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 数か月に一回は高校生に訪れる恐怖の数日間。定期テスト。
 先生がいうように、日頃予習復習をしていればなんのことはないレベルの問題だが、それだって日頃毎日授業を受けてノートをとり、黒板を見てもさっぱりわからないものもあれば、家に帰って予習復習する数時間を別のことに使う学生は多いだろう。なら、定期テストの数週間前に勉強をしたほうがいいのだろうが、毎回のことながら「明日やればいい」という悪魔の囁きに唆されるので有利は、今回もテスト一週間前から頭を抱えることになった。
 夏休みの宿題だって、兄勝利が催促しなければ三十一日に泣きながら徹夜をしてしまう性格なのだ。毎回、先延ばしにしたぶんだけツケが回ってくるとはわかっていてもあやまちを犯してしまう。
 定期テストを兄の代わりに催促してくれるのは、某有名進学校に通う、全国模試代二位の輝かしい称号を持つ、大賢者こと村田健様だ。
 今日は、貴重な休日をまる一日有利とその友人三田の勉強に付き合ってくれている。
 村田は、ステーキセット(ドリンクバー、デザート付)を食べ、時折王佐ギュンターが使っていそうな分厚い哲学書(趣味)を読みながらたいへんわかりやすく『これ中学生レベルのはなしだけどね』とことばのナイフで有利と三田の胸を容赦なく抉りながら教えてくれている。言わずもがな、彼が食べているステーキセットはふたりのおごりだ。
 毎度、救世主村田に教えてもらうのが日課になっている有利は、彼のおかげで赤点を免れていて、それ以前は三田と毎回赤点を取れば解答用紙を見せ合っていた仲だ。しかし、高校二年となると半年後には受験が控えている三田もさすがにこのまま自分だけが万年赤点生でいるのもさすがにつらいらしい。(いや、赤点仲間が減ったことに恐怖しているのかもしれない)どうして、同じ万年赤点の有利が赤点をとらなくなったのか、すごい形相で尋ねてきたので、有利は村田と勉強会を定期的に開いていることを告げた。
 すると『お前だけずるいぞ! オレも今回だけでいいからその勉強会に混ぜてくれて』と三田が懇願したので、その旨を村田に伝え了承もらった末、いまにいたる。
 まあ、三田の必死な気持ちもわかる。この定期テストの結果はその数日後にある三者面談でも話題になるのだから、志望校や親の泣きかおはみたくないだろう。
 今回も村田の作った『これさえできればなんとかなるだろう問題集』を死にそうになりながら有利と三田は終えて、ただいま放心状態だ。わかりやすく丁寧な村田と説明と同じでその問題集もまたやさしいつくりではあるが、内容はかなり鬼畜にできていた。
 やっと、すべての問題を解き終え村田の採点を待ちながら有利はアイスクリーム。三田はチョコケーキを食べる。
 疲れたときには甘いものが欲しくなるということばが、よくわかる。
 口に運ぶたびにそのあまりの美味しさに何度ため息をついたことか。
 採点待ちをしている間は、他愛もないはなしをしていると、ふいに三田が鼻をくんくんとさせてとなりに座る有利の匂いを嗅いだ。
「なんだよ? いきなりひとの匂いを嗅いで……」
 なにか変な匂いでもするのかと有利が不安そうに自分の服を嗅げば「いや、やっぱりなあ」と三田が言う。
「なんかさあ、最近思ったんだけど渋谷香水でもつけてんの? いい匂いがする」
「香水?」
 おしゃれもそれこそほどほど程度しか嗜んでいない自分が香水をつけることはない。香ることがあったとしても体育後の汗臭い匂いを消す消臭スプレーくらいだ。今日はさほど高い気温でもないしスプレーもしていない。
「べつになにもつけてないけど」
「そうなの? でも、なんか香水とかコロンの匂いっぽいんだよな」
 と、三田が言えばおもむろに採点していた村田が噴き出した。
「三田くん。きみ、おもしろいよ」
「そうかな?」
 どこがおもしろいのかふたりにはまったくわからなかったが、村田にはこの時点で気がついていたようでつぎの村田と三田のはなしに有利は赤面することになる。
