パラレルワールドα



 大シマロンとの大戦は、眞魔国の惨敗だった。
 兵たちがぶつかり合い、殺し合い、家は燃えあがり、いたる場所で死体が転がり、食べものに飢え、皆は餓死し、憎み合い、民同士で殺し合い、完膚無きまでに眞魔国は滅亡した。
 こうならないよう、自分は愛しいひとの国を捨て、大シマロン側についたというのに。干乾びた故郷にはいまや、草木も生えない。
 自分の命と引き換えにしてもいい、と願い眞王に貰った腕などいまとなってはただのガラクタだ。装飾品。役立たず。
 どうしようもない枯渇した感情に胸が燻ぶる。
 後悔、そんな言葉がいまの自分にはよく似合う。
 こうなるなら、役目など放棄すればよかった。眞王に役目を頂戴し、叶えるほど自分には力がなかったことにもっと早く気づくべきだったのだ。そうすれば、もうしかしたらこんな未来はなかったのかもしれない。いまとなれば、すべてが遅い。
 コンラートは、眞魔国に赴いていた。サラレギー陛下の命で。
 役目を承ったあの日から、もう自分は眞魔国には帰ることはない、帰れないと思っていた故郷の無残になった地を一歩一歩噛みしめるように歩みながら、コンラートは大シマロンの使者として血盟城へと向かう。
 大戦に敗北したその日、眞魔国は、大シマロンの一部となった。眞魔国の王、ユーリが民の命と引き換えに、敗北宣言をしたのだ。あの悲痛に歪んだ彼の顔をコンラートは一ヶ月経ったいまもよく覚えている。
 ユーリの側近らは、ユーリを残しひとり残らずいまはサラレギー陛下のいる大シマロンの下、まるで奴隷のように働いている。ユーリは、まるで見せしめのように血盟城に幽閉されて。
 ずっと、コンラートはユーリのことを考えていた。大きな城にたったひとりで残された元恋人であった彼のことを考えていた。
 血盟城に残された彼の苦しみは計り知れないだろう。
 考えると胸が痛む。
 今回、サラレギー陛下の命はとくになかった。ただ、彼は執務室に山積みになった書類に目を通しながらたった一言告げたのだ。
『眞魔国に行っておいで。それで、ユーリに会ってくるといい。きっと面白いものが見れる』
 それは、壊れかけたユーリをこの目で拝んでこいというものなのだろうか。つくづく、サラレギー陛下の趣味の悪さには、吐き気がする。
 コンラートは無意識に顔を歪ませた。
 だが、それでもサラレギー陛下には感謝をしていた。ひとりで眞魔国へ向かわせてくれたことを。
 コンラートは、もう、大シマロンに帰るつもりはなかった。
 昔、彼に言った言葉を叶えようとずっと考えていた。
『裸足で逃走しますよ』
 もう、彼に辛い思いはさせない。これからさき、罪人として死ぬまで追われることになろうとも、ユーリ自身が拒んでも、彼を強くこの腕に抱いて今度こそ一生護ろうと思っていた。
 静かになった城下町を抜けて、ユーリの幽閉されている血盟城の近くまでくると、人々の声が聞こえてくる。その声に、さらにコンラートの顔は歪む。眞魔国の民が血盟城の周りを囲んで暴動を起こしているのだ。コンラートは馬の尻を急かすように叩くと血盟城へと急いだ。


 そうして、着いた血盟城には予想通り生き残った民が塀を囲むようにして激動に身を任せ、鍵の掛かった門に石や火を投げつけて大声をで悲痛の声を上げている。それらは全てかつて王であった十六歳である少年王に向けられたものだ。死ね、殺せ、殺してやる。
 耳を塞ぎたくなるような言葉の数々をもうユーリはどれほどまでにあの小さなからだで受け止めてきたのだろう。
 殺意に満ちた民が大勢いる門は開けられない。
 開ければ、彼は殺されてしまう。
 どうにかして、血盟城内に入る場所をコンラートは探した。一刻も早くユーリに会いたい。連れ出してあげたい。
 民の群れをかき分けながら進入経路を探していると、突然民の声がわっとはねあがった。人々が上を向く。それにつられるようにして、コンラートは視線を上に向け、目を見張った。
 血盟城の中心に造られた窓辺のテラスにひとが見えた。
 いまも変わらず、漆黒の服に身を包んだ彼。ユーリだ。
「……ユーリ」
 彼の登場に一層怒涛に燃える人々の声が熱を増す。ユーリは青く澄み切った空を眩しそうに見上げるとそれから幾分とやつれた顔で人々に目を向けた。
「ごめんなさい! おれに力がないばかりにこんな最悪な状況を生み出してしまった。それはすべて王であったおれに責任があります! おれはこの一ヶ月ずっと考えていました。どうしたらいいのか、どうすればいいのか。どう責任を取るべきか、考え、そして、答えを見つけました!」
 ユーリの言葉に民衆が静まりかえる。
「おれは、おれの死を持って責任を形として残します!」
 おおお! 人々の声が歓喜に包まれてコンラートは慌てた。やめるんだ、ユーリ! そう叫ぶ己の声は民の声でかき消され、からだが揉まれ、これ以上先に進むことができない。それでも前に進む。
 このままでは、彼が死んでしまう!
 ユーリは、柵に両足をかけてまるで鳥のように手をのばした。
「ユーリ!」
 叫んでも聞こえない。ただ、ユーリは寂しそうに笑い、大きな声で叫んだ。
「いままで、ありがとう! そして本当にごめんなさい」
 足が地面のない宙へ。
 そして、ユーリの姿は消え、地面にどん、と叩きつけられた音がした。あの高さから飛べば、あるのは死だけだ。
 こんなことをしても、なんの解決にもならないことを民はわからないのか、鳴り止まない拍手と歓喜の声に包まれ、そのなか、コンラートは慟哭を上げた。
「あああああっ!」
 ユーリ、ユーリ!
 自分はなにも救えなかった。何もできなかった。
 ただもう、声にならない叫びと止まることない涙が次々と頬に落ちて目の前が真っ黒になる。


