今日から魔王(サタン)!2
折角の美形なのに、コンラートと名を名乗る男性の発言はかなりファンタジックなものであった。
鎖骨が露わになっている白いカットソーにストール風のドレープをあしらったグレーのロングカーディガンの姿。体格といい顔といい美しい身なりをしている男はモデルや俳優に見えても死神には見えない。
有利は信じられるわけがない、と思ったが、さきほどの傷を治癒した光景を目の前にしてそれが嘘ではないような気がした。いやいや、もしかしたら、あれは単なるマジックの一つかもしれない。
溺れかけて、奇跡的に助けられ、そして死神との出会う。非日常の連続に有利の頭はすでにパンクを起こしかけていた。
「……いずれはあなたに告げなければならないときがくると思っていましたが、まさかこんな形でとは自分も思いもしませんでした」
優しく髪を撫でつけられる手は不思議なほど心地いい。
「……って、おい!」
落ち付いている場合ではない! 一体自分はどこまで流されてきたのか。あの河川敷にいた人々はきっとみんな心配しているに違いない。あれだけの騒動があったのだ。もしかしたら警察が捜索して家に連絡が入っているのかも……。
考えれば考えるほど、焦りが胸のなかに渦巻いて、有利は勢いよくからだを起こす。途端にくらりと鋭い痛みが頭に刺さった。
「……っい!」
「いきなり起き上がるからですよ」
「そんなこと言ったって!」
「わかっています。だから俺があなたをあの河川敷まで連れて行きましょう。まだ、ひとりでは歩くこともままならないでしょうから」
男は有利の有無も効かずに抱き上げた。
「この抱き方はやめろー!」
しかも、男としては屈辱的な、横抱き。通称お姫様抱っこ。
「このほうが、抱きやすいんですよ。大人しくしていてください。治癒をしたとはいえそれは表面上だけでまだからだの内側では再生が追い付いていませんから」
まるで猫のように暴れる有利を男は宥めると、歩き始めた。
有利は慌てて周りを見渡すが、水笠の増えた川には皆注意して歩いているひとは誰もいなかった。
……恥ずかしい。
心底そう思うが、自分を助けてくれた恩人だ。こうして暴れるのは、失礼極まりないのかもしれない。そう考えて、有利は暴れるのを止めた。
「さきほどの河川敷からここはそう遠くないですから、すぐに着きますよ」
しかし、育ち盛りの少年のからだを抱き抱えているとは思えないほど軽やかな足取りで歩かれるとなんだか、悔しいものがある。が、いまはそれよりも気になることがある。
「……なあ、えと、さっき言ってたことは本当なの? 死神……つまり、あんたがおれに憑いてるって……」
「ええ」
即答されて、思わず息が詰まる。
死神……それは死が訪れる者だけに現れるという死をつかさどっていると考えられている。その、神話にしかないと考えられているという者が、彼が自分の前に姿を現した。しかも、自分にずっと憑いていたという。
「おれはあんたに監視させられていたってことか。それに姿を表したってことは自分は今日死ぬ運命だったのか」
まだ、自分は十六年しか生きていないというのに。自分は死ぬ運命にあった。
考えるだけで絶望しそうだ。有利の気分はだんだんと下降し、からだのしんから冷えていくのを感じる。
「いいえ。あなたはこんなところで死にません。監視……というより、俺はあなたを護衛していたのですよ。こういう風にならないように。あなた、ユーリの行動はさきが読めない」
「……なんで死神がおれを護衛するんだ? おれなんてどこにでもいるただの高校生なのに」
「あなたは特別ですよ。だれとも、比べることもできない。最高で極上の魂を持っている」
愛おしそうに、男は有利の髪を撫でた。相手は自称死神だというのに、温かな笑顔はまるで天使のようだ。思わず、有利は頬が熱くなるのを感じて、目を逸らした。
「まあ、この話はもう少し事が収まってからにしましょう。ほら、見えてきましたよ」
* * *
そこからはもう本当に大変だった。
ファンファンとパトカーのサイレンが鳴り響き、さきほど以上に野次馬などの人だかりで河川敷には人だかりができていた。
