Nina2-3


 久しぶりに楽しい食事をした。
 食後のジャスミン茶(ホット)をちょこちょこと啜る少年を見つめながらコンラートはとても機嫌がよかった。
 時間が経つと徐々に警戒心もほぐれたのか、野球観戦のときよりもニーナはよくしゃべった。気分が高揚すると彼はからだや表情で感情をあらわすのが癖らしい。身ぶり手ぶりを交えながらころころと表情を変えるニーナはとても可愛らしかった。
 ときおり女性と食事をすることはあるが、みなひとの顔色を伺ったり、愛らしい仕草を故意にみせるときがある。自分を好いてほしいという気持ちの表れなのかもしれないが、そのような故意にコンラートは気づくと毎回気分が覚めてしまうのだ。けれど、ニーナは、ありのままをコンラートにみせてくれる。しかし、無理に相手の素性を聞き出そうとはない。ネットを通じての関係だからなのかもしれないが、それでもコンラートをコンラートとして扱ってくれるのがとてもうれしかった。
 思わず笑ってしまう。ふとした仕草が可愛らしい。なんて思うのはひさしぶりだった。
 楽しくて時間が過ぎるのを忘れてしまう、ということを実感したのは今回がはじめてだ。
 店に設置してある大きな時計が九時を告げる。
「あ、もうこんな時間か。ごめんな。おればっかりはなしてて」
「いや、そんなことないですよ。ニーナのことが知れてうれしかったし、こんなに楽しい食事は久しぶりだった」
 するとニーナは怪訝そうに眉をひそめた。
「なに?」
「久しぶりに楽しい食事って……コンラッド、恋人とうまくいってないの?」
 ニーナのことばにコンラートはちいさく笑い首を横にふる。
「いないよ。恋人なんて」
 声がわずかにさきほどよりも明るくなる。ニーナが自分にたいして恋愛感情を持っていないことは知っているけど、恋愛関係のことに興味をもってくれたことがうれしかったのだ。
 コンラートの返答に驚いたように、ニーナは目を丸くする。
「正直、人づきあいがうまいほうではないので友人もとてもすくないんです。人見知りもあって……だから、だれかと一緒にいること自体久しぶりだったりします」
「コンラッド、男のおれでも見惚れちゃうくらい格好いいから恋人いるのかと思ってた。あと友だちも」
「ニーナは恋人いるの?」
 尋ねると、ニーナは盛大にため息をついて「いないよ」と答えた。拗ねたようにツンと尖る口先に自然と目をひく。
「生まれてこのかた恋人なんてできたことないよ。おれモテないもん」
 今度はコンラートが目を丸くする番だった。そして、心音が自然とはやくなる。
「そうなんですか?」
 なんでもないような口調でちゃんと言えただろうか。喉の乾きをおぼえて水を含んだ。
「そうだよ。なんていうか、男友達って感じでしかみれないんだってさ。男女間の友情って成立しないっていうけどあれはうそだよ」
「……そうかもしれませんね」
 事実自分はニーナにたいして友情ではない感情を抱いている。……それを告げようとは思ってはいないけれど。
「それでは、そろそろ行きますか?」
「うん」
 テーブルにのっていた料理はもうほとんどか空っぽでにぎわいをみせていた店内もひとがちらほらとまばらだ。ニーナが仕度を終えたのを確認するとコンラートは手早く伝票を取り店員に渡す。
「あ! いいよ、おれも出す」
 コンラートが財布から万札を取り出したところであわてたようにニーナは声をあげ、ポケットから財布を出した。コンラートはそれをやんわりを押し返す。
「好き勝手にメニューを頼んだのは俺だから、気にしないで」
「いや、でもほとんど食べたのおれだし……」
 と、言う彼をよそにさっと会計を済ます。店員からおつりをもらうコンラートの姿にニーナは不服そうな表情を浮かべたので「格好つけさせてください」と苦笑いを浮かべた。
「もう十分、コンラッドは格好いいと思うけどな。……あ、じゃあもしよかったらまた会えない?」
 ひらめいたように顔をぱっと明るくさせてニーナが尋ねた。
「こんどはおれがご飯奢るからさ! 安くていいお店っていってもラーメン屋だけど知ってるんだ。……あのこれを機にコンラッドともっと仲良くなりたいし、だめかな?」
 おずおずと携帯を見せたニーナにコンラートは「もちろん」と答えた。
 矢次のように返答してしまった自分と、きょとんとしたニーナの表情に柄にもなくうろたえてしまう。
 これでは、せっかくニーナが格好いいと言ってくれたのに、台無しだ。
 どことなくぎくしゃくしながらふたりで店の外にでると、ニーナは耐えきれないようにぷっと吹き出し、肩を震わせて笑いはじめた。
「コンラッドって本当に友だちすくないんだな。あんなに動揺するなんて思わなかった。赤外線でおれのアドレスと電話番号送るから」
 動揺したのは、きっとニーナだからだ。あなたと直接会うまえから恋をしていたから。指先が緊張し、震えているのがわかる。
 携帯電話を向き合わせて数秒。液晶画面に受信しました、と簡易な文面が表示される。
「おれのことはこれからニーナ、じゃなくて有利って呼んで。渋谷有利」
「……ユーリ」
「うん」
 あたり前のように返事してくれる。それがうれしくてコンラートはもう一度ニーナの本当の名を口にした。


