Happy drink


 雲ひとつない快晴。照りつける太陽に汗は掻いてはいないが、若干の暑さを覚えコンラートはネクタイ結び目を少し緩めた。胸ポケットに入れたメモを取り出し、今日最後の訪問先へと歩を進める。
 コンラート・ウェラーは、訪問販売員である。今では会社の看板のようなものであった。そうは言っても彼はこれを本職とはしていないが。コンラートはまだ大学四年生で本職は学生。けれども、卒業を控えた四年になったいまではほとんどの単位を取得して、一流企業への内定も早々に決まっていたので、コンラートにとって四年最後の年は長期の休み期間でしかない。
 就職難と言われる現代でこのようなことを口にすれば、学生に睨まれるであろう。しかし自分自身、それなりの努力をして得た結果なので言われる筋合いないだろうし、そこまで内定は言いふらす必要がないことをコンラートは理解している。
 コンラートがなぜ訪問販売員をやっているかと言えば、長年の友人、もしくは悪友のグリエ・ヨザックの頼まれごとであった。本来ならば、この仕事はヨザックのアルバイトである。
 ヨザックは人当たりもよく、口も達者で力もある。このような歩きどおしで終始笑顔を保たなければいけない仕事をしてはとてもいい人材だろう。実際、会社としてアルバイトで雇ったヨザックには多くの利益を上げてもらったようで、優遇もよかったようだ。だが、グリエ・ヨザックという男に欠点があるとすれば、少々注意力が足りないことだ。今回もそれが原因である。
 社員でもないのに会社の飲み会に参加、またコンラートと同じく早々に内定をもらったことでたかが外れてしまったのか、明け方近く飲み歩き、泥酔そのままお風呂に入浴したまま眠りこけたせいで風邪をひいたらしい。それだけならば、まだよかったもののそのついでとばかりに流行りの風邪のウィルスに感染し、二週間の安静を医者に命じられてしまう始末だ。
 このときすでにヨザックは会社にとってなくてはならない存在であった。抜けた穴は大変大きい。それはヨザック自身よく理解していた。
 そこで白羽の矢が立ったのは、コンラートであった。自分はあまり人付き合いを好まないのに、なぜ自分に頼むのかと、ヨザックの願いを右から左へと流していたがあまりにもしつこい彼にとうとうコンラートは折れ了承をしたことで現在に至る。
 人付き合いを好まない、と言っても無愛想なわけではない。ただ単にその深みある人間関係に触れるのがコンラートは苦手なのだ。腹の底では何を考えているのかわからない不信感。偽善。想い。それらに何度も触れて痛い想いをしてきた。人との間に一線をひくほどには。
 だがそのぶん、補うように表面的な交流はコンラートは長けていた。あたりさわりなく会話をし、自然に自分の要求を巧く含ませる。また、柔らかな茶色い髪に日本人の標準からかけ離れた体型、甘さを含んだ声音が見た人を魅了する……らしい。
 らしい、というのは実際にコンラート自身がそれらを直接耳にしたことがないからだ。噂だ。外見については幼いころから嫌と言うほど聞かされていたので、とくに照れるようなことも、不快感を持つこともなかった。
 しかしながら、まさかあんなことを言われるとは思いもしなかった。
「……ホスト販売員、か」
 訪問先の子供が言ったコンラートへの名称。はっ、として母親が愛想笑いを浮かべていたが同様な思いを思っているのは違いない。また、純粋な子供の口から聞かされるのがリアリティだ。無愛想で、商品が売れないようはマシなのかもしれないが。悪口でないとしても結構くるものがくるものがある。
 無意識に吐いたため息に気がつき、苦笑する。なんにせよ、人から何を思われていようがヨザックの体調が回復するまでは仕事を請け負うことには変わりない。
今日は訪問先で仕事は終わりだ。そう、自分に言い聞かせて再び緩めたネクタイを締めた。


