それはとても些細なことかもしれない。

そこに悪意なんて存在せず、まるきり偶然に過ぎないのかもしれない。
例えるなら、紙の淵で指先を切ってしまうようなたまたまの偶然。

しかしながら考えてしまう。

偶然が重なりあえばそれは必然へと変わる。つまりは起こるべきものだとしてこの世に存在する、としたら。
例えるなら、元から紙の淵に刃物が差しこめられているような。

起こるべきにした最悪の悪意だ。

偶然は重なってはいけないのだ。
必然になる前に絶やさなければいけない。



「―…その為には多少の犠牲はつきものだ」

剣先に溜まる水を風を切って振り払いながら俺は下を見る。そこは、既に終わりが存在していて。失礼ながら、想うものは何もなかった。

終わった世界に興味はないし、それ以上にこの世に存在する悪意の前の偶然を迅速に処理出来たことへに安堵を覚える。

と、不意に名を呼ばれる。

その声は遠く後ろから聞こえる。
だが、俺には誰であるのかなんてその人物が曲がり角の廊下に現れる前に承知していた。

自然と穏やかな笑みが浮かぶ。

多窓から差し込む橙と朱が混じりこむ夕焼けの光が赤い絨毯の引かれた廊下とその人物をまるで一枚の絵のように映し出す。

「コンラッド、」

ゆるり、と目元を柔らかく細めてこちらに歩いてくるのは愛しい子。

「…こんにちは、ユーリ」

さらさらと、髪を光に照らされながら温かい色に髪色を変えていく。漆黒の瞳にも橙が混じり幻想的な色をしている。しかし、どんな色をしていてもその瞳の純粋さは全くもって失われない。

「こんにちは!…って、さっきも会ったのに言うのは変じゃない?」

「挨拶はいつでも、どこでも、誰とでも、が基本ですから。する分にはおかしくありませんよ。常日頃の礼儀として身につけることは大変喜ばしいことです」

そう言うと、ユーリの眉が顰められた。

「うえ、まるでギュンターが言いそうないい草だなあ」

「ふふ、そうですか?」

傍まできたユーリをこちらへと促すように手を広げてみれば、顰められていた眉は消え、きょとん、とした表情を見せた。だか、躊躇うことはなくユーリは俺の腕の中へと体を預ける。

「えへへ、やっぱりいいよね。こーゆーの」

「おや、ユーリは甘えん坊さんですね」

「…甘えん坊のオレはイヤ?」

光の加減で少しばかり瞳が潤んで見える。それが一層に上目使いを可愛く見せて思わず、苦笑してしまう。これを、無自覚にやっているのだから敵わない。

「まさか、大歓迎です」

気まぐれに甘える子猫の髪を撫でつける。

「ねえ、コンラッド」

「はい」

「ひとつ聞いてもいい?」

「ええ」

「あのさ、」

「はい」

「なんで、メイドさん死んでるの?」

猫であれば喉がぐるぐると鳴るような、甘い雰囲気の中で驚きに声色を変えることもなくユーリは問う。

それは日常のひとこまに過ぎないことのようにユーリは言った。落し物をまるで拾うようなそんな声音だ。俺の後ろで一つ死体が転がっているのに。
ユーリがこのことに特別なにも感じないようだ。

「貴方に被害を与えましたから」

俺はユーリの問いに完結に答える。

「被害?」

こてん、と小首を傾げてこちらを見る。今だに漆黒の瞳の中で柔らかな橙がゆらゆらと揺れている。

「ええ、身に覚えがありませんか?」

「んー…」

顎に手を当て唸りながら考えていると不意にあっ、と小さな声を上げた。

「もしかして、昼食の時のあれ?」

服をぺらりと広げて見せる仕草は高校生とは思えないほどに幼く大変に愛らしい。

「ええ」

答えに頷けばユーリは少しばかり困った顔えを見せる。

「だってメイドさんがスープ、零しちゃっただけじゃん」

それで殺しちゃったの、と問うユーリを見てこの子はなんて心広い人なのかと感じた。一国の主の食事でそのような決して失態はあってはならないことだ。

「はい。だから、殺したんです。貴方が火傷を負っていなくてよかった」

「あはは、あんな雨粒一滴くらいじゃ火傷しないよ」

ユーリは苦笑し、小さく笑う。

「しかし念のために、ね。危険ではないですか。一度の偶然は時に必然を生む。これはそれを手にしまった。俺は、貴方を傷つけるモノが大嫌いなんですよ」

額の髪を梳いて、白い額に接吻を落とす。それだけで幸福な気分になる。

「ふうん?」

「…こんな男はお嫌いですか?」

声音を甘くユーリの耳襞に舐めるように囁けばぴくん、と体が震えた。それから、ユーリは再び笑って、俺の首に腕を回した。

「んーん。だあいすき、だよ。コンラッドは、オレのためにしてくれたんだ。嫌いになるはずないよ!」

にこり、と笑う愛しい子の笑顔は本当に純粋無垢と言う言葉が似合う。これが見られるなら、家族でもなんでも躊躇うことなく消し去ることが出来る。

ああ、本当に可愛い、愛しい子!

「では、メイドの件はもうよろしいので?」

「うん!それに気になっただけだから。だって顔、ぐちゅぐちゅ。気持ち悪いなあって思って。コンラッド怒ってたんだ?」

無言の笑顔で返せばユーリはそれを肯定ととったのか、仕方ないなあ、と足先を伸ばして俺の唇に軽く触れた。

「仕方ないよね、コンラッド。オレのこと大切に思ってくれるからこそしてくれたんだ。…えへへ、コンラッド大好き!だから、ご褒美にちゅー」

「…全く貴方はやることが可愛らしくてたまりませんね。しかし、ご褒美はベッドの上で頂きたいな」

ユーリの鼻先をかしり、と甘噛みしてそう甘えて見せる。

「コンラッドの欲張り」

「忠実な犬は欲張りなんですよ」

そう答えればユーリは蕩けるような表情を浮かべた。

「可愛いオレだけのワンちゃん。いいよ、ご褒美たっぷりあげる。ベッドの上でたくさん食べてよ」

ふくり、と桜色の唇が再びが先だけを尖らせて、愛撫を待つ。それに誘われるように唇を寄せた。

必然的に鼻呼吸をする。鼻腔を通る空気に血の匂いが混じる。廊下はただひたすらに赤くて美しい。

その片隅に死体が転んでいる。


可愛い可愛い唯一の主。
愛しい恋人。

だれよりもなによりも大切な子に







スープ、溢しちゃった、は許されないんですよ。



END


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