そして彼は耳元で「愛しています」と囁いた

「はい、どうぞ」
 コンラートは言って、シンニチに目を通していたユーリの肩を後ろから叩いた。
「ん、ありがと」
 テーブルにシンニチを置いたユーリの左手をコンラートは取り、その薬指にさきほどまで磨いていた指輪を通す。自分よりも一回りも細い彼の指はするり、と途中でつかえることもせずに根本に到着する。その指に指輪を通す瞬間はいつもコンラートを幸福な気分にさせる。
「おーぴっかぴかだな!」
 ユーリが左手を天井に伸ばして、感心したように言った。伸ばされた左指――薬指にふたりの視線が集中する。窓から差し込む日差しで一層磨かれたシルバーリングはきらきらと輝いてみえた。
「綺麗ですね」
 言うと、ユーリは頷いて「もう買ってから何十年もしてるのにな」と答えたのでコンラートは「そうじゃなくて」と笑いながらユーリの両肩に手を添えて軽く頬にキスを落とす。
「指輪も綺麗だけど、あなた。ユーリが綺麗だと言ったんです」
 すると、目だけをこちらへ向けてユーリは鼻で笑う。
「ったくあんたって、いつもなにかとつけてはそういうこというような」
 呆れ口調で呟く彼の頬にもう一度、宥めるようなキスをして「ひどいですね」と言い「俺はいつでもあなたの美しさにひかれているのだから仕方ないじゃないですか」と拗ねた口調で返す。彼は子供みたいな口ぶりをする自分に弱いらしい。ユーリの表情が呆れ顔からわずかに楽しそうなものに変わり、右手が自分の髪に差し込まれあやすように撫でられる。自分が猫ならいまきっとご機嫌に喉を鳴らしているだろう。
「ユーリはとても綺麗です」
 もう一度だけ繰り返す。言い聞かせるように。愛しい伴侶であり魔王であるユーリ。彼はその職業柄多くのひとの目にその姿をあらわす。彼の姿を目にした者はお世辞でもなくその都度美貌に思わずため息をこぼし、称賛のことばを口にするので否応なく慣れてしまったが、当の本人は彼らのことばを本気には取らない。恋人である、自分がふとした瞬間、恋人という欲目をおいても目を奪われる。
 そのたびに口にせずにはいられない。こんなにも美しいひとが伴侶で自分のものだと主張したくなるのと、もっと自覚をもってほしいという気持ちで。なのにいまもユーリは「はいはい」とあしらい、再び視線を左手の薬指へと戻す。
「そういえば、この婚約指輪って一緒に地球で選んだんだよな。おれ宝石店なんてはじめて入ってめっちゃ緊張してたのにあんたは余裕な顔してさ。あ、間違えた。余裕じゃないなだらしない顔してたんだけっか」
「だらしないはひどいな。幸せでどうしようもなかったんですよ」
 一生互いにつけるものを選ぶのだから、浮かれてしょうがなかったあのときは。
「そうでしたね。あのときのユーリはびくびくと俺の裾を掴んで下ばかり見ていてとても可愛らしかったです」
 コンラートが言うと、ユーリは照れたのか「うるさい」とぶっきらぼうに今度は撫でつけて手で頭を叩く。こういう照れると思わず手が出てしまうのはいまも変わらない彼の癖で、それもまた可愛いと思う。
「っていうかさ」
「なんでしょう」
「コンラッドっていままでの経験からかもしれないけど、どこに行っても毅然としてるからすごいよな。ほら、みんなで地球にスタツアしたときもおれの家で自然にふるまってたし。おふくろとかに結婚の承諾もらうために挨拶しにきたときだってさ」
 おれ、となりでガチガチだったんだぜ? とユーリは数十年もまえのことを思い出しながら尋ねた。
「そんなことないですよ」
 コンラートは否定して、テーブルに設置してある椅子を引くとユーリのとなりに腰をかけ、はなしを続けた。
「俺はね、正直ひとのいる空間が苦手なんです。言い訳のように聞こえてしまいますが、魔族と人間の間に生まれた忌み子として扱われていたのが原因なのかもしれませんね。もとの根暗な性格に拍車をかけた、というか。どこにいても空気になりたかった。視線が合うと冷たい視線が、とても、怖かった」
 はなしていると、ユーリの視線が自分に向いているのがわかる。見なくてもわかる。いま彼はきっと悔しそうな顔をしているのだろう。
「もう昔のはなしです。あなたが気に病むことじゃない。あの頃はきっと俺のようなひとがたくさんいたでしょうけど、それをユーリが変えてくれたのだから」
 さきほどとは反対にコンラートがユーリの髪を撫ぜる。
 長く肩甲骨まで伸びた髪は梳いても絡むことなく、指先をすり抜けていく。目を瞑る。すると、幼い子供――自分と様々な場所が映る。夜会、母の部屋。城。宿屋。ひとりでいればなにもないのに、ひとが、動物が侵入すると、瞳が合うと急にそこが自分の居場所を奪う。あの感覚が古傷に触れて懐かしい痛みを胸に伝えた。
「……どこにもないと思っていたんです。自分の存在が許される場所なんて。しかし、あなたが生まれて、この世界に現れて――あなたの隣が自分、コンラート・ウェラーの存在する場所を与えてくれたんですよ。だから、あなたといればどこであったって怖くないし、自分のままでいられる。まあ、ユーリのご両親に挨拶をしたときはさすがにそうも言っていられませんでしたけど」
 ただ、表情筋が固まって動かなかっただけ。緊張で手にはしきりに汗をかいていました。と、コンラートが笑いながら答えた。
「そりゃ、うれしいことだな」
 優しい声でユーリは言い、コンラートの肩を叩いた。そちらを向くと、口唇に柔らかい感触がふわりと押しつけられた。
「偶然にもおれも同じ気持ち」
 ユーリがキスをしたのだ。
「コンラッドほど思いつめたことはないけど、だけど、あんたと出会って恋して、恋人になって結婚して、いつも思うんだ。コンラッドのとなりが一番素直なおれでいられる。おれの居場所だって」
「そうですか」
 答えながらコンラートはユーリの唇を啄む。徐々にキスが深くなり、耳元に小さく届く。
「な、コンラッド。あんたいましあわせか?」
 もう答えを知っているくせに彼は聞く。わざと小首を傾げて可愛らしく。
 コンラートはユーリを抱きしめた。
「とてもしあわせです。じゃなきゃ、百年以上付き添ってないしキスなんかしませんよ」
 言い、自分の左手の薬指で同じようにきらきら輝く指輪を見たあと、ユーリの耳元で今日はじめての愛の言葉を耳元で囁いた。
「愛しています」と。

END


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