* * *


 今日最後の訪問先はアパートの一室であった。最近引っ越してきたそうだ。もう一度住所をみて確認。表札には【渋谷有利】と明記されてある。それを目で流すように見ながらコンラートはインターフォンを押した。それからすぐに、足音が聞こえ扉が開く音がする。
「はいはい、どちら様ー?」
「初めまして、こんにちは。眞魔社のコンラート・ウェラーというものです。今回は、当社で開発した栄養ドリンクの紹介に……」
「ふぅん、おにーさん訪問販売員?」
「ええ、まあ」
 現れたのは青年。可愛らしい顔立ちのいまどきに珍しい漆黒でさらり、と音がしそうな真っ直ぐな髪。それから大きな瞳。
 初対面だというのに、警戒心がない声音と行動に青年の性格が垣間見えて、思わずコンラートはくすり、と小さく笑った。「え、おれなにかした?」と小首を傾げる青年にコンラートは「いえ」と首を振る。青年は、なにか言いたそうな顔をしながらもそれ以上は何もきかなかった。
「変なひと。あ、おにいさん、あがってよ。歩きどおしだったんだろ」
 ほら、という青年にコンラートはなんだか温かい気持ちがふくり、と胸のなかに落ちたの感じた。いつもならば、いやらしい話、家内に踏み入れてしまえば商談のまとまりやすくなる……そのことだけしか思わないのだが、どうしたことだろう。不思議と温かくなった胸を手で押えて「お邪魔します」と中へと踏み入れた。
「最近、引っ越してきたんですよね」
「うん、今年から大学生になって家まで通ってたんだけど通学が不便だったんで社会勉強のためにもひとり暮らし始めたんだ。おにいさんも大変だね、仕事だけどさ、スーツで外を歩くのは暑いよね」
 小暑とはいえ、そろそろと夏の暑さが増してきた季節にはたしかにスーツは暑い。しかしまあ、なんて警戒心のないひとなのだろう。普通の人であれば、訪問販売員のことを気遣ってなかに入れてくるだろうか。田舎ならまだしも、ここは都会だ。隣人でさえ、信用ならないのに。
「……親切な方ですね、あなたは」
「え?」
「もし、俺が悪い人だったらどうするんですか。例えば強盗とか……こんなに簡単に人を招き入れるなんて」
 どこか注意をするような言い方になってしまい、言ったあとに失言だったと気づくが口に出した言葉は戻ることはない。なぜ、彼の心配をしてしまうのか分からないままその失態を心のなかで舌打ちした。
 狭い玄関、しゃがみ込む青年と同様にコンラートもその場に膝待つくと紙袋から栄養ドリンクを取り出す。青年はコンラートの言葉に考え込むように膝に肘を立て顔をそこに乗せると「うーん」と唸った。そのため息に聞こえていないふりをして商品の宣伝を始める。
「これが、うちの新商品の栄養ドリンクです。カロリーも低く、それでいて味はフルーティなんですよ。よかったら、ひとつ試飲をどうぞ」
 青年の了承を得るまえに蓋を開封し、渡す。少々強引のほうがお客と商談するには良い方向に進む。ヨザックのアドバイスのひとつだ。青年も例外なくコンラートから渡された栄養ドリンクを受け取り試飲であるのにかかわらず礼の言葉をするとそれに口づけた。
「あ、飲みやすい。薬品臭くないし」
「それはよかった。大学一年だと、課題やレポート、飲み会と夜遅くまで起きることが多くなると思いますし、持っていて無駄になることはないと思います。効きは速効で、長期持続しますから」
「ふぅん」
 適当な相槌を打つ青年は早々に空になった瓶を見つめ、そのあとコンラートをじっとみる。真っ直ぐな瞳に、後ろめたいこともないはずなのに、動揺してしまう。
「……いくらなんですか、これ」
「六本入りで、今回は特別価格として980円になります」