また、モデル並みの美形がお姫様抱っこで川に流された少年を助け出した光景をみた女性陣は、黄色い悲鳴を上げる始末。
……べつに有利だって褒められたくてひとを助けたわけではないが、こうも自分の影がないとムッとしてしまう。
無事太一の安全も確認がとれたところで、親子さんと救急隊員から目いっぱいの謝礼の言葉を受け、また警察官から注意を受けた。まあ、ここまでは想定の範囲内であったから、少々頭痛のするも一通りを流れに任されていたが、問題はこの後だった。
治癒されたこともあってか、有利は無傷であったのと本人の強い希望で救急車に乗ることは免れたが、自転車をこいで帰るほどの体力はもう有利には残っていなかった。
あんなに溢れていた人ごみも救急車とパトカーがいなくなるとだんだんと消え、ぽつんとユーリとコンラートだけが河川敷に残される。
彼は自分の魂を狩らないと言った。
それはいまではないということでいつかは狩られるという事実には変わりないが、こうして再びふたりきりになると小さな恐怖が有利の胸のなかで踊った。
小陰の草むらに座ると有利は小さく息を吐く。
その隣に彼は座ると有利の肩を優しく抱いた。
「そう、落ち込まないでください。俺はあなたの魂を狩ろうなんてこれっぽっちも思っていませんから。ユーリ」
「……なんでおれの名前」
「さきほどから何回か呼んでいたのに、気がつかなかったんですか。言ったでしょう。自分はユーリに憑く死神だと。名前くらい覚えますよ。服が濡れている。これを着てください」
コンラートは自分の上着を脱ぐと、有利にかける。そこからは温かな温もりと男が使用しているコロンなのか、いい香りが鼻を掠めた。
……本当に彼は死神なのだろうか。
「まあ、死神なんて自分は名だけですよ。実際には死神のように魂を狩る特権を持っているわけではないですし。しかし、この地球上であるあなた方人間からは想像上のモノであることには変わりないですが。……ここで話すには場所が適切ではない気がするのでいまは口を閉じておきます。さて、家に戻るんでしょう? 俺が送って行きますよ」
コンラートは立ちあがって、有利に手を差し伸べた。やはり彼は笑顔で、いままで想像していた死神とは全くの別ものでどう対応していいのか戸惑ってしまう。コンラートの雰囲気の勢いに流されるように気がつけば有利はその手をとっていた。
「ユーリの家までここからだと少し距離がありますね」
「大丈夫だよ。歩いて帰れるくらいの距離ではあるから」
ここから歩けば、いまの体力であったら四十分くらいはかかるだろうか。まあ、帰れない距離ではない。
と、差し伸べた手が不意打ちにぐんと引っ張られて、有利のからだはよろける。しかしそれは地面にぶつかることもなく、再びあの格好にさせられていた。
そう、男の屈辱お姫様抱っこに。
「だから、この抱き方やめろ! っていうかひとりで歩けるから!」
「遠慮しないでください。それに服もこの暑さとはいえ、放置していたら風邪をひくかもしれませんから。俺がお送りしますよ」
「いいですっ! しかもこの距離を送ってもらうなんて、どんなにあんたが、力持ちでも家までの距離を抱き抱えて行くなんていくらなんでも、」
と、そこまで言って 有利は言葉を失った。
視界の空を全て覆い尽くすような純白の羽根が彼の背中から生えたのだ。
「天使……」
「違いますよ。死神です」
やんわりと否定されるが、その言葉は有利の耳には入ってこなかった。
言葉を失うほどの美しさ……というのはきっとこういうことをいうのだろう。一瞬、息さえも忘れたとき、ふっとからだに違和感を感じた。
例えるなら、それはエレベーターが上昇するときと似ている。
その感覚がなぜ、いま……とまた思考が通常運営を始めたとき、失った声が溢れんばかりに喉元を通りすぎた。
「っうああああああああああああああ!」
浮くはずのないからだが宙に浮いている。
正しくは、彼に抱かれていることで浮いている。
「これなら、五分くらいで家に着きますよ」
さらり、と言われた言葉に再び有利は気を失いそうになった。
ああ、一体今日何度目の立ちくらみなのか。
続きそうで続きません。