 と、突然肩を揺さぶられた。
「……ッド! コンラッド!」
「……ユー、リ?」
 はっ、と目を開けるとさきほど死んだはずの彼がいた。
「なんかうなされてたみたいだったから……大丈夫?」
 すごく、汗かいてるよ。
 彼はベッドサイドのチェストにあるタオルでコンラートの顔を優しく拭く。コンラートはその手を掴むと彼を抱き寄せた。
「ユーリですよね?」
「おれ以外だれがいるの。ここにいるのはおれ、渋谷有利だよ。そんなに怖い夢でもみたの?」
 ユーリはコンラートの背中に手を回して優しく撫でた。
 心臓がうるさく、落ち着かない。情けなくも、自分の肢体が震えているのがわかる。
「どんな怖い夢をみたんだよ? 言えば楽になるって言うぞ」
「……言えません」
 夢ではない。あれも現実なのだ。あんな生々しく恐ろしいものを夢とはコンラートは呼べなかった。あれは、夢ではなくパラレルワールドではないのか。
 パラレルワールド。ここではない現実の話。この世界とは平行線にある違う未来。夢というならば、起きた瞬間に記憶があいまいになるはずなのに映像が脳裏に焼きついて、それどころか忘れていた記憶が蘇るようにいまもまだあの夢は進行しているのだ。どうにか、血盟城内に入った自分は彼の亡骸をいまと同じように強く抱きしめ、泣いている。叩きつけられた衝撃でいくつか肢体が崩れたユーリを見るのは怖くなかった。それ以上に抱きしめた彼がもう二度と息を吹き返すことがないということを理解することがとても恐ろしく、涙が止まらない。
「大丈夫だよ、この世界のおれは生きてる」
 まるでコンラートが見たものを見透かしたように、ユーリは優しく背中を撫でづつけて、思わずコンラートは喉を鳴らす。抱きしめた彼の胸からは確かに絶え間なく鼓動が聞こえる。
「おれは、ここにいるよ」
 そう言って笑う、ユーリにコンラートは言葉を紡ぐことができなかった。
 ユーリは確実にあの世界では『死んだ』のだ。
 大シマロンへ向かった自分がどこかで選択を誤ればあのような世界の終わりがあったという、現実。
 コンラートはより一層ユーリを抱きしめる腕に力を込めた。
「あなたの隣に、この国に戻ることができて本当によかった……っ」
 泣きたくなるほどの胸が痛く、苦しい。
 抱きしめた彼のからだが温かくて、幸福だと感じる。
「大丈夫だよ。おれはあんたを置いてどこにもいかない。コンラッド、ここが現実だよ。あんた見たのは怖い夢、落ち着いて」
 優しくあやす彼の言葉に心底安心する。
「いえ、あれは……きっと現実だ」
「どうしてそう思うの?」
「わかりません、でも、あれも現実です」
「ふぅん。あんたの様子をみるかぎり、よっぽど怖い現実を見たんだろうけど聞かないよ。どうせ、おれ関係のことだろうからこれだけは言っておくよ。そっちの現実のおれもコンラッドが存在してるなら、どんなことであれ幸せだよ」
 だから、あんたは何も心配しなくていい。
 まるで子守唄を歌うような柔らかな声音でユーリは耳元で囁く。あんな、終わりを幸せだと言えるものか。
 反論しようと開いたコンラートの唇を、ユーリが塞ぐ。胸に蟠る悲しみをすべて吸い上げるような深いをキスを彼はした。
 こんなずるいキスを彼はいつの間に覚えたのだろう。誘われるまま労わる余裕もなくコンラートは、彼の口を貪る。口角から零れる唾液を気にする余裕もない。恐怖を拭うように、キスに没頭した。少しでもこの気持ちが映像があいまいになるなら、そうして彼の優しさに甘えて逃げ出したかった。
「……どう、少しは落ち着いた?」
「ええ、あなたのずるいキスのおかげで」
「こういうキスを教えたのは誰だと思ってるんだよ。ま、ちょっとでも落ち着いたんなら寝よう。怖いなら手を繋いで一緒に寝てやるから」
「手を繋ぐよりも、あなたを抱きしめて眠りたい」
「どっちでもいいよ。コンラッドが安心するなら。ほら、寝よう」
 目を自分より一回り小さな手のひらで塞がれ、再びシーツに背中を預ける。
「おやすみ、コンラッド」
 彼を抱きしめて、コンラートは瞼を閉じた。するとまた、異なる世界の続きが始まる。
『こんな終わりは赦さない。あなたの望む世界をともに見えるまでどんなことをしても俺はこの未来をかえるから』
 ユーリの亡骸を、胸元の青々と輝く魔石を握りしめながら、自分は呪うように、願うように呟いていた。
 ああ、いまあるこの世界はこのパラレルワールドの願った世界なのかもしれない。
 ユーリのいない世界など、自分の生きられる世界ではないのだから。
『愛しています、ユーリ。今度こそは』
「……あなたを護るから」
 コンラートが、小さく呟く。すると、亡骸を抱いたもうひとりの自分が微かに微笑んだ気がした。


END
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テーマ「人外ファンタジー」
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