「ねえ、その香りってさ、なんとなくシトラスっぽくない?」
「そうそう! 甘いんだけど爽やかって感じの! やっぱり村田も渋谷の香りがわかるんだな」
 甘くて、爽やか。シトラスの匂いのする人物。
「どうした? 渋谷。顔が赤いぜ? もしかして、その匂いって彼女の香りが移ったとか?」
「ち、違うっ」
 ああ、まったく。また自分の悪い癖が出てしまった。考えるよりもさきに脊髄反射でことばや行動が出てしまう。慌てて否定をしたせいで、三田のセリフを肯定してしまうようになってしまった。
 しかも、動揺に拍車をかけるように村田は「まあ、彼女ではないよね」と口にするものだからどうにかして冷静になろうとしても勉強疲れでいつも以上に働かない脳は役に立たず、有利が熱くなるのを感じた。
 こうなれば、彼女が欲しくてたらない思春期真っ盛りの三田が黙っているはずもなく、好奇心に目をきらきらとさせ有利を見つめる。このままだと、いらないことを言うかもしれないという危機感を覚えたとき村田はふたりのまえにさきほどの問題集を差し出した。
「はい、採点終わり。渋谷は数学の長文問題特有の言い回しに引っかかる傾向があるから今度はこれを中心とした問題集を作ってくるよ。三田くんは、英語かな。渋谷と同じでまんまと乗せられるところがある。ほら、こことか……」
 赤ペン先生によろしく、赤いペンで問題点の指摘とその解決策を三田に教えると、三田はさきほどの話題を忘れたように村田の説明に注目した。「なるほど」と相槌を打っている三田に有利が密かに息を吐いて安堵すれば村田は有利にだけわかるように意味深な笑みをみせた。


 ――そうして、午前中から始めた勉強会も夕方にはお開きとなり三田は村田に「これなら赤点はゼロ」のお墨付きをもらうとすぐに家へと帰って行った。帰ったら問題集の復習をするそうだ。先生がよく言うように勉強はわかるとおもしろいという心理が働いているらしい。
 もちろん、有利だってそうだが今日はそんな気分にはなれなかった。このあと、村田とともに眞魔国に行くのだ。
 自然に足取りが重くなる有利のとなりで村田はいたくご機嫌だ。
「いやあ、たまにはいいね。勉強会にひとを加えるのも。おもしろいことが聞けた」
「うう、ひとごとだと思って……」
 じっ、と村田の顔をにらめば「日頃の行いが悪いきみが悪いんだよ」と彼は言う。
「だって、匂いが移るほど四六時中ウェラー卿とべたべたしてるんだもん。眞魔国に長いをするせいか僕も三田くんに言われるまで気がつかなかったけど。どんな香りがするのか聞いたらすぐわかったよ」
「……まさか、コンラッドの香りが移っちゃってるとはなあ」
 恥ずかしすぎる。
 三田のことばを思い返すとまた頬が熱くなるのを感じ、思い返せば何人かの友人にも同じようなことを言われていたことを思い出した。
 甘くて、爽やかなシトラスを思わせる香りをする人物は有利ではない。その香りを纏っているのは、護衛でもあり恋人でもある……コンラッドの香りだ。
「僕はよく言うじゃないか。きみやウェラー卿にたいして、べたべたしているって。でも渋谷はそんなことないってそのたびに否定していたけどこれでもう否定はできなくなったね」
 ひとけのない公園に着くと、村田は蛇口の水をひねる。
「ちょっと待って、まだおれ心の準備が……」
「ウェラー卿に会う心の準備かい? そんなのいまさらだろう。彼の香りのことを気にしたってどうせ渋谷はウェラー卿と一緒にいるんだし、香りが消えるまで彼と距離を置こうとしたところでどうせ、つるっと渋谷はさっきの三田くんとのはなしを言っちゃうんだから」
 いつもどおりでいいじゃないか。
「ま、まって! 村田!」
「待たないよ。あっちでも、僕におもしろいネタを提供してくれ。ほら、問題集のコピー代だと思ってさ」
 有無を言わさぬ強さで村田は有利の右手首を掴むと水に触れる。触れてしまえばもう、有利に抗うすべはない。強い力で水に引き寄せられて、あとはお馴染みのスタツアスタートだ。


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