 いつもなら、もっとうまいセールストークができるのに、この青年を目の前にするとそれが出てこない。なんだか嘘をつくような、唆すような気分になるのだ。笑みを絶やさないまま値段を告げれば、青年はズボンのポケットから財布から千円札を差し出した。
「買います」
「ありがとうございます」
 さして宣伝もないまま、購入してくれるとは。そう思いながらお釣りを渡し、商品を青年に渡すとパックに入ったそこから一本を先ほどの自分がしたように開封してあろうことかコンラートに差し出したのだ。
「えと、こん? こんらー…っど、コンラッドさんだよね? あげるよ。あんたのほうが疲れてるように見えるもん。飲んだら元気になるんでしょ、これ」
「い、いやでもこれはあなたが購入されたものでしょう? それを販売者の俺にくれるなんて……」
「そうだよ。買ったのはおれなんだからおれがこれをどうしようと別に勝手だろう。それに『あなた』なんて呼ぶのはこそばゆいからさ、有利でいいよ」
 ぐっと、それを瓶を突きだされて思わず、掴んでしまうと嬉しそうに彼は笑った。
「それにさ、さっきあんたが言ってたことなんだけどさ。コンラッドさんがもし悪いひとだったらどうするのってやつ。おれ自慢じゃないけど、そういうの分かるんだよね。で、コンラッドさんは一目見て思ったんだ。この人は悪いひとじゃないーって。だから心配御無用です。結構、色んなところに回りに行くみたいで営業スマイルとか身についちゃってるようだけど、おれの前でそんなことしなくていいよ。気にしないし。販売員のコンラッドさんにこんなこというのも変だけど、ここに引っ越してきてちょっと心寂しかったものもあって、仕事でもおしゃべりできたの楽しかったからさ。そのお礼にでも受け取ってよ。飲みなれてるかもしれないけど」
 ね、と可愛らしく小首を傾げられてしまうとそれ以上断るのも出来なくて、「はい」と頷いてしまった。
「……ありがとうございます」
 いつも見なれているはずの、栄養ドリンクなのに今はなんだか特別なものに見える。本当にこれを飲んだら元気になりそうだ。
「うん、やっぱりおれはコンラッドさんはそっちのほうがいいよ」
 そっちの方とは、一体……青年の方をみればまるで花の咲くような愛らしい笑顔で言う。
「営業スマイルも格好良いけど、自然体の笑顔のほうがなんか可愛い」
「可愛い、ですか」
 可愛いなんて初めて言われた。それから今自分が自然に笑みを浮かべたことも。
 出会ってから、まだ、数分なのに。新鮮で温かな気持ちがふつふつと沸いてくる。
「あ、あのユーリさん」
「さん付けいいよ、いらない。で、なんですか? まだ他にもあるの」
「いえ。……また、こちらに伺ってもいいですか?」
「ん、いいよ。でも、おれ毎回買えないと思うよ」
「そういうのではなくて、あの、ユーリに会いに」
 ああ、これでは子供が言うように【ホスト販売員】ではないか。あなたに会いに、なんて職業乱用もいいところだ。不審に思われたかもしれないと今更ながらにコンラートは今日何度目か分からない失態を思い出しながら思った。無意識に言葉が零れてしまうなんて。「おれに?」ときょとんと、した瞳でじっと見つめられると落ち着かない。頷くこともできずにいる自分なんていままで知らなかった。
「いいよ」
 そのたった一言の返事が、内定をもらったときより嬉しいだなんて。


 ――そうして青年の家を後にした。商品の入っていない紙袋をごみ箱に捨てして代わりに、さっきほど貰ったドリンクを持つ。空っぽの栄養ドリンク。
「……ユーリ、か」
 呟いたその名に、コンラートは小さく笑い、初めてこの仕事をしていてよかったと思うのだった。

END





素敵お題企画【コンラッドの職場体験】に参加させて頂いた作品です。
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