パラレルワールドβ



 肢体を震わせながら自分を抱きしめるコンラッドに有利はなんとなく、彼が語る『現実』の内容がいかなるものか察しがついていた。
 コンラッドが目を覚ますまえ有利も同じように夢とは到底思えないほどリアルなものを夢に見ていたからだ。あれは正直、辛いという言葉では表せないくらいひどいものだった。
 大シマロンとの避けられない大戦をし、多くの民が死に愛する眞魔国は再起不可能なほど徹底的に破壊され、滅亡するのだ。そしてこれ以上の犠牲者が出ないように、サラレギーに敗北宣言を出した自分は、これ以上の攻撃を停止するかわりに仲間たちを大シマロンへと差出し、自分はひとり、血盟城に取り残されて。
 来る日も来る日も、目を覚ませばひとり。廊下を歩いてもだれひとりとしておらず、笑い声でにぎわっていた城下町の声は、人々の泣き叫ぶ声や、自分を責める怒涛に唸る声しか聞こえない。
 やはり、自分には世界を変えるほどの力がなかったのだと知る。
 無力な自分を恨む。そしてそんなどうしようもない自分を支えてくれた仲間に、民に、毎日繰り返し謝罪をすることしかできない。その声すらも血盟城に幽閉された己の声はだれにも届くことはないのだろう。ただ、やるせない焦燥感と孤独、罪悪感だけが胸や腹のなかを渦巻く。食欲などとうの昔に忘れた。
 血盟城の様々の窓が割れていて床にはガラスが散乱している。美しい外壁にも多くの落書きがある。これらはみな、有利へ向けた民の心の叫びだ。自分は自分を信じる民衆の気持ちを裏切ったのだ。
 正直、そうしたものを見るのは辛い。
 けれども、自分は甘んじてこれらを受けなければいけないのだと、有利は知っていた。
 うわ言のように繰り返す謝罪を口にしながら、有利が想うのは元護衛であり恋仲であったコンラッドのことだった。彼はきっと、自分が無力であったことをすでに知っていたのだろう。だから、自分を見限ったのだ。
 それを有利は恨んだりしなかった。そのことに気がつかず、綺麗事を並べ立てた夢のような話をし続けていた自分が悪い。愛想を尽かされてもしかたのないことだ。もう、彼は自分のことを忘れてしまったのかもしれない。容量が良い、容姿端麗で、気配りのできる男だ。もう、新たな恋人を見つけているのかもしれない。もう、恋人ではないのにそういうことを考えると少しだけ胸が痛んだ。
 まだ、自分は彼のことが好きなのだと思う。
 捨てられてもなお、好きなんてどうしようもない。
 だがもう二度とコンラッドに抱きしめてもらえないのだろうと思うと、悲しいと思う反面、よかったと安堵する自分がいた。
 コンラッドには、幸せになってほしい。
 彼が幸せになるなら、この恋心に蓋をするくらい容易いことだ。いままでコンラッドにはたくさん助けてもらった。愛してもらった。もう感謝しきれないほどのものを自分は彼からもらったのだ。
 いっそコンラッドには自分のことを忘れてくれたらいいと思ってしまう。
 でも、わがままをひとつだけ叶えられるならもう一度だけコンラッドに抱きしめてもらいたいなと思う。つくづく自分はどうしようもないやつだ。
 有利はこの一ヶ月ずっと考えていた。人々の怒りを納める方法を。もう一度自分を信じて、この国を立て直そうと言ってもきっとだれも共感してくれはしないだろう。皆が自分を信じて戦争を起こした結果がこれなのだ。彼らは聞く耳も持たないだろう。
 ならば、どうやってこの怒りを沈めればいいのか。
 答えは、もうひとつしか残されていなかった。
 いや、最初からたったひとつなのだ。
 王様という役目を請け負ったときから。
 有利は小さく息を吐くと、まっすぐと前を向いて廊下を歩く。そうして着いたさきは眞魔国が見渡せる、テラス。自分が一番、血盟城で好きな場所。
 扉を開くと一層、民衆の怒りや悲しみが有利の鼓膜を震わせた。閉鎖されている門を皆が次々と絶え間なく叩いている。手に持つ刀や石、農機具はすべて自分を殺そうとしている武器なのだろう。
 本音を言うと、いますぐテラスの扉を閉めて部屋に閉じこもりたかった。いや、血盟城を出て誰も知らない遠くの地でひっそりと暮らしたい。恐ろしいほどの怒りに満ちた人々から眼を逸らしたい。恐怖で足が竦む。それを有利は叱咤して、一歩、一歩進む。
 自分は一度王の背負ったのだ。逃げだすことなど、できない。
 逃げたいけれど、逃げない。
 有利は大衆のまえに姿を現すと、肺まで深く息を吸い込み声を眞魔国全土に届けるように大きな声を張り上げた。
「ごめんなさい! おれに力がないばかりにこんな最悪な状況を生み出してしまった。それはすべて王であったおれに責任があります! おれはこの一ヶ月ずっと考えていました。どうしたらいいのか、どうすればいいのか。どう責任を取るべきか、考え、そして、答えを見つけました!」
 ざわついた声がしんと静まりかえる。民衆の視線のすべてがすべて自分に注がれることが痛いくらいにわかった。もう、後戻りはできない。有利は言葉を紡ぐ。
 みんなが待ち望んでいた言葉を今日は感謝の言葉として贈ろう。
「おれは、おれの死を持って責任を形として残します!」
 おおお! 民が歓喜に喜ぶ声がした。その明るい声に有利は微笑む。
 ありがとう、こんな頼りない自分を好きになってくれて、本当にありがとう。
 口にすれば、さきほどの恐怖が薄れたような気がした。喜びに満ちた笑顔が最後に見れて本当によかった。顔に自然と笑みが浮かぶ。
 有利は柵に足をかけて両手を鳥の翼のように悠々とのばした。
 今度生まれ変わるなら、風になりたい。世界を風になって巡り、すべての人々に幸せを運ぶようなそんな風に。
「いままで、ありがとう! そして本当にごめんなさい」
 足を踏み出した。手を翼のようにのばしたところで、ひとは空は飛ぶことはできない。重力に逆らうことなく、有利のからだは落下した。
 どんっ!
 と、鈍い音がからだじゅうに響いた。自分はどうやら即死できなかったらしい。けれども、もう痛みを感じることはなく、このままこうして自分はゆっくり死んでいくのだろうと有利は思った。散々みんなに迷惑をかけてきたのだ。そう簡単に死ぬことは赦されないことなのかもしれない。
 だんだんとからだや意識が遠くに行くのを感じる。と、ふいにからだが軽くなったような気がした。もう目が開ける力さえない。感触も感じられないはずなのに、有利はこの感覚が一体なんであるかを知っていた。
 死にかけている心臓が、ひとつ大きく高鳴る。
「ユーリ!」
 己の頬にあたたかなものが流れ落ちる。
 自分の名を呼ぶ声、抱きあげる腕を、有利は知っている。
 コンラッドだ。


