『淫乱ですね』と、久しぶりに再会した男が静かに口を開いて、ユーリは怒りや悲しみを感じるまえに、ほっと安堵をした。そんなことを悟られると頭がおかしい奴だと思われてしまうかもしれない。ユーリは口角がつりあがるのを瞬時に止めると、目のまえの男の顔色を伺った。 きっと、彼も自分に夢を見ていたのだと思う。いや、彼、コンラッドが一番そう思っていただろう。 「淫乱だなんて、ひどいな。……これだって王様の役目なんだぞ? あんただって受けたことあるんじゃないか、房事。なにも特別なことじゃない」 コンラッドにそんな風に言われる筋合いはない。 ユーリは、冷めた声音でシャツを脱いでコンラッドに手渡した。すると、わずかに受け取る男の手が震えたような気がする。嫌悪したのだろうか。 「……たしかに自分も房事を受けたことはありますが、あなたのようにキスマークをつけたことなどありませんよ」 「房事は、ないだけだろ」 コンラッドを挑発するような答えを返す。彼は勘違いをしている。それをただすにはこれはいい機会かもしれない。首筋にキスマークをつけた女性講師に感謝だ。 「べつに講師の先生と特別な関係になったわけじゃない。キスマークの付け方教えてくれただけだよ。いつか、おれだって恋人ができて結婚するかもしれないんだ。愛しているひとに所有印をつけてみたいし。……夜の帝王だって言われるコンラッドにはくだらないことって思うことかもしれないけど、おれは将来に向けてもっといろんなことを勉強していかないとね」 「勉強嫌いなあなたも成長したものですね」 「なにそれ、嫌味?」 コンラッドのことばに今度は笑いをこらえることができず、ユーリは肩を震わせて笑い、それからじわじわとこみあげてくる怒りを息とともに吐き出す。 「あのさ、コンラッドまえにおれに言ったよね? おれはいつか世界を手にする王だって。そんな理想高い王様になろうとおれは頑張ってるだけだ。セックスひとつ知らないバカがあんたの、民の願う王様になれるわけないだろ。セックスも知らないでこの世のすべてを統べることができるのは神様だけだ。おれは――神様じゃない」 思考回路が制御できなくなる。 ユーリはいつのまにかコンラッドの胸倉を掴んでいた。 「神様になんてなれない。おれは人間なの。まだ十代なの。わかる? もっと遊びたいし、もっといろんなことも知りたい。恋人も欲しい。セックスもしたい、どこにでもいる人間。ただ、そのどこにでもいる人間の肩書きが『魔王』ってだけ」 胸ぐらを掴んだぶんだけ距離が近づき、必然と鼻腔にほのかに甘い匂いが掠める。 いつか言おうと思っていた。でもそれがいつでもいいと今日の朝思っていた。コンラッドの顔を見て、笑って、はなして。しかしタイミングが早かったのかもしれないといまさらすこしだけ後悔した。 暴走が止まらない。そしてふたたび男の顔をみることができなくなる。 「――ずるいよ、あんたは。ひとりだけ楽しんで。おれに勝手で矛盾だらけの理想を押しつけて、おれで、ゲームをする」 自分が神様みたいな純粋で平等でいつまでも汚れないでいてほしいなんて思いながら、それでいて完璧な王となってほしいと思うなんてずるい。 「おれだって男だし、いつかは大人になる。キャッチボールだけじゃ、ストレスも喜びも物足りないんだよ」 もうなにを言っているのか、自分でもわからない。言いたいことだけを並べているいまの自分はまだこどもだ。 襟を掴んでいた手を離すとユーリは背を向けた。 「……気が変わった。おれ、ちょっと地球に戻る。今日から数日休暇はもらってるからグウェンダルに報告してくれるだけでよろしくな」 「……わかりました」 コンラッドはそれ以上なにも言わなかった。 それがすこしだけさびしくて、また安心する。 これでもう心配することはない。ユーリは脱衣所から浴場へと歩き出し、迷うことなく湯に足をつけた。すぐに湯が渦を巻きはじめる。 「これでいい。あとはなんとかなるだろ」 優秀な護衛は約束を破らない。護衛をやめることはユーリが命令することがない限り絶対にしない。 自分はできた人間ではないから、ふたつの望みを叶えることはできない。メリットの多いほうを選ぶ。それはいろんな経験から学んだことだ。 ――渋谷有利の価値が、コンラッドのなかで下がっても、王としての価値が上がれば多くのひとの願いが叶う。 考えなくとも、答えはこれしかない。ふたつを望んではいけない。 胸に咲いた赤い花の芽が枯れていくのがわかる。枯れてあるべき姿に戻るのが。 水に吸い込まれていく。あとは、のちのち考えればいい。 これからさきの主従関係をどうすべきかユーリは考えながら、目をつぶった。 |