放課後の最終放送が校内に響く。このアナウンスが流れるころには、部活動に勤しむ生徒がまばらにいるだけだ。部活動に励む生徒のほとんどが運動部で、校庭で帰宅の準備をしている。
 俺はそれを校内点検している窓から見ながらある場所へと向かう。自分の使用が許されている別棟のちいさな教室へと。そこに、愛おしいひとが待っていて、考えるだけで胸は幸福に包まれる。自然と早足になってしまうのと口角に笑みを浮かびそうになるのを必死に抑えてひとつひとつの窓を点検し、待ち遠しかった部屋のドアを開けると、机に英語のテキストを広げながら苦悶の表情を浮かべる生徒がいた。
「お待たせしました。……どこか、わからないところでもあった?」
「お、お疲れ様! え、ええとここがちょっと」
 ノックをしなかったのがいけなかったのだろうか。彼、渋谷有利。(通称、ユーリ)生徒であり、やっとの思いで手に入れたかわいい恋人は慌てたようにぎくしゃくとした動きをみせた。
「なにやら驚かせてしまったみたいだ、ごめんね」
 ユーリの向かいの椅子に腰をかけて、開かれたテキストに目を移す。「どこがわからない?」と尋ねてみると、つっ、とユーリの指がある英文を指さした。まだ成長過程にいるユーリの指はすらりとしなやかで夕焼けのひかりに反射してとても美しくみえる。いままで、何度か恋人ができて、愛を囁いたこともあったが、ひとつひとつの仕草や部位にこうして目を奪われたことはない。そう思うとどんなに自分がこの少年を愛しているのか改めて思い知らされる。
 俺は、ワイシャツの胸ポケットからシャーペンを取り出して、説明していく。が、どこかおかしい。彼はひとつのことに熱中するタイプなので、勉強をすると言ったらそれにまっすぐな姿勢で取り組むというのに、今日はなぜだかそわそわしている。
 一体どうしたのだろう。
 尋ねてみると、ユーリは動揺したように視線を泳がせ、ちいさく口を何度か開閉させ「なんでもない」と答えた。
 ……なんでもないようには見えないんだけど。
 と、思ったが追及して嫌われたくはない。とても気になるが、俺は「そう。ならいいけど」と再び問題の説明を始める。
「ここはね……」
 きっといま説明した部分は、ユーリの頭に入ってはいかないだろう。



 ――一通りの説明を終えて、外はより一層暗くなった。ユーリ以外の生徒の気配はない。裏口にある教員専用の駐車場へとふたりで向かう。まだ、ユーリは考え事をしているようで、会話はすぐに途切れてしまいほとんど無言のまま車へと到着した。
「お邪魔します」
「はい」
 助手席にユーリを乗せ車を走らせる。とてもぎこちない雰囲気が車内を覆う。このまま彼を家まで連れていくのかと思うと胸が蟠る。
 なにを一体悩んでいるのだろうか。俺には言えないことなのか。
 信用をされていないみたいで悲しい。けれど、やはり尋ねることもできない。俺はこんなにも、弱い人間だったのだろうか。
 自傷的な笑みが浮かんでいるのが、街頭の光で反射する窓ガラスに映る。
 もしかしたら、ほかに好きなひとでもできた?
 たとえば、彼の親友である村田くん。同じクラスの武田くんや岡田くん。――いや、女の子かもしれない。異性が相手ではもう自分はどうすることもできない。こちらがどんなに愛していても、ユーリの心に伝わらなければ意味がない。
 少しずつ大人へと成長していく、ユーリ。その途中で、同性との付き合いに疑問を感じたとしてもおかしくはないのだ。
「……はあ」
 気が付くと、気持ちがため息となって零れおちてしまい、動揺する。が、もう遅い。
「せん……あ、いや、こ、コンラッド?」
 ユーリが不安そうに声をかけてきた。彼の顔が、こちらを向いているのはわかっていたが、俺は運転に集中している振りをして、ユーリの視線を無視する。
「もしかして、疲れてる?」
「いや、そんなことないよ」
 マイナス思考に考えてしまうのは、自分の悪い癖だ。ユーリに心配をかけてしまった。笑顔を取り繕ってみたが、ユーリはひとの感情に敏感な子だからすぐにその笑顔が偽りだということに気がついたらしい。ちらり、と表情を盗みみればむっと眉を寄せていた。
「あの……あのね。ずっと考えてたんだけど、おれのはなし聞いてください」
 沈痛な面持ちで口を開いたユーリに息を飲む。
 ああ、やはり別れ話かな。
 運転したまま別れ話を聞くとハンドルミスでも起こしそうだ。すぐに道脇に車と停めてハザードを出す。ついさっき、マイナス思考に考えるのは良くないと自分を窘めたばかりだというのに、頭のなかは別れ話の光景がぐるぐるとまわった。
「……はなしってなんですか?」
 正直聞きたくない。彼に別れを告げられたら今度こそ教師をやめよう。
 ユーリと向き合い、彼のことばを待つ。さきほどよりもきゅっと眉根を寄せて、制服のズボンをぎゅっと握りしめ、俯いたまま――ユーリは、勢いよく口を開いた。
「あの! よかったら、日曜日デートしませんか!」
「……は?」
「こ、コンラッドが疲れてたり、何か用事があったら全然断ってくれて構わないんだ。でも、もしヒマだったらどうかなって思って。いつもせんせ、いやコンラッドから誘われてばかりだからたまにはおれから誘ってみようかな、なんて、あ、でもコンラッドが連れて行ってくれるような大層なところでもないし、面倒だったら本当に断ってくれていいし、あの、だから、もし、よかったら……なんて、あはは」
言って恥ずかしくなったのかユーリは早口でことば並べたて、乾いた笑いをこぼした。きっと頬は赤く染まっているのだろう。すっかりと暮れた暗闇のなかでもわかった。
「日曜日、デートしましょう」
 まさか、ユーリが俺を誘ってくれるなんて夢にも思わなかった。いままでずっと考えごとをしていたのはそのせいだったのか。ほっと安堵の息が落ちる。その様子がおかしかったのかユーリは不思議そうに小首を傾げた。
「……情けないですね、俺は本当に」
「え?」
「あなたに別れ話を切り出されるのかと思いました」
 と、言えばユーリの大きな瞳がさらに大きく見開いた。一拍してから意味をやっと理解したのか、わたわたと手を上下させる。
「そんなことありえないから!」
 ありえない。そのことばがどれほどうれしいものなのか、ユーリはきっとわからないだろう。
「俺はユーリのことになると、いっぱいいっぱいになってしまうみたいです」
 顔を近づけて言うと、ぽっとユーリの頬、それから耳も赤くなる。とても初々しくて可愛い。
 このままキスしたいな。
 思ったが、それだけでは済まなくなりそうで、ぎゅっと彼を抱きしめる。
「日曜日、とても楽しみにしています」
 ユーリが小さく頷いた。

 


口下手なところも可愛いわ
(きみがとても好きだから、なんでも可愛いし愛おしい。好き過ぎるから、不安になるのを許しておくれ。)




thank you:リリトちゃんとギヨくん




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