英雄の手2 相談にのるよ、と自分の目を見つめるユーリにコンラートはいたたまれなくなって思わず目を逸らした。 ユーリは確実に怒っている。 「なんで目を逸らすかな。話せばいいじゃん。おれは怒ったりしないよ?」 「……すでに目が笑ってないように見えますが」 「よく、わかってるじゃん」 「……」 ほろ酔い加減にあった思考が、だんだんとクリアになっていくのを感じる。一体ヨザックは彼になにを言ったのだろう。休暇願いを提出するだけではユーリの機嫌はこんなに悪くならないはずだ。 「働きづめのあんたがいつ休みをとったっておれは構わないけど、またひとりで悩んでおれから離れようとするのはべつ。コンラッドがネガティブな思考で考えた答えは、ほとんどの場合よくない方向になるんだから」 コンラートの考えを読み取ったかのようにユーリは言うと、円卓テーブルに肘を載せる。 「あ、明日はおれ王様業一日おやすみだから、心配しなくていいよ。遅くまであんたに付き合ってあげる」 そう言って微笑むユーリは最近、彼の親友である猊下になんとなく似てきたような気がする。どうやら、自分には逃げ道はないようだ。 コンラートは再び、酒を一気に煽ると、渋々口を開く。 些細なことで悩んでしまう自分は本当に、年上なのだろうかと呆れてしまう。でもまあ、遅かれ早かれこうなっていたかもしれないとコンラートは思った。ユーリ相手に、隠しごとをするのはできないのだ、自分は。 「聞いても呆れるだけだと思いますよ」 「うん、おれもそう思う。だけど、あんたの話や思いはなんだって聞きたいんだ」 まったく、彼はずるいと思う。コンラートは眉根を下げた。 普段はこのようなストレートな言葉をユーリは使わない。だのに、こうして弱っているときは自分を甘やかすようにうれしい言葉を口にするのだ。それに、甘えてはいけない、と思うのに毎回失敗する。 今回もそうだ。 「これ以上おれの機嫌を損ねるなよ?」 艶やかな笑みを浮かべて「言えたら、あとでご奉仕してあげる」なんて言われてしまえば陥落しないわけがない。もとより自分はこのひとに勝てるすべなど持ち合わせていないのだ。 「わかりました」コンラートは答えて、小さく息を吐くとグラスに目を映す。 「自分の手が汚れているような気がしてならないんです。英雄、と称えられるたびに手に血の感触を匂いを感じてどうしたらいいのかわからなくなるんです」 汚れている自分。いまさら後悔しても無意味だとわかっているのに、この手で何人の命を殺めたのか考えると深い罪悪感を感じる。赦されたいとは思わない。けれど、一生この思いを抱いて生きて行かなければならないと思うと時折どうしたらいいのかわからなくなるのだ。 「……悩んでも、解にたどり着くことはない。背負って生きていくしかないんです。わかっています。軍人である以上、また、あなたを護るには、誰かの命を奪うことに躊躇うことがあってはならない。でも、」 「それがあんたが悩んでる原因?」 ユーリがコンラートの答えを受け継ぐ。コンラートは頷いた。 それから、ユーリは自分が予想した通り悲しそうに微笑んだ。 「そっか」 胸が痛い。そうして無理に笑わないでほしい。自分がそのような顔をさせているのだが、してほしくはない。こうなるから、言いたくなかったのに。 コンラートは瓶を掴むと荒い手つきで自分のグラスに酒を並々と注ぎ、煽る。喉奥が再び熱く火傷でもしているかのような感触を覚える。このまま胸の痛みも焼けてしまえばいい。そう思うのは、酒がまわってきているからなのだろうか。 「でもなあ、コンラッド。たぶんさこの世にはそう言った意味で手のきれいなやつなんていないんだよ。きれいなひとなんていない。どんなに素晴らしいひとだって、だれかにとっては悪なんだよ。おれもそうだし」 慰めのことばじゃないけど聞いてくれないか? ユーリはこめかみをかきむしりながら言う。 「あんたの痛みも悩みもおれは代わってやれないし、同じ罪悪感を背負ってやることもできないけどさ……ああ、なんて言えばわからないけど、そんなコンラッドが、おれは好きだよ」 「は、」 「……おれの願いはこの世界が平和になることだ。いろんな国をまわって、知ってけんかして、そのなかでおれは上様ってやつを降臨させることがある。そのとき、もうひとりのおれが残すことばを知ってるか?」 「……正義、と」 「そう。正義。正義っていうのはそのに悪があるから正義って言えるんだ。おれは勝手に相手を悪と決めけて、ひとを傷つける」 「それは、違います!」 それは、違う。このひとが起こしたことでたくさんのひとに笑みが戻った。たくさんの人々が救われた。だれかを傷つけたわけじゃない。 コンラートは言ってユーリの言葉を否定するも、彼は首を横に振った。 「いや、おれは悪と決めつけたひとを傷つけたんだよ。彼らはたしかに悪いことをしてきたと思う。だけど、彼らにも彼らなりの生活があったんだ。それを、おれが壊した。もしくは壊そうとした。そんな彼らから見ればおれは正義じゃなくて『悪』だ。まあ、そんなのどっちだっていいんだ」 重要なのはそのあと。と、ユーリは喉を潤すようにグラスの水に口を続けて話を進める。 「願いのために行動する。それが大きなものほど、良かれ悪かれそれはさまざまな形になって影響を与える。それはたぶんおれよりもこの国をずっと守ってきたコンラッド達のほうがわかってると思うけど。……おれはへなちょこだけど王様なんだ。