 そんな、夢を有利は見ていた。確かにバッドエンドという言葉が似合う人生の終わりがそこにはあった。彼が言うようにあれは違う世界の現実なのかもしれない。この夢をコンラッドが見えているという確信はなかったが、き然としている彼がこんなにも同様している夢には確実に自分が関わっていることはわかる。
 あまりにもリアルな夢、否、現実の話。
 ならばあれに名前をつけるとするならパラレルワールドだろう。どこかで選択を誤ればああいう未来がこの世界でも起こっていたという話だ。
「おれは、ここにいるよ」
 と、有利が言えば、コンラッドはひゅっ、と息を飲む。それから、唸るような声で「あなたの隣に、この国に戻ることができて本当によかった……っ」と呟いた。その痛々しい声音に自分はこんなにも愛されているのだと、改めて知る。こんな状況で、幸福を感じる自分は腹黒いのかもしれないと有利は自傷的な笑みを浮かべる。
 異なる現実の自分を責めるように、コンラッドは話し続けるので、有利はずるいなと思いながらも震える男の唇を塞いだ。
 コンラッドは一瞬戸惑うような仕草を見せたが有利が口唇を割って舌を差し込むと、今度は彼のほうから舌を絡ませてより深いキスをし掛けてくる、甘えるように。
 そうして、傷をなめ合うようなキスが終わるとコンラッドも落ちついてきたのか彼の肢体から震えが消えていた。
「……どう、少しは落ち着いた?」
「ええ、あなたのずるいキスのおかげで」
「こういうキスを教えたのは誰だと思ってるんだよ。ま、ちょっとでも落ち着いたんなら寝よう。怖いなら手を繋いで一緒に寝てやるから」
「手を繋ぐよりも、あなたを抱きしめて眠りたい」
「どっちでもいいよ。コンラッドが安心するなら。ほら、寝よう」
 普段よりも光が薄れている彼の瞳を自分の手の平で覆い、再びシーツへと背中を預けるとまた、からだを抱きしめられた。
「おやすみ、コンラッド」
 言えば、コンラッドは再び目を閉じて、静かな夜が始まる。
 怯える彼に幸福を感じる自分。
 あのもうひとつの世界でも自分は同じことを思っていた。
 有利は嬉しかった。最後の最後に彼の腕のなかで生涯が終えることができることに。情緒不安定にあるいまの彼にこんなことを言えば、怒られるかもしれないと思い黙っていたが、あの世界の自分はたしかに幸せだったのだ。
 コンラッドが自分の名を呼んでくれたこと、泣いてくれたこと。すべてを忘れて幸せになってほしいと思っていたが、心の奥底の深い場所ではずっと彼に有利、という自分の存在を覚えていて欲しかったから。
「……あなたを護るから」
 コンラッドが呟く。その言葉にじわり、と心が暖かくなるのを感じる。
 この世界では、必ず彼を幸せにしよう。
 そうして、目を閉じたさきに見えたのは、もうひとつの世界でみたどこまでも透き通るような青空だった。


END
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