cheek time


「うわあ、久しぶりなんだけど」
 有利は、部屋にある姿見鏡で自分の姿を見て苦笑する。
「かわいいですよ、ユーリ。似合ってます」
 別室で待っていた男――コンラッドが有利の声を聞きつけて、ノックを二回すると扉を開けた。何度もこのような姿を見られているので恥ずかしいと思う気持ちはないが「似合う」と言うことばを素直に受け入れられず「似合うのはあんまりなあ……」とこぼした。
「でも、違和感があるとミッションは遂行できませんよ」と言われると、ぐうの音もでない。有利は「それもそうか」とぼやくと部屋に備え付けてあるツーシートの赤を基調としたソファーに腰を掛ける。クッションのきいた座面は淡いピンクと赤のストライプ。木製フレームには細かい彫刻が丁寧にほどこされている。
 少女漫画や、西洋に憧れる母親は嬌声をあげていそうだ。……自分の格好にも声を上げてそうだが。地球ではこんな格好絶対に頼まれてもしないだろう。
 コンラッドが、四角い木製カバンを持ったまま有利の足元にしゃがみ服の乱れをなおす。
「コルセット、きつくないですか?」
「ん。ちょっときついけど、これくらいなら平気。っていうかさ、この服コンラッドの趣味?」
 尋ねると、動揺するそぶりも見せずに「そうですね」と答えた。
「趣味もありますけど、ユーリには似合うと思って選びました」
 自分の格好に目を通す。
 白のシルクサテンのアンティークブラウス。胸には大きくリボンは結わえてあり、胸にはふんだんにフリルがあしらわれている。袖口にも。コルセットで腰に強制的にくびれのラインを作るとそのラインをきれいにみせるよう背中は編上げリボンできゅっとされている。淡い水色のスカートはくるぶしほどの長さのある三段階にギャザーが合わさっていてふんわりとした印象が特徴だ。いかにも西洋の人形を彷彿させるような衣装。コンラッドが自分のために選んでくれたのかと思うとなんだか笑える。
「さて、化粧をしましょうね」
 やけに四角いカバンかと思ったらどうやらそれはメイクボックスだったようだ。開けると様々な化粧品が入っていた。
「あれ、ヨザックメイクボックス新調したの?」
 以前化粧をしたさいは、こんな豪勢なものではなかったはずだ。ボックスというよりも女性が鞄に入れる小さなポーチに最低限のものが入っていたのに。
「直接あなたの肌に触れるものに、ほかの者のを使用するのはいやなんです」
 コンラッドが手のひらに下地を伸ばすと丁寧にユーリの肌に触れる。下地を終えるとこんどはファンデーションだ。もう何回もこんなことをしているから順番を覚えてしまった。スポンジでのばし、手で整える。
「コンラッドって、独占欲強いんだな」
「月並みですよ。あなただって、俺が他の者が愛用しているものを、使っていたらいやでしょう?」「どうかな?」
 言われてそうかもしれない。と思ったが、そっけなく反対のことばを口にするとコンラッドは「意地悪なひとだ」と目元を緩めた。その表情はとてもあまい。きっと自分の気持ちなんて見透かされているのだろう。
 塗り終えると軽くスポンジで全体を叩き、スポンジを大きなパフにかえるとパウダーを顔全体につけた。
「手際がいいな」
「ええ、よく幼いころ母が化粧をしているところを見ていました。三面鏡の前で化粧をする姿はいまでもよく覚えています。俺が父親と旅していたことを化粧をしながら聞いて、ときおり鏡をとおして笑いかけてくれる。こんなに美しいひとが自分の母親なんだと思うと、とても誇らしかった。……ユーリ、目をつぶって」
 アイホールにコンラッドの指の腹が触れるのがわかる。
「でもなんかその気持ちわかる。お袋が化粧をしているところを見ているの好きだ。いつもの家事をやってるお袋もいいけど、化粧をしてるときのお袋ってすごくきれいなんだ。女の子にはなりたいとは思わなかったけど、化粧をしてみたいなって思ったことは覚えてる。で、こっそりリップを使って口紅に塗ったときは怒られたな。出し過ぎて折っちゃったんだ。でも、あのとき真っ赤になった自分の唇をみてぶさいくだなって思ってそれ以降は化粧品に触るのやめた」
