Nina2-2



 試合は後半につれて、盛り上がりをみせた。前半はふたりが応援するチームが一点を先制したがすぐに追いつかれ同点になり、後半には攻防戦が続き九回裏にみせたホームランで勝利した。それまでの歯がゆい試合の流れもあってか勝利が確定した瞬間ニーナは、コンラートの肩に手をまわすと応援歌を歌い出した。
 突然のことに驚いて彼のほうをみれば、ニーナは少し気恥ずかしそうな笑みを浮かべたものの歌を止めることも、肩から手を離すこともしなかった。おそらく、ニーナなりにより自分との距離を縮めようと考えたスキンシップだったのだろう。
 何度も試合中に流れて自然と覚えた歌のフレーズをコンラートもまたニーナの肩に手をまわし口ずさむ。
 きっかけはいつも些細なことだ。特別なことではない。それぐらいちいさなことだが、コンラートにある変わりなかった日常に変化を与えるのはとなりにいる少年だということに気づかされる。
 肩を組み、ともに歌を歌うだけでふたりを隔てる距離感がいまこの瞬間に縮まったことも、ただビジネスのためにとはじめた百四十文字のソーシャル・ネットワーキングで私情で使用するようになったことも……すべて、ニーナが変えた。
 いままで長年変わらない、いや変わることなど決してないスタイルだと自分は心のどこかで思っていた。ビジネスに関しても私生活にしても、己の利益のためひとにあわせてきたことは数えきれないほどある。けれども、利益でもなんでもなくひとにあわせ、ましてや他人に染まることは生きてきたなかで父親しかいなかった。物心ついてから父の背中をみて世界中を旅してまわったときのことと、父が死んだときだけだ。あのときほどの衝撃を受けたことはない。
 恋愛などもってのほかだ。愛のことばを紡いだことも、からだを繋げたこともある。しかし、いつも心は冷えていて相手にたいして熱を感じることなどなく、自分がひとに影響されることや興味などを持つことはないのだと思っていたのに。
「……ねえ、ニーナ」
「なに?」
「このあと時間あるかな。ちょっと小腹がすいちゃって……よかったら近くでなにか食べない?」
 ニーナという少年について、もっと知りたいと思うのだ。


