僕らの夏

 日本の夏は本当に暑い。高い気温もさることながらこの湿気が体力を奪っていく。しかも、今年の夏はあまり風もなくて困る。
 有利は冷蔵庫から母親お手製の麦茶(とは言っても市販の麦茶のパックに水を入れただけ)を取り出して、ふたつのグラスにたっぷりと氷を入れ、麦茶を注ぐ。視界のはしにスナック菓子が見えたが、こうも暑いと食欲は出ない。それについさっき外食をしたばかりだ。きっと部屋にいる彼も菓子に手を出すことはないだろう。
 とくになにもしていないのに、じわりと額に汗が浮かぶ。
 手早く、お盆に麦茶の入ったグラスを乗せると有利は二階の自室へと急いだ。
「ごめん、いま手がふさがってるからドア開けてくれない?」
 ドア越しに声をかけるとすぐさまノブのまわる音がして、男が顔を出した。こんなにくそ暑いというのに、彼、コンラッドの周りだけは涼しげだ。
「ん、暑いから麦茶持ってきた」
「ありがとうございます」
「……はあ、暑かった。一階も暑いけど階段が一番蒸してて汗掻いちゃったよ」 
 小さな円卓テーブルに麦茶を置くと、額に滲んだ汗をシャツで拭うと有利は扇風機のまえに座り込んだ。
「あー……生ぬるいけど涼しい」
 無意味に扇風機に向かって声を出していると後方から笑い声が聞こえた。
「それは、地球に伝わるなにかの伝統ですか?」
「いや、伝統ってわけじゃないけど一度はみんなやってると思うよ」
 ワレワレハウチュウジンダーとか、声が変になるのを楽しんでる。
 と、どうでもいいことを口にするとコンラッドは有利のとなりに座り同じように声を出した。
「たしかに、おもしろいですね」
 嘘つき。実質百歳も超えた男がこんなことでおもしろいわけないだろうと思い、横目に見れば有利の予想を反して彼は楽しそうであった。
 あれか、ギャクセンスがマニアックなコンラッドには受けがいいんだろうか、と少々失礼なことを考えていると自分の視線に気がついたのか、彼がこちらを向いて笑う。ついでに、一瞬口唇に熱が掠めた。コンラッドの顔が鼻先が触れあうのではないかと思うほどに近い。
 たぶん、いや、ぜったい、この男はキスをしたのだ。
 息を吸うような感覚で、簡単に。
 付き合いだしたころはこんなキスなんて自分もコンラッドもできなかったのにいつの間にこんなに自然にキスができるような仲になったのだろう。なんて改めて考えると、なんだか恥ずかしくなり頬がぼっと熱くなるのを感じた。
「あついですね」
 コンラッドが、有利の髪を撫でつけながら言う。
 その手は自分の体温より低くて、とても気持ちがいい。この茹だるような暑さに頭がくらくらしているのか、もしくはこの男の手の温度に、声に、酔っているのかわからなくなる。髪を撫でつけていた指が頬に移動し、彼はもう一度「あついですね」と言った。「あついですね」の言葉はきっと夏の暑さでもなく、自分の火照った頬を指しているのだろう。恥ずかしい心情を見透かされたような気分になる。
「……あんたの手は冷たいな。冷え症なの?」
 頬を撫でる彼の手に自分の手を重ねる。
 なんて甘ったるいんだ。
 自分の行動があまりにも乙女で思わず笑ってしまう。こんなに暑い日に狭い部屋でふたり、男が扇風機のまえでくっついて、キスして、本当に一体なにやってるんだろう。
「冷え性じゃないですよ、もとから体温が低いのだと思います。で、ユーリはなんで笑ってるの?」
「あー……なんか昼間っから不健全なことしてるよなって思ったら笑えた」
「触れるだけのキスなのに不健全ですか?」
 コンラッドがくつくつと喉奥で笑う。笑うとすこし困ったように眉根がさがる。気が緩んだときにみせる表情。その顔をみるとうれしくなる。
 ああ、リラックスしているんだと、思う。
 基本的に、この男はだれにたいしても笑顔で表も裏もないような顔をしているが、実際は雰囲気のように穏やか性格ということでもなく、いつもどこか冷めていて肩の力を抜くことをしない。けっこうストイックな男なのだ。もっと、肩の力を抜けばいいのに、とは思うがきっと彼はそれを許さないのだろう。