* * *


 ――びっくりした。
 有利はベッドに寝そべり携帯の液晶画面をみつめる。
<今日はとても楽しかったです。またどこかへ出かけましょう>
 短い文章。絵文字もなにもないそっけない文面だが、それでも画面はとても明るくみえた。コンラートもといコンラッドは、有利の想像をはるかに上回る男だった。
 外国人で、背の高く美声でイケメン。それでいて紳士。愛車は最高級のメルセデス・ベンツ。人柄も良いのに友人も恋人もいない。聞き上手な彼に、自分はよくしゃべった。
 なによりびっくりしたのは、自分の行動だったかもしれない。もとよりネットでは彼と交流はあった。けれど、野球観戦に誘われてオフで会ったこと、それからメールアドレスを交換し、自分の本名を教えたこと。自分のとった行動に後悔はない。けれど、あまりにもそれらに対して抵抗感がなかったことにいまさらながらにおどろく。
 また、いままでようにネットだけの関係に戻るのはもったいなくて、さびしいと思ってしまった。
 コンラッドへの返信をどうしようかと悩んでいるとふいに連絡交換をしたときの彼の表情を思い出してちいさく笑う。
「あんなにおどろいた顔して……そんなに友だちが欲しかったのかな?」
 故郷を離れ、大人になると仕事の付き合いでしかひとと関わることがないのかもしれない。
 本名を教えたあとコンラッドが名前を呼んだ。
『ユーリ』
 聞きなれた自分の名前のはずなのに、どういうわけだか、彼に呼ばれた自分の名前ははじめて聞いた音だった。一瞬、自分の名前だということがわからなかったくらいに。
『――俺の故郷では七月をユーリと言うんです。夏を乗り切って生まれた子は祝福される。あなたにぴったりの素敵な名前ですね』
 と、コンラッドが言った。
 自分の名前が嫌いではなかった。だが苗字の渋谷とくっついて『渋谷有利』になると『渋谷が有利なら原宿は不利なのかよ』とからかわれてあまり好きにもなれなかった。でもいまはちがう。
「……ゆうり」
 自分の名を口にしてみる。自然に笑みが浮かんだ。今日、コンラッドと出会って、自分の名前が好きになった。大事そうに名を呼んだコンラッドの声が何度も頭のなかで響く。
 なんの気なしにはじめたオンラインネット。何億人という存在のなかで彼と会えてよかったと有利は今日一日を思い返して思った。
 返信文を考えて数十分。打ち出してコンラッドへとあてた文章はとても短かった。
<おれもとても楽しかった! 誘ってくれてありがとう。美味しいご飯もごちそうさま。また、遊ぼう>
 絵文字や顔文字をつけるか迷ったが、やめた。自分には似合わないし、つけなくてもきっと彼には自分の気持ちはちゃんと伝わってるような気がしたのだ。
 明日、学校から帰ったら、パソコンをつけてみよう。コンラッドがなにか呟いているかもしれない。
 そうして気がついた。最近サイトをオンラインにして最初に目を通すのはコンラッドの呟きだったことを。
 ずっと自分は彼のことを気になっていたのかもしれない。どうして、こんなに気になっているのかよくわからないが、今日コンラッドと会って、はなして、友だちになれたことを有利はとてもうれしく感じながら、ゆっくりとおとずれていた睡魔に身をまかせるようにして目を閉じた。








 

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