「――……コンラッドのフォロワーさんとかちょっと覗かせてもらったことあって、なんとなくあんたができる男だってのはわかってたけど、すっごく高い車に乗ってるんだな」
 まさかのメルセデス・ベンツですか。
 どこか遠くをみるような目でニーナが呟いて、コンラッドは小さく笑った。
「母親がプレゼントしてくれたんですよ。日本で働くと言ったら、俺が車に興味があることを思い出したようで餞別としてプレゼントしてくれて。東京で働いているからもっぱら電車通勤でめったに乗らなくて申し訳ないけど。……はい、どうぞ」
 助手席とドアを開けて彼を車内へとうながせば「靴、脱いだほうがいいかな?」と尋ねるものだからとうとうコンラートは腹を抱えて笑ってしまう。
「わ、笑うなよっ! こんな高級車乗ったことないんだから、しかたないだろ! しかも、いつもでかけるときに使う靴だから泥とかいろいろ……っ」
「ごめん、ごめん。まさかそんなこと聞かれるとは思わなくて。靴の泥とか気にしなくていいから。そんな車にたいして几帳面な奴じゃないし」
 笑い過ぎて思わず、目尻に浮かんだ涙を軽く拭うと再度「どうぞ」と声をかけた。
「……おじゃまします」
 頬をわずかに赤く染めながらニーナはシートベルトをしめた。まるで、借りてきた猫のような彼の姿にかわいらしいと目を細めて、コンラートも運転席に座りシートベルトをしめる。
「それじゃあ、どこに食べに行こうか?」
 車のエンジンをかけ、道路へと出て適当に車を走らせる。
「うーん、急に言われてもなあ。おれマックとかしか思いつかない。それにコンラッドが誘ってくれたんだし、コンラッドの食べたいもの食べようよ」
 会った当初よりもニーナの口調が柔らかいものに変わっている。ぎこちないものではなく、友達感覚で接してくれることがうれしい。コンラートは、オーディオを指で操作してアップテンポな洋楽をかける。車内に流れる音楽ほどありがたいものはない。曲調でひとの気分もそれに同調するし、無言になっても音楽が流れていれば気まずい雰囲気が軽減する。
「そうだな……」
 道路の横にそびえる店を横目に見ながらコンラートは、どこに向かうか考える。正直、小腹がすいているというのはもうしばらくニーナと一緒にいたい口実であって、食欲はそれほどでもない。
 デートする流れでいえば、このままどこか高級レストランで食事をしてホテルに向かい一夜を過ごすのだが、そんなことでもすれば彼は委縮するに違いない。車に乗るのでさえ緊張していたし、コンラートは気にしないが高級レストランに誘えばおそらくニーナは自分の服装を気にするのだろう。
 さて、どこで食事をしようか。
 と、考えているとふいに奇妙な音が音楽に紛れて聞こえた。部品の故障ではない、きゅるる。とそんな音。
「あ、えと……っ」
 主源は、コンラートのとなり、ニーナからだ。ちょうどよく、信号機が赤になり車がとまる。コンラートがそちらに目を向ければ腹部を押さえてニーナはさきほどより顔を赤く染めていた。
 まあ、あれだけ応援していれば体力も使うし、お腹が空いても当然だろう。
「予定変更して、早めに夕食にしない? 小腹を満たすくらいの店はよく知らないんだけどちゃんとしたご飯を食べるってなったらおすすめのお店知ってるんだ」
 どうかな? とニーナに尋ねると彼は、小動物のような唸り声をあげ、こくんと頷く。
「決まりだね」
 信号機が青になる寸前に左のウィンカーをつける。
 ここ周辺は時折、仕事の外回りで訪れることがある。今日はその際よく行くメイン通りからすこし外れた住宅街にある中華料理店に向かうことにした。小さい店ながらも本格的で美味しい量のある中華料理を提供してくれる。住宅街に近いこともあって飲みにくるひともあまりいないし、ゆったりとした時間を過ごすこともできるだろう。
 車を走らせているとだんだんと辺りが暗くなり、ぽつぽつと外灯に灯りが灯る。
「本当になにからなにまでごめんな。てか、お腹が鳴るなんて恥ずかしすぎる……っ」
「謝ることなんてないさ。お腹が鳴るのは健康的な証拠だよ。あと十分くらいで着くと思うから」
「うん。あ、家に電話してもいいかな。夕食食べるって連絡しておきたいんだ」
「どうぞ」
 音楽のボリュームをすこし下げる。ニーナが携帯電話を取り出す。あの小さな機械もしくはパソコンから発信されるネットワークの無数とある糸のなかで自分たちは出会ったのだと思うとそれはまるで奇跡の確立のように思えた。
 自分の日常や感情を変化を与えるひとがこの世界に存在した。
 たった百四十文字のやりとりのなかで。
 ニーナの電話のやりとりの声に混じりわずかに聴こえるオーディオから流れる曲はkaty perryの『E.T』その歌詞があまりにもいまの自分の気持ちと同調していて微苦笑してしまう。
 ニーナの存在は、自分にとってあまりにも改革的で魅惑的。
「本当に困ったな……」
 予想以上に彼に魅了されている。
「なにか言った?」
 連絡を終えたニーナがコンラートに尋ねた。
「いや、なにも」
 胸に芽生えた芽が、さんさんと注がれる水にからだを躍らせる。
 コンラートは、ゆっくりと夜に染まる街並みにご機嫌に目元を緩めて車を走らせた。
 刺激的な一日は、まだ終わらない。

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