いっそのこと狂ってしまえ



 スタツアから行きついたさきは、自宅の浴室だった。ばしゃん、と大きな水音を立てて帰ってきたというのにだれも浴室にくる気配がない。
 それを不思議に思いながら浴室、脱衣所を出てリビングへと向かえば明かりがついていなかった。
 部屋の明かりをつけるとテーブルには母親が兄である勝利に宛てた置き手紙が。
『今夜は遅くなります。冷蔵庫に夕食があるので温めて食べてね』
 柱にかけてある時計を見れば夜の二十時過ぎをさしている。おそらく、勝利もまだ帰ってきていないのだろう。冷蔵庫を開ければ、手づかずの料理がある。
 ユーリは、それを確認すると手早く部屋に戻り適当に服を選びすぐさま家を出た。
 いま家族に会い、あちらのことを聞かれたりやさしいことばをかけられたら――八当たりをしてしまいそうだ。
 コンラッドに向けられた視線、ことばが脳裏でぐるぐるとまわり下唇を噛む。
 あれでよかったと思っている。あの結果は自分は願っていたのに関わらず胸を燻るのは後悔。いまさら後悔してもどうにもならないというのに。心のどこかで、まだ修正がきくのではないかと考える自分に腹が立つ。
「もう、戻れない……」
 自分に言い聞かせるようにユーリは呟く。
「戻れないんだ」
 胸元にある魔石の首飾りを握り、財布と定期。それから携帯電話をパーカーとズボンのポケットに押し込み階段を降り――逃げるようにして家から出た。
 修正などできないほど、完膚なきまでにこの想いをずたずたにしたい。理想とするコンラッドとの関係を築くのはもう目の前なのだ。
『淫乱ですね』
 という男の声が耳元で聞こえたような気がした。
 そうだ、自分は淫乱だ。
 この熱を冷ますには、だれかに慰めてもらわなければいけない。

 
 ――そうして電車に乗り込み、行きついた歓楽街で、ユーリは声をかけた。ここは、よく知られる同性愛で賑わう色街。
「ねえ、おれと遊びませんか?」
 声をかけたひとは、退屈そうにバーの前でたばこを吸っていた。雰囲気がどこかあの男に似ている。
「遊ぶ?」
「うん。……ホテルで朝まで」
 猫が甘えるような声音で、上目づかいに有利は男のスーツを掴む。どういう仕草をすれば、相手を揺さぶれるのか、房事で教わっている。まさか実際にするとは思わなかったが、思いのほか上手くいったようだ。
「いいよ」
 男が笑んだ。瞳に情欲を孕み顔が近づいて互いの口唇が触れ合い人目も憚らず水音を立てながら深いキスをすれば、下肢に熱が集まっていくのをユーリは静かに感じた。
「なにを笑っているの?」
 尋ねられてユーリは、はじめて自分が笑っていることに気がついた。
「……キスがうまいなって思って。慣れてるんだね」
 と答えれば男は嬉しそうにより笑みを深くする。
 キスは房事を教えてくれた講師のほうがずっと上手だ。笑っていたのはキスのことじゃない。
 ――自分がどんどん、墜ちていくのを実感しているからだ。
 希望もなにもかもいらない。欲しいのは、もう手に入らない。
 なら、いっそ狂ってしまおう。望むのはそれだけだ。

ここまできて、後悔してたまるものか。
thank you:怪奇

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