 言うと、「俺も同じです」と笑った。
「でもあんた上手いじゃん、化粧するの」
「あなたの顔を化粧ができないからという理由で他の者に触られるのが耐えられない」
 さっきも同じようなセリフを聞いた。と、有利は言って笑ったが、内心もう一度そのことばを待っていた。うれしい思いが胸のなかですくすく芽を伸ばす。
 コンラッドは、うそをつかない。だからおそらく地道に化粧も勉強していたのだろう。そう思うと無性に抱きついてしまいたい気持ちに駆られた。
 上瞼にアイラインが引かれ、目を開けるように言われる。目を開けると「つぎは目の下にシャドーを入れますから」と言われた。目のふちぎりぎりにペンシルのさきがあてられる。コンタクトを入れてもらうは目のなかにコンラッドの指が近づくのでそれに比べればこわくはなかった。いつのまに地球で購入していたのか、ビューラーで睫毛をカールされ、マスカラをつけ、チークをつけ、最後に唇が残った。
 リップブラシに淡いピンクをとり、上唇のヤマと両端口角に輪郭となぞるようにブラシを動かす。さすがにくすぐったくなって有利はわずかに口を開けて、息を吐き出すように小さく笑う。
「だめですよ、動いては。ブレてしまった」
 コンラッドが親指のはらでブレた箇所を拭う。拭う仕草が妙に色っぽいな、と有利は男の指を目で追いかけた。大人の指だ。いつか自分もあんな風に指がふしばったりするのだろうか。想像ができない。
 口紅を塗っているために、口を開くことができない。コンラッドが、今日の任務計画についてはなしをはじめた。
「今日の任務はこの土地を領主が主催するパーティで薬物の密売が行われている……その現場を取り押さえることにあります。領主は密売には関係ないとのヨザックからの報告があるので今回の件は領主には伝えてありません。彼自身もこのことには気がついていないようですからね。領地で密売をされていることには知っているようですが……」
 なかなか、尻尾を捕らえることができないのだろう。まさか自分の主催するパーティで密売が行われているとは考えることもしないだろうし。
 この領主と領地の民は、魔族と人間との友好条約をはやくに受け入れてた国のひとつでシマロンとの対戦のときも助けにきてくれた。領主はそれを大げさに公表することはないおだやかな紳士で、有利はとても好いている。今回はいわば恩返しのひとつだ。眞魔国の魔王が直々に……と、伝えてしまえばきっと領主は首を横に振る可能性とパーティの出席者の数が増えるのを懸念し、お忍びで正直おせっかいと言われてもしかたなのないことを自分たちは実行しようとしている。
「密売の役人は、パーティに出席する名もあまりしれていない貴族の身目麗しい少女に目をつけては、金かもしくは規制事実をつくり仲間にするそうですから、作戦といえどもあまり積極的な行動は慎んでくださいね」
 身目麗しい女の子。……女装男子でその密売人の目を奪えるとは思えないが、過去の経験上この作戦で成功しているのだから不思議だ。やはりこちらではウケのいい顔をしているらしい。この世界のひとが地球にきてアイドルなんて目にした日にはどうなるのだろう。
「はい、おつかれさまでした。いかがでしょうか」
 終わりに、グロスを塗られ口唇に若干の違和感を感じる。コンラッドがメイクボックスに備え付けの鏡で有利の顔をうつす。
 さきほど姿見の鏡で見たときより、全体的しっくりとくるから笑ってしまう。
「コンラッドさん、上出来です」
 言って有利は目のまえの男の髪に手を伸ばし、しゃくしゃくと髪を撫ぜた。見た目よりも柔らかいコンラッドの髪が有利は好きだ。それから心地よさそうに目を細める男の表情も。
「あと三十分くらいしたら夜会がはじまるね」
 窓に視線をうつす。数分前まで橙と黒が混じりあっていたのにもう空に橙はどこにもなかった。かわりに街に橙色の明かりがちらほらと輝いている。