 だから、こうして時折みせる笑顔がうれしい。甘やかしてやりたいと思ってしまう。
「ねえ、ユーリ不健全ってもっと濃厚なものじゃないです?」
 は? と、疑問の形に口を開いた瞬間唇が重なり、舌が差し込まれて言葉は再び喉奥へと落ちていき、その代わりに水音が鼓膜に響いた。冷房よりも扇風機派な自分の部屋は網戸になっている。外から聞こえる蝉の鳴き声とこどもの笑い声が水音よりもからだを熱くさせた。
「ん、ぁっ」
 首振り機能になっている扇風機だから、一定のリズムで向きをかえる。すると、生ぬるい風が消えてすぐに夏の暑さが全身を覆い汗がいたるところから滲みだしてきた。
 暑い。
 暑いのならこの男の顔や、肩を押し返して離れればいいとわかっているのに、自分の手は彼のシャツを掴んで離さない。シャツを掴む手も汗が滲んで気持ちが悪いと思うのにそれすらいまは興奮を覚えた。
 コンラッドの手が腰にまわりぐっとからだを引き寄せられ背中が床に着く。フローリングの床はすこしひんやりしていて気持ちがいい。いつの間にか自分も彼の愛撫に応えるように舌を絡めていた。
「……ね、こういうことのほうが不健全じゃありませんか?」
 ほどなくして、どちらともなく唇が離れるとコンラッドは有利を組敷いた状態で笑みを浮かべた。まるで、いたずらを楽しむこどものように。ミンミンと蝉がけたたましく鳴き続けている。
「ま、たしかにな」
 再び笑いが込み上げる。日中から、自分たち本当になにをやっているんだか。口はしからこぼれた唾液を手の甲で拭えばその手を掴まれ、舐められた。
「うわっ!」
「……もったいない」
「もったいないの意味がわからないよ、コンラッド! 汚いっていうか、気持ち悪いからやめろ!」
 手を引こうとしたが、コンラッドのちからが強くいまだ唾液のついた左の手の甲をなめ続けている。
 お前は、犬か!
「気持ちが悪いというのはひどいな、ユーリ。さっきはあなたも俺の唾液舐めてたりしてたでしょう」
「それとこれとは違うだろ……」
 キスは必然的に唾液が交わってしまうが、そういう行為でもなく唾液を舐めるなんておかしいだろう。空いているもう片方の手で軽く男の頭を叩く。
「そんなに気持ちが悪い?」
 手の甲を舐めていただけの舌がゆっくりと指のさきへと移動し、人差し指をまるで下肢を愛撫するように動き、そのままコンラッドの口内へと誘われる。ときおり間接の節を噛まれるような動きをされると無意識に背中がぞくりと震えた。
「……コンラッド、この暑さに頭がやられたんじゃないの?」
 そう茶化してみるが、そんな冗談がいま目の前の彼に通じないのはわかっている。「そうかもしれませんね」と相槌を打つが、愛撫を施す行為をやめるつもりはないらしい。
 彼の行動に本当に嫌悪感を感じていれば、コンラッドの股関に思いっきり蹴りをいれ、テーブルの麦茶を頭からぶっかけて強制的に眞魔国へとスタツアさせている。
 わかっているのだろうか。この男は。こんな変態行為を甘んじて受け入れてやれるのはコンラッドだけだということを。
「わかっていてやってるんだろうなあ……」
「なにが、わかってるって?」
「いや、なんでもないよ。それよりコンラッドそろそろ。」
 どいてくれ、という声に重なるようにコンラッドは己の声を重ねた。
「そろそろ、もっと不健全なことをしましょうか? 食後の運動も兼ねて」
 今日はそんなことをするために地球に来たわけじゃないだろう。
 なんて言いかけた言葉は胸のなかだけで、また無意識に自分はコンラッドの頭を窘めた手を彼の下唇に移動し、なぞった。
 こうなることを正直どこかで期待していた自分が一番不健全だと思う。


クーラーより扇風機派な有利。2012/7/29(陛下お誕生日小説)
続きます。


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