静かな夜。ときおり、柔らかな風が木々を揺らすだけの夜。 ヴォルフラムは久しぶりにユーリの部屋を訪れていた。婚約を正式に破棄してからは、以前のように頻繁に一緒に眠ることはなくなったがたまにこうして眠る。つらつらと最近のことを語り愚痴をこぼしたり、笑い合ったりしながら眠るのだ。 いまもまだ、自分の心の奥深いところではユーリに対して恋愛感情があり、ふとした拍子に感情が揺さぶられることはあるが、湖畔に石を投げたような感覚で波のように大きくなることはなくゆっくりと穏やかに想いは落ち着く。きっとそれは、彼に対しての想いの行く道が変わってきた証拠なのだろう。おそらく、それを認識するためにも自分はいまもこうして彼と一緒に眠るのだと思う。 「兄上から聞いたが、本当にあの勉強を始めたんだな、ユーリ」 「あの勉強って、房事のこと?」 大きな寝台に横になり、お互い顔をみるのではなく高い天井を意味もなく見つめながらユーリは答え、ヴォルフラムは頷く。 「ああ。……なんだか、最近のユーリには色香がある」 言うと、おかしそうにユーリは肩を震わせて静かに笑う。 「お前から、色香があるなんて言われるとは思いもしなかった」 彼は自分の魅力に本当に疎いとヴォルフラムは思う。謙遜などではなく、本当に理解していないのだから困る。「まったく、これだからへなちょこは」と久しぶりに悪態ついた。 まったく、なんにもわかっていないのだ。 この世界において、高貴だと謳われる漆黒の髪や瞳、美貌をおいても内面から輝くものがどれだけのひとを魅了してやまないのかわかっていない。 だが、さいきんは太陽の明るさを持つ内面がわずかに変化している。ただ天真爛漫一直線で、危険においてなにも知らない赤子のような彼。守っていかなければいけないと思っていた彼は、成長につれて変わってきている。危険だと承知しているのにも関わらず、突っ込むだけではなくなった。王としての風貌が顔を見せてきたと安心していたのもつかの間だった。 どんなに考えが大人びてきていると言っても、大人ではなく、無理して背のびをしている少年なのだ。大人ではない。自分の生きている年の半分もユーリ生きていない。言い方を悪くすれば、少年ですらなく、赤子なんら変わりないのだ。……まあ、赤子が情事などすることなどないから、この場合のユーリは適正年齢よりもはやく飲酒をして己に酔ってる少年みたいなものかもしれない。 提案したのは、兄上ではあるが房事の勉強は早すぎたのではないかとヴォルフラムは思う。少年から青年へと成長する心が不安定にある時期に、次兄のなにか問題を抱えているユーリに房事は逃げ道を与えてしまったのではないのか。 天井から視線をとなりにいるユーリへとヴォルフラムは目を移した。彼はまだ、天井を見つめている。 きっと、ユーリはコンラートが好きなのだろうと思う。そして、おそらくはコンラートも……。 「……ユーリは本当にへなちょこだな」 「なんで二回も言うんだよ」 言って、ユーリはにからだの向きを変え、こちらを見た。また笑っている。どこか、妖艶な表情と少年の色をみせた笑み。それをヴォルフラムは美しいと思う。けれど、さびしいとも思う。 「……僕も房事の授業は受けたことがある。あれは、気恥かしく正直つらいこともあった。なにもしてやれないが、はなしを聞くことならできる。だからなにかあったら言えよ」 言えば、一瞬ユーリの瞳が震えた。夜だとはいえ、月がとても明るいから、ヴォルフラムはユーリの表情を見逃さなかった。夜は、ひとの緊張が無意識的にゆるくなる。きっと、彼のこのような表情を日のあるときにはおそらくみれなかったのだろうと思う。いまも、すぐにさきほどみせた表情を隠して笑いかける。 「ありがとな、ヴォルフ。おまえは本当にやさしいよ。……でも、みんな通る道なんだろ。おれだけが甘えちゃだめだと思うから。気持ちだけもらっておくよ。本当にありがとう」 こいつはばかだ。 ヴォルフラムは「へなちょこ」と三度めの悪態をついた。みんなが通ってきた道、感情だから自分はがまんしなければいけない理由なんてどこにもないと教えてくれたのはユーリなのに。 やさしいひとは己の気持ちをどうして溜めこんでしまうのだろう。 「そんな風に、笑うな」 不器用に笑うユーリが寂しくて、愛おしくてヴォルフラムはユーリの手を握る。 「……ありがとう」 ユーリは、ヴォルフラムの手をわずかに力を込めて握り返した。 |