call my name


 死、について考えてみた。

 なんのことはない。彼が任務で城に不在。その間に自分は執務。
 その、執務が午前中には終わり特にやりたいこともなく、何年と昔には解読不可能であった様々な書物が理解できるようになり、城下町で評判である本を三冊ほど読みふけっているうちに飽きた。物語のなかには必ずといっていいほど、ひとつは【死】について考察するものがある。自分も気がつけば、ぼんやりとそれについて考えていただけの話である。二冊目の途中で、おやつの時間になりメイドが温かな紅茶と香ばしいかおり漂う焼き菓子が自分の寛ぐテーブルの上にある。死、について考えながら、ほんの少しぬるくなった紅茶に口をつけてそれを舌で転がす。
 美味しい紅茶であることは変わらないのに、どこか欠けている。
 まあ、そんなことはどうでもいいのだ。 さてさて。
「死、とは―……」


: : :


 約二週間ぶり、であろうか。
 任務が終わると同時に馬に跨り愛しいあの人の待つ場所へと目を向けた。幾年と前より『愛しい子』は『愛しいあなた』と呼び名が変わった。その彼は、誰が想像するよりも美しく気高く成長し、そして何よりも『王』として世界を君臨した。されど、彼らしさは決して失うことない。誰をも照らす素晴らしい太陽となる人で、幾年経ってもなお、息抜きとキャッチボールと朝のロードワークは欠かさない。『王』の品格を持っていても、隔たりのない温かな笑みは相変わらずここにある。
 彼が待っている。
 そう思うと、気持ちが急いてしまう。そんな自分は出会ったあの日から成長しないな、と思う。今では脱走もしなくなり、王佐や長兄と並んで国政について会議することも珍しくない彼の方が自分よりも男前で大人ではないのか、とさえ思ってしまう。
 城を出るまえに交わり、朝方まで幸せに満ちた他愛のない話をシーツの上でまどろみ、愛しい人は俺に「行ってらっしゃい」と一つ口に接吻をしてくれたのを。風を切りながら思い出す。思い出し笑いをするひとはスケベだといつか彼が言っていたような気がする。しかしながら、それは案外に嘘ではないのかもしれない。彼、ユーリを思い出すとひたすらに欲が湧いてくるのだから。
 馬の息が荒くなる。
「もう少しだ。頑張ってくれ……」
 と、声をかければ何年と共に過ごしているノ―カンティーは声を上げて鳴いた。わかっている、とでも言いたいのだろうか。思わず、微苦笑してしまった。
この調子でいけば夕食時前には眞魔国に着くだろうか。
 はやく、彼に会いたい。
 いつも任務から帰還するときは変わらずに思う。けれども、こんな汗臭く汚い格好では会えない。一刻も早く帰り、体を清めてそれから。
「ユーリを、抱きしめたいな」
 あの小さな体を抱きしめてあげたい。
 自分もそうだが、彼はとても寂しがりなのだ。誰に言うことはないけれど、幾年も前から相も変わらずに。 いつの間にか、天にあった明るい太陽には傾き外は薄暗く、自室には明かりがほやり、とついて手にしていた紅茶はお酒へと変わっていた。いつの間に変わっていたのだろう。覚えていない。しかし、どうでもそれはいいように思えた。どうでもよくて、喉が焼けるような酒を一気に煽れば、くらり、と眩暈を覚えた。
 酒で酔いのまわる視界には、涙の膜が張っているのかぼぅやりとする。その瞳で外を見ればまだまだ夕食までの時間はあるようであった。
 死、について考えていた。それからずっと。
 暇であることは恐ろしい。あれからずっとそればかり考えていた。結局のところどのよな答えが出ても一緒であるというのに、なぜこうも考えているのだろう。

 死、とは。
 私(し)、とは。
 し、とは。
 シ、とは。

 如何なるものか。さてさて、もう一度喉の渇きを癒そう。
 ほろり、ほろり、と流れるのははてさて、酒かそれとも何か。
「死、とは―……」
 喘いで、下し、暗転。
 そこには暗闇が広がった。


: : :


