々に落ちる幸せを拾い上げて



 執務が終わったのは、夕暮れ時であった。
 夕食まであと少し。けれど、一度自室に戻って休むにはあまり休息を得るほどの時間ではない中途半端な時間帯であったのでユーリは護衛であり恋人のコンラッドに中庭の散歩に誘った。
 夏も終わり、秋に近づくいまは日が沈むのも早く執務室では濃い橙色をした太陽はほとんど沈みかけて夜の闇がほとんどを支配をし始めている。
「ユーリ、これを」
「ありがとう。コンラッド」
 外は日の出ていた昼間よりも幾分冷えていて、肌寒いなと感じたときコンラッドは丁度よくユーリに上着をかけた。どうやら、事前に用意をしていたようだ。それと小さなランプ。準備のいい男だ。
 橙色に輝くそれがそよ風に揺らめいてユーリの心を温かくさせてくれる。
 他愛のない話をつらつらとしながらふたりで中庭を歩けば、ふとユーリが足を止めた。
「どうかしましたか、ユーリ」
「なんか甘い香りがする……」
 言えば、コンラッドは「ああ」と相槌を打って少し高くランプをかざしとある場所を指さした。
「あの木の花の香りですよ。この時期になると花をつけてこうして季節の変わりを教えてくれるんです」
 小さな白い花が木を飾るようにあちらこちらに咲いている。ユーリは深呼吸をして花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「……地球にも似たような花の香りを持つ木があるよ。キンモクセイって言うんだ。その香りを嗅ぐと秋到来って感じがしておれはけっこう好きなんだよ。眞魔国に来てもう一年は経つのに知らなかった」
 言ってからユーリは自分の失言にはっとした。コンラッドの顔を見れば、彼はなんとも言えない表情を浮かべている。
 昨年は、こんな悠々と秋を感じることなんてできなかった。覚えているのは、一面の銀世界と暗闇。つんざくようなお互いの慟哭。彼を責めているわけではない。ただ、思ったことをなにも考えずに口にしてしまったのだ。
 あのことを、彼を、コンラッドを責めたいわけではないのに。
「……俺はもう謝ったりはしません。償いの言葉はユーリはが赦してくれたことを否定することになるから、俺は謝りません。謝りはしないけど、これだけは言わせてください。俺は、二度とあなたをひとりにはしません」
「コンラッド」
「これからは、こうして変わりゆく季節を一緒に過ごしていきましょう。ユーリの周りではいつも俺の知らなかった世界が見えてくる。それを俺は一緒にみたいです」
「うん」
 コンラッドはユーリの手の平に落ちた白い花をのせる。甘くてどこか切ない香りがさきほどよりも強くユーリの鼻孔を擽った。
「なあ、この落ちた花で匂い袋を作らない?」
 聞いたことがなかったのか、コンラッドが「匂い袋?」と小首を傾げた。「花をドライフラワーとかにして布とかで作った袋に詰めて香りを楽しむ袋のことだよ」と説明すれば、コンラッドは頷いて「素敵な提案ですね」と答えた。それからコンラッドはポケットからハンカチを取り出すと落ちた花を丁寧に拾いあげていく。
「こうやってたくさんの思い出も作っていこうな。ふたりで」
「ええ」
 ユーリが言うとコンラッドが嬉しそうに微笑んだ。
「今度、地球に帰ったらキンモクセイの匂い袋作ってコンラッドにあげる。その代わりこっちの花の匂い袋はおれにちょうだいね。こっちと地球の過ぎる時間の速度は違うけど、一緒にいるっていう証拠だ」
 きっと匂い袋は時間がたてば香りがだんだんと薄くなるだろう。けれど、それはどうでもいいことだった。会えない時間は相手が恋しくなる。そのときに思いだしてくれればいい。
「それは楽しみだ。……ユーリ、あそこに見える中庭の噴水まで行きましたら戻りましょう。そろそろ夕食の時間になるでしょうから」
 コンラッドの言葉にユーリは頷いて、彼の手をそろりと手に取ると手と手を繋げた。コンラッドはそれを優しく握りしめた。手に伝わる温もりは羽織った上着よりも温かく感じる。
 見落としていた小さな幸せをこれからは見落とさないようにしたいと思いながら、ユーリは自分よりも大きな手の温かさを確かめるように握り返した。

END
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キンモクセイの匂いがすきです。