催促をすることばに普段であれば『調子にのるな』と一喝してしまうところだけど、今日はそんな余裕がない。おねだりをすればすぐにぐずぐずになってしまう甘さを彼が与えてくれるのを恥じる余裕はない。
「もっと、気持ちいいとこさわって」
「……普段のあなたもたいへん魅力的ですが、甘えん坊のユーリがどろどろに甘やかしたくなる」」
 後頭部にコンラッドの手がまわり、よりキスが深くなる。与えられる快感と水音、それと酒の味でどこもかしこもぐずぐずだ。
 気持ちのいいポイントばかりをさきほどのコンラッドの発言そのままに甘やかすように口内でもっとも感じる場所、上顎を重点的に愛撫をされてからだが無意識に電流を受けたみたいにはねる。でもそんなことをいいながら彼は、おれが甘えん坊になると普段よりも意地が悪くなる。
 いまだってそうだ。
 突然、コンラッドの口唇がはなれて、名残惜しいことを示す銀糸がふたりの間にのび、おれはそれを指で断ち切り見せつけるように、舐めた。
 コンラッドは、どんな風におれを扱えばより甘えん坊になるのかを知っている。
「いやらしい顔、たまらないな……」
 乱暴に酒をグラスに注ぎ、じっとおれを見つめながら酒を飲む。そこにはもうやわらかいやさしい笑みはもうない。ニヒルな笑みを浮かべた獅子がいて、また彼の癖がでた。
「また、してほしい?」
 コンラッドに魔力がないなんてうそだ。じゃなきゃ、こんなに思考がおかしくならない。
「して」
 欲望の塊が声になる。
「キスだけじゃ、終わらないかもしれませんよ」
 そんなこと最初から知っているくせに。彼は尋ねる。
「それでも、ほしいの?」
 時折、おれはコンラッドに甘やかしてもらいたくなる。だれかのことを考え想うのではなく、コンラッドと自分のことだけを想いたくなるのだ。
「たくさん、ほしい」
 獣の瞳を持つ彼が大きく口を開けた。赤い舌が見える。
「どんな風に?」
 甘えん坊になってもおれはしたいことやされたいことすでて積極的には口に出せない。コンラッドに促されてはじめてすべてを口にだせるのだ。理性のリミッターがはずれていく。いままで我慢していた気持ちがぐちゃぐちゃになってひとつになり、涙がこぼれた。
「いっぱい、甘やかして。あんたがおれを愛してるってこと教えて」
 ソファーが軋む。
「泣かないでください。いまからもっと鳴いてもらうのに」
「なく、のニュアンス違うぞ。ま、どっちでもいいけどね」
 甘やかしてもらうことには、愛を実感するには泣くも鳴くも同じことだ。
 どちらともなくじゃれあうような三度目のキスをする。
「たっぷりおかしくなるくらいに甘やかしてあげるから覚悟しててくださいね」
 コンラッドがおれの喉に噛みつく。
 そこから甘いものが広がっていくのを感じながら、きっとのちにソファーから浴室、ベッドといろんなところでとろとろに甘やかされてふたりで朝を迎えることになるんだ。
「あー最高にいましあわせ」
 彼の背中に手をまわし、互いのなかにある瞳の獣が絡み合う。
「俺も最高にしあわせです」
 いまだけは、理性も恥じらいも躊躇もいらない。必要なのは自分たちの欲望。
 これから何十年さきもおれたちはこんな日を何度も繰り返す。
 甘やかして、甘やかされて一日中べたべたしている。
 こんな日があるから、おれは明日を頑張れる。

END






第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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