 身体を清めて、深呼吸をした。
 何日振りかの柔らかく清潔なタオルで身体や髪の水滴を取り払う。がしがしと掻き毟るように髪を拭きながら、あの人とはこうも違う自分の髪の拭き方。ユーリは、言う。コンラッドはオレに構い過ぎだ、と。そう呆れながら今も湯殿から上がって髪を触れることを許してくれる。考えて、笑みがこぼれた。明日からはまた、彼の髪を拭くことができると思うと。たった24時間そのなかにたくさんの幸せがここには詰まっている。
 泥にまみれてしまった可哀想な左指の銀色の指輪を見つめ、自分が素足で踏む赤い絨毯を足の指で挟んで実感するのだ。ああ、自分は愛しい人のいる家に帰ってきたのだと。また明日からはあの人の背中を守り、隣を歩くことが出来ると思うと、途端に二週間分の寂しさが胸にぽっかりと穴を作った。
 しかし、それもすぐに消えるだろう。
「……早く、名前を呼んで」
 それはとても贅沢な俺の我儘。二週間彼の声を聞かないということは辛い。一緒にいることで崩れた強さ。それを補うだけのものを愛しい人は全て持っている。好きとはなんと幸せで面倒なことか。彼と歩んだ幾百年何度目かの下らない思い床へと吐き捨てる。
 面倒、だなんて言いながら今更で。
「―……手放す気なんてない癖に」
 寝台の上にある洗いたての深緑の軍服を取る。外を見れば、まだ日は完全に傾いているわけでない。夕食まで時間がある。グウェンダルには既に報告をしたし、あとはこの軍服を着て愛しい人がいるという、魔王陛下の自室へと向かうだけだ。まるで、小さな子供のように跳ねる好奇心で鼓動が早くなっていく。それを二度目の深呼吸をすることで抑えた。


: : :


 頭がぐるぐるとする。ぼぅやり、遠くから声がする。視界が暗い。ああ、それは自分が目を瞑っていたからだろう。肩が揺さぶられて、目が覚める。
「ユーリ!」
「コ、ンラッド……」
「ああ、オレ寝ちゃったんだ。いつの間に、寝てたんだろ……」
 記憶にない。
 と、ぽつりと呟いてみれば、コンラッドが少し汗で張りついたオレの前髪を優しく梳いて露わになった額に接吻をくれた。と、ふありと優しい香りが鼻を掠める。
寝ている間に身体を抱きあげられていたのか、自分か彼の膝のうえに横抱きにされていた。もう幾年といるとそれくらいでは動揺もしないが。そのまま、彼の久々のぬくもりのなかに身を委ねた。
「……怖い夢でも見ましたか?」「は? なんで、」
「目尻に涙のあとがあります」
 言って、それをコンラッドは節張って硬い指がオレの左目尻に触れる。
 彼の顔を見れば、とても心配そうな顔をしてる。否、彼は心配をしている。コンラッドは、100年経とうが一切にそういうところは変わらないのだ。意味もなくごめん、という言葉が喉元までせり上がってきたが、それを一息飲み込んで胃に落とす。
幾年と共にいるのだ。別にコンラッドはオレに謝ってほしいなんて思っていないことを。それよりも、理由が聞きたいのだと思う。
 ああ、しかしながらとても申し訳ない。
 コンラッドは帰ってきたばかりだというのに、こうもいらぬ心配をかけてしまった。
「あの、さ」
「はい」
「【死】って、なんだと思う?」
 コンラッドの答えも聞かずに、オレは答える。
「オレにとって【死】って名が呼ばれないことなんだと思うんだ。……その名が亡くなるんだ。消える。オレ達は名前があって初めて自分になる。自分にだけにつけられた名前。自分だけが呼ばれることが許される名前。……今日は暇で暇で、オレ、馬鹿みたいにそんなこと考えてたら、さ……――怖くなった」
 死、とは曖昧でなのにいつもどこにでもあるから、怖い。石ころのように転がっているように思えた。また彼の指先がオレの目尻を拭い、額のつぎにそこに口をづける。また、涙が浮かんでいたのだろうか。
「……寂しかった?」
コンラッドは柔らかい声で問う。それに無言で頷く。
「それで、お酒を飲んでしまった、と」
「……多分」
 自分でもよく分からない。けれど、おそらくはそう、なのだろう。
 遠くて近い曖昧な【死】を考える自分は幼かった16歳の思春期を迎えてときとはなんらか変わらない自分が少し嫌になる。
「ユーリ」
 コンラッドがオレの名前を呼ぶ。そんなに自分は酒を飲んだ記憶がないが、頭は未だにくらくらとする。彼の声が頭の中で水面に湖畔をつくるように響く。
「……ん、やっぱりコンラッドが呼ぶのが一番しっくりするな。気持ちがいい。やっぱりさ、死……」