眞魔国に雪が降った。それは昨日の話。
オレはそれを横目にしながら黙々と執務を続けていた。視線は目の前の紙文字を追い、思考は明日を追っていた。
その明日が今日。
「わーい! やっぱり積もった! 一面銀世界」
「ああ、思いのほか降りましたね」
中庭はどこまでも真っ白。いつも雪が積もったときの光景はまるでそこに新しい世界のようだ。
ロードワークは中止。それは言わずともコンラッドには分かっていたのだろう。朝起きれば「中庭に行きましょうか」と声をかけられた。それは「遊ぶのでしょう」と言っているのと同じだ。
さくさく、とも、ぎゅっぎゅっともしっくりこない雪を踏みならす音。目の前には何もない。周りの廊下にも歩く人々の姿はどこにもなかった。
それもそうだろう。ロードワークの話題が出たくせに、オレが起きていた時間はまだ日もなく。まだ、周りは真っ暗なのだ。一番鳥も鳴かない。静かな朝。口を噤めばどこまでも音のない世界。そこに息を吸う自身の白い息だけが銀の星の輝く黒い空に溶ける。それは、まるで重く幻想的な深海のようにも思えた。
後ろからあと追う彼に気付かれないようこそりとオレは雪を掴んだ。冷たい。指先が脳に信号を送る前に脊髄反射でそれを感じる。それさえも気には止めず、俺は彼の名を呼んだ。
「コンラッド!」
勢いよく振り返りその力を利用して思いきりコンラッドに向かって雪を投げる。
「っあー……」
「残念」
さして驚くこともなく難なく俺の襲撃を交わすとその長い足を使いあっという間にオレのところまで。
「何を笑っているんです?」
「あんたの鼻が少し赤い。当り前だけど、寒いんだなあって。この世界にコンラッドがいるんだなあって妙に実感した感じ……ん、ぅ」
「そうですよ。俺は貴方の隣にいるんです」
コンラッドがオレの頤をすくい、下唇を舐めた。ぞくり、と背中が震える。でもそれ以上に喜びが体の奥底から駆け廻って涙が出そうになる。小さく口を開ければ彼の舌が入ってくる。外は冷えているのかその熱がいつもよりもリアルに感じられて、こわくてギュッと縋るようにコンラッドの軍服を掴んだ。
幸せだ。と思った。
幸せがここにある。
だから、涙が零れた。
オトガセカイニトケル日。
あの日はもう戻ってはこないけど。胸のどこかでぽっかり寂しく存在してる。完全に塞がることのない傷。
「このまま、貴方と溶けてしまいたいね。太陽とともに」
コンラッドが言う。オレは頷いた。
涙は止まらない、幸せ過ぎて。
「大丈夫だよ。もうずっと一緒だから」
彼がオレの涙を拭う。オレは言う。
「もっと、愛して! もっと、もっとコンラッドが欲しいよ……っ」
「冷たい手、」
温かいコンラッドの手が重なる。静かに深海に沈む感覚。目の前に広がるのは、優しいコンラッド。酸素を閉じ込めた泡のような星空。太陽の見えない空の海。
オトが沈む。
「温めるよ。愛してあげる。太陽に溶けるまで、あの日の傷も全部、全部。今日の雪で埋めるから」
「コンラッド、」
「だから、泣かないで。愛しい子」
雪の冷たさも忘れた。口が再び重なり、音が消える。
世界は廻るよ。悲しい傷をそこに置いて。
END
○設定/コンラッドが眞魔国に帰還した1年後の冬。切甘微エロ。しっとり。
2010年.元旦記念小説。