そのおれが起こす行動は多くのものに影響を与える。たとえば、」 ユーリはそこで一度言葉を切って、また悲しい笑顔を口端に浮かべた。 「たとえば、死、とか」 その言葉にコンラッドは息をひゅっと息を飲む。『死』という言葉がコンラートの頭のなかで反響した。 「悪であろうとなかろうとおれはそのひとの生活を壊すんだ。仮そめであった強さが消えて、そのひとは普通のひとになる。もしくはいままで痛めつけられてきたひとたちの憎悪によって立場の弱いひとになる。軽蔑のまなざしで黒い噂で肉体的暴力がなくても精神的なダメージでひとは死ぬことができるんだ。現に、日本では自殺の死亡率が高い。おれは自分の願いを叶えることで、だれかの願いを奪っていまのいままで生きてるんだ。その重さは違えど、みんな持ってる。だからみんなきれいな手を持ってなんかない」 ユーリはテーブルから身を乗り出すと、コンラートの片方の手を両手で優しく包む。血の染み込んだ汚い、手を。 「コンラッドの手もおれの手もみんなの手も同じなんだよ。汚れてるんだ。きれいじゃない。……それが、仕方ないとかいいとかわからない。だけど、これだけは言える。コンラッド、あんただけが特別じゃないんだ」 間違えるな。 酔いがまわっているはずの脳に彼の声がクリアに響き、ユーリの真剣な眼差しが胸の蟠りを鋭く突く。 「あー……なんか長々としゃべりすぎて自分がなに言ってるのか、なにを言いたかったのかよくわからなくなったけど、そういうことなの!」 「ええ。よくわかりました」 ユーリの手を今度は自分が包みこむようにして覆う。自分よりも一回り小さい愛しいひとの手。 彼は同じ手だと言うが、自分はこんなにもやさしい手をしていない。 コンラートはユーリの指に触れるだけのキスを落とす。途端に勢いよく手を引かれてしまった。 「おい、なにどさくさにまぎれて公共の場で変なことをするんだ!」 「変なことって……。恋人なら普通のことでしょう?」 つっ、と視線をユーリ向けて言えば、彼は呆れたように息を吐いた。 「元気になってくれるのは、うれしいけどちょっと調子にのりすぎじゃない? あんた」 「酔っているからかもしれませんね」 「うそつき」 拗ねるように頬を膨らますユーリに思わず笑いが零れる。 胸にあるつかえがとれたような気がした。 最初からわかっていた。聞いてほしくない、なんていいながら本当はずっと聞いて欲しかったのだ。 本当に自分は汚い人間だと思う。 自分には英雄という言葉は似合わない。 「なあ、コンラッド。どうせあんたのことだから、この宿舎の二階に部屋でもとってるんだろ」 「ユーリにはなんでもお見通しですね。ええ、ユーリも泊まっていくんでしょう?」 「あんたもお見通しだなあ」 ユーリは無邪気な笑みを浮かべる。そこには来たときのような怒りはない。 許してくれたのだろうか。 「言っておくけどおれは最初から怒ってなんかないぞ。不機嫌だっただけで」 「ユーリには俺の思考まで読み取れるんですか。困ったな」 瓶に残るわずかな酒をグラスに注ぎ込む。ユーリはそのグラスに自分の水の入ったグラスをぶつける。カラン、とグラスが音をたてた。 「何回も言わせんなよ。おれはコンラッドのことならなんでもわかるの」 「嬉しいこと、言ってくれますね」 酒を飲みきるとコンラートは席を立って、カウンターに金を置くとユーリを二階へと誘う。 橙色のランプに染まったユーリの顔がどこか大人びてみえる。外見こそまだ十代ではあるが精神面ではもしかしたら彼のほうが上なのかもしれない。やはり、色んな面で自分は英雄の言葉が似合わないと思う。 「……おれも英雄ってことばは好きじゃない。自分だって言われることあるし。でも、誰かがそういう役目は請け負わなきゃなにも変わらないんだよ。なにかを変えるためには、だれかが手を汚して、先陣を切らないと、いけない。おれもあんたも慰めなんてことばはいらない。きっと、慰めてもらっても今日のコンラッドのようにまたいつか悩むんだ。でも、傷のなめ合いならできるだろ」 「傷のなめ合い……」 言葉を繰り返すせば、ユーリは頷いた。 「べろべろになめ合って、これでいいって錯覚すればいい。そのほうが生きるのが楽になるんだから」 影のある笑みを浮かべて、ユーリはコンラートの顔を見上げた。 彼の小さな肩にも、多くの重荷が乗っているのだろう。コンラートは少年の肩を自分のほうへと引き寄せた。 そうだ。この汚れた手は、彼を守るために英雄という名を欲しなければならないのだ。 「……では、部屋に戻ったらベッドのうえで本格的な傷のなめ合いをしましょうか」 と、言えば思い切り背中を叩かれた。 「コンラッド、下品」 そう言って、自分をねめつけるユーリの表情にはさきほどの憂いはなく安心する。そして唐突に理解する。 ああ、これが傷のなめ合いなのか、と。 相手の悲しい顔をみたくなくて、相手を甘やかしたり甘えたりするのだ。自分たちを擁護して。 「だけどまあ、コンラッドだったら、傷のなめ合いしてもいいよ。あんただけな」 今日の彼は本当に鋭い。自分の心を読み取ったかのような発言をする。 「シックスナイン、楽しみですね」 わざとユーリの耳元で卑猥な言葉は囁く。すると、彼のからだがぴくり、と動き、答えるようにユーリはコンラートの手を握る。 この手が一生拭えない血で汚れていようとも、彼を守れるのであれば構わない。きれいな心も手もいらない。 コンラートはひとつ、答えを見つけ出したような気がした。 END |