「あなたは俺が必ず守ります」
 コンラッドが有利の太ももに頭を寄せ、有利はコンラッドの頬を優しく手のひらで撫でた。
「期待してる」
 魔王になったはじめのころは、守られることがいやでたまらなかった。けれど、この男と恋におちて、いろんな経験へてやっと守られることに誇りが持てるようになった。
 守られるというのは相手を信じることだ。守ることは相手を愛している証拠だ。
 守られることははずかしいことではない。
 あと数十分後の計画を頭のなかでシュミレーションしていると、コンラッドがこちらを見上げ「大事なことを忘れていました」と言った。
「なに?」
 そのことばがちゃんと口にできていたのかわからない。わからないくらいにはやく、口は見上げてきた男に塞がれていた。口紅が塗られた唇でキス受けると薄いフィルムを付けているような気分になる。
 なんだかじれったい。
 もっとリアルな感触を感じたくて、有利はコンラッドの首に手をまわすとより密着されるように自分の唇を押しつける。グロスが粘ついて、互いの唇を擦りわせるといつも以上に滑り淫猥な音を奏でた。
 有利の口唇を割って、コンラッドの舌が口内へ潜り込んできた。彼の舌の肉は薄くするすると口内を好き勝手に蹂躙する。歯並びや歯茎、内頬、上顎……最後に、舌を捕らえられた。舌を絡められると、コンラッドがそのまま吸う。もともと微量の息でキスを交わしているので、そんなことをされると酸欠みたいになり頭がぼうっとし首にまわしていた手が震える。水泳で息つぎをするように一度唇を離し、息を吸いもう一度唇をあわせる。
 そうしてやっと貪るかのようなキスを終わり、うっすらの涙の膜を帯びた目で有利はコンラッドを見た。
 彼の唇はわずかに赤く染まっている。
「口紅落ちちゃったじゃん」
 呆れたように有利がいうと「すみません、大事なことを忘れていましたので」とコンラッドは再度口にする。
「男は、まっさらな純真な女性も好みですがどこか夜の香りのする女性に弱いので」
 大人の香り、のことばに嬉しくなかって有利は気分がさらによくなる。
 大人っぽいや成長した、といわれるよりもずっと好きなことばだ。具体的にどこが変わったのかわかる。
 この男の手で変わったのだ、自分は。
「こんなことして、いろんなアプローチされても知らないからな」
 挑発するように、有利は答えた。
 いまから自分がおとりになるというのにまったく恐怖も緊張もない。
「心配ありません」
 コンラッドは断言する。
「ユーリがどんなひとにアプローチをされても、あなたの心を動かすのは俺だけです」
 その自信は一体どこからやってくるのか。調子にのるなよ、と頭を叩いてやろうかと思ったがあんまりにもコンラッドが無邪気な顔をして笑うものだから毒気を抜かれてしまい、行動に起こすことをやめた。
「せいぜいがんばって」
「頑張ったら、なにかご褒美ください」
「なーに言ってんの」
 ついさっき止めた手が今度はコンラッドの頭を捕らえた。軽く頭を叩く。
「でも、ま。全部がうまくいったらおれの服を脱がす権利をあげよう」
 言うと、彼はわざとらしく口唇からのびたグロスを指で拭い「自分で脱いで下さってもかまいませんよ。……無理やりっていうのも好きですけど、ね」と耳元で囁いた。たったそれだけのことなのに、背筋がざわつく。
「コンラッドのえっち」
「エッチで結構です。あなた相手に淡泊になんていられません」
 それは自分も同じだ。だってまだ花の十代だもの。淡泊になんていられない。
「任務の出来次第だな」
「そうですね、あなたもおれも」
 言ってくれるじゃん。
 売られたケンカは買ってやる。だけど、そのまえにもう一度、口紅を塗りなおそう。
 もう一度塗られた口紅は、さきほどよりもきれいに唇を染めた。

END
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