「――あ、渋谷が地球に帰ったみたいだ」 予定通りだね。優雅に紅茶を飲みながら少年は言った。 見た目は自分と同じ年に見えるが、自分は目の前の少年のゆうに八十年は生きている。けれど、紅茶を飲む少年に対して軽んじることは赦されない。少年、村田健は肉体的にはまだ二十年も経ってはいないが、記憶は四千年と蓄積した大賢者だ。 「……大賢者の予想通りだな。だが、予定よりも早い展開じゃないか」 「そんなツレないことを言わないでよ、フォンビーレフェルト卿。べつに今回の件に関しては遅ければ問題はあるが、早いのはべつに悪くない。きみも紅茶を飲んだら? そ ろそろぬるくなっちゃうよ」 村田は紅茶に目を移して言い、ヴォルフラムは呆れたようにため息をついた。 「廊下の端から殺気の滲んだ足音がする。ぬるくなった紅茶を飲んでいる暇などない」 コツコツと軍靴を鳴らす音。ペースはゆっくりで短長。けれども、怒りで満ち満ちている。殺気を隠す気はなさそうだ。 ヴォルフラムは引き続き、剣の手入れをする。丁寧に磨かれた剣は、日を浴びてきらきらと輝いてとても美しい。すっと、指を滑らせればすぐに血が滲むだろう。 「てっきり僕は、きみは朝が苦手なものかと思っていたけどそうでもなかったんだね。渋谷と一緒にぐっすり寝ていたのは演技?」 足音がすると言ったのに、村田は関心がないようだ。紅茶と共に出された焼き菓子に手を伸ばしている。一体、この男にはどれほどまでのさきを予測しているのだろう。 「演技ではない。そもそもぼくは軍人だからな、睡眠時間なんてなくても大丈夫なんだ」 「ふぅん?」 「ぼくがユーリの隣で寝ることがきたのはそこに絶対的に安らぎが存在したからだ」 「絶対的な安らぎ」 興味をひいたのか、村田はことばを繰り返しヴォルフラムは「そうだ」と頷いた。 「ユーリは、ぼくに対して一切の疑問も不快を持ち合わせていない。疑いなんてもってのほかだ。ぼくを信頼しているし、この城を護る者達を信頼している。それがどんなに難しいのか大賢者ならわかるだろう」 「わかるよ。ひとを疑わず、信頼するということはとても難しいことだ。そんなことができる奴なんてほとんどいない。血の繋がりのある親が子を絶対的に信頼できないことが存在しないように、子が親に秘密を持つように。――そこらへんで言えば、渋谷はすごいね。神様みたいだ。疑わず、受け入る。だから絶対的な安らぎ、か」 「すべてを受け入れてくれる存在が、あるというのはフォンビーレフェルト卿が言うように絶対的安らぎだよね。なんの心配もいらないなら熟睡できるのも当然か」 しかし、次兄が離反をし戻ってきたからユーリの隣で眠ることはできなくなってしまった。だれしも成長すれば、いつまでも同じ気持ちを持つことはできない。ユーリが次兄、コンラート卿ウェラーに恋心を抱いたときから変わり始めていたのはわかっていた。ユーリのなかでの平等がなくなった。恋心を持てば無意識に想い人に感情が左右されてしまう。 べつに、ユーリがコンラートを好きになり、愛しても構わない。 ユーリがしあわせであるのならば、いままでの絶対的安らぎを失ったとしても後悔はしない。 ――しかし。 「きたよ。フォンビーレフェルト卿準備はいいかい?」 靴音がふたりの部屋の前でとまり、扉を二回わざとらしく叩かれる。 「コンラートです。朝早くから申し訳ありません。ヴォルフラムの部屋に猊下、いらっしゃるのでしょう?」 「いるよ」 なんて無意味なやりとりなのだろうとヴォルフラムは思った。村田もコンラートも予想していたことだというのに。舞台の台本を口にしているかのようだ。 まあ、コンラートからすれば、自分と村田がどのようなはなしをしていたかは想像がついていたと思うがこれから実行しようとする件に対しては考えてもいないだろう。 「猊下とおはなししたいことがあるのです。少々お時間をいただけないでしょうか?」 ヴォルフラムは村田の顔を見た。村田の顔は扉に向いている。その横顔は、とても愉しそうにみえた。意地が悪く、そして機嫌が悪そうだ。にやにやとした笑みを浮かべ「いいよ。部屋に入っておいでよ」と言った。 扉のノブがまわる。村田は「でも、」と続けた。 「僕とはなしをするまえに、フォンビーレフェルト卿からきみにおはなしがあるそうだ。そのはなしを聞いてからね」 剣の手入れを止め、椅子から立ち上がりヴォルフラムは強く剣の柄を握る。 顔を覗かせたコンラートは、ヴォルフラムと目が合うと口端を歪めた。 「……おことばですが、はなしあい、というよりは殺しあいと言ったほうが正しいのでは?」 剣を構え、コンラートを見据える。コンラートは笑みを浮かべたままに剣のまえに立った。 「ぼくは貴様に言いたいことがある」 「言いたいことがあるなら聞こう。しかし、剣を持ち出してははなしあいにはならないだろう」 言いながらコンラートも腰の剣に手をかけていた。 「陛下が以前仰っていた。男なら拳で。武士なら剣で。武士とはニホンでいう軍人のようなものだ。なら、剣で語り合おう」 「まったく、陛下は……」 どうでもよさそうに、コンラートは剣を抜く。再びかちあったコンラートの瞳には、星がくすみ感情がない。手加減なしに切るつもりだ。 この男は、本当にユーリがいないとどうしようもないな。とヴォルフラムは思いを口のなかで転がした。 「貴様の腐った性根をぼくが叩きなおしてやる」 「俺は猊下とはなしがしたい。だから加減はしない。謝って殺してしまっても文句はいうなよ」 息の根を止めたら文句もなにもできないだろう。 コンラートは腕の立つ男だ。しかし、自分とて軍人。ここで死ぬわけにはいかないのだ。 さて、猊下はこの戦いにどんな予想を立てているのか。 まあ、生と死どちらであっても構わない。 ユーリが笑ってくれるなら、喜んで使い捨ての駒になってやろう。 「それはぼくの台詞だ。手加減などいらん。かかってこい――器のちっちゃい兄上?」 とりあえずは、このどうしようもない男をぶっ飛ばすことを最優先だ。 |