中の傷

「どうしました? ひとの背中をじっとみて」
 ユーリが部屋を訪ねたとき、丁度俺はシャワーを浴び終わったころであった。
 彼は寝台に腰かけた自分の後ろにまわるとじっと背中を見つめている。
「んー? いや、こっちではああいうのないのかなって思って」
「ああいうの、と、言うのは?」
 夏場になると薄手の寝巻きでも早々に着こむのは暑く、上半身はまだ服を着ていなかった。髪を適当に乾かして、後ろに顔を逸らし尋ねればユーリは可愛らしく(おそらくは無自覚に)小首を傾げて口を開く。
「日本だとさ、武士たるもの背中に傷があるのは恥とかなんとか。背中から敵に切りつけられたりするのは恥ずかしいって聞いたらことがあるんだよな。どっかで。まあ、正直、戦うことに対してはおれはいい印象をあまりもっていないから、傷があるないにかかわらず、怪我とかしてほしくはないんだけど」
「ああ、そういうことでしたか。そうですね……こちらでも、恥、とまではいきませんが、相手に背中を奪われ、傷を負うことは不名誉だという考えはありますよ。……俺の背中に傷でもありましたか?」
 ここ最近はユーリの努力もあって、大きな争いごとはないように思えるし、新人兵の剣の指南でも背中を取られたことはない。
 自分の覚えのないところでどこか背中を痛めたのだろうか、と不思議に思っていると、そろり、とユーリが肩甲骨のうえのほうを指でなぞった。なんでもないことのはずなのに、彼のしなやかな指で素肌に触れられると背中がぞくりと泡立つ感覚がして、静かに息を飲む。
「ここ、あと反対の肩にも同じところにある。……傷っていえば傷なんだけど、なんかねこが引っかいたような傷が数か所あるんだ。こういう傷って妙に痛かったりするよな。さっきお風呂に入って滲みなかった?」
「……いえ、まったく。猫、ですか」
 肩にある、引っかき傷。
 それだけで一体その傷が、どのような経緯でついたのかすぐに察しがついて思わずほくそ笑んでしまった。その行動が、ユーリには不可解だったのだろう「なんで笑っているんだ」ときょとんとした大きな瞳をこちらに向ける。
 その仕草に本当に彼は、純情で真っ白に育ってきたのだと思い愛おしさが膨らむ。
「猫……ええ、可愛らしい子猫にやられてしまいました」
 自分の肩にある傷を撫でながら答える。
「そうなんだ。ねこって可愛いんだけど、気まぐれでこういうことされても憎めないから困るよな。なんていうか無自覚小悪魔っぽい。あ、よくみると治りかけてる傷も何個かあるね。何度かやられてるんだ」
「ええ。ユーリの仰るとおりですね。愛おしくて憎めない。それでいて無自覚にひとを誘うから小悪魔のようだ。でも、手放せないし、この傷さえ愛おしいと思ってしまう」
「えー引っかかれて傷になったらその傷は愛おしい、なんておれは思わないけど。……グウェンダルが保護している猫なの?」
「いいえ、違いますよ。俺だけの猫です」
「え! コンラッド、ねこ飼ってるの?」
 興味津津、と言った表情を浮かべて言う彼が可愛らしい。こんな純粋なユーリに様々なことを教えたのだ。俺は。
 ユーリと向き合うように体勢を変えると俺は彼の柔らかな髪に手を差し込んだ。
 ユーリは嫌がらない。そしてまるで子猫のように心地よさそうに目を細めた。
「どんな猫か教えて差し上げましょうか?」
「うん……って、う、わ!」
 警戒心のないユーリの肩を少し力を込めて押せば、簡単にシーツへと沈む。ユーリの頭部を囲うように両サイドに手をつく。
 俺の行動にユーリは慌てたようにからだを身じろぎさせる。
「普段は天真爛漫で、誰にでも優しく、王様業に熱心。けれども、時折集中力がなくなるとひっそりと城を抜け出し、俺を困らせる。こちらがどんなに愛の言葉を贈っても、子猫は頬を愛らしく染めるだけで愛を囁いてくれない。まったくやきもきしてしまうが、そんな不安を払拭させるように、予想もしないことで俺を喜ばせたりするんです。その子猫は」
「それって……」
 猫、が一体何を指しているのかユーリもようやく理解したらしい。彼の頬が急激に朱に染まる。ユーリの手をひくとそれを自分の背中にまわす。
「……あまりにもその子猫は可愛らしく、ベッドで可愛がると発情して甘い声を上げてくれて、つい快感に耐えきらなくと俺の背中に爪を立ててしまうんですよ」
「ひ、ひとを子猫呼ばわりするな! っていうか、おれなのか!? この傷の相手っ!」
「あなた以外に誰がいるんですか? 俺が思いきり可愛がって啼かせたいと思うのはあなたしかいませんよ」
 さきほどよりも暴れるユーリを宥めるように、鼻のうえにキスをすれば、うーうーとユーリは唸り声をあげた。それから、至極恥ずかしそうに揺れる瞳を俺からそらし小さく呟く。
「ご、ごめんな。おれ気がつなかった。コンラッドの背中に爪を立ててるなんて……」
「いいんです。ユーリが気にすることではない。それに言ったでしょう? この傷は、本当に愛おしいんです」
 なんで、と口を開こうとしたユーリの唇を己のもので塞ぐ。
 自分よりも熱をもった唇。柔らかく、口内に隠れている花弁は吸いあげたくなるほど甘い。
「ん、ふ……っ」
 一通り唇も、口内も蹂躙すると、銀糸が伝った。それを指で断ち切り、わざといやらしい笑みを浮かべて、彼の疑問に答えた。
「この傷は、あなたが俺に夢中になってくれた証拠ですから、とても愛おしいのです」
 こともなげに言えば、ユーリは金魚のように口をぱくぱくとさせて、俺の頭を叩いた。
「だから、なんであんたってやつはそんな恥ずかしいことをぺらぺらと……っ!」
「だって本当のことですから。あなたがこうして、背中に爪を立てるのは俺だけ。愛していますよ、ユーリ」
 もう、嫌がったって離してあげられない。と、ユーリの耳元で囁いて再び、口を塞ぐ。キスに酔ったユーリはもう、これからさき、なにをされるか予想しているだろうに、暴れ出したりはしなかった。
「今日も俺の背中に爪を立ててくださいね」


----------------------------
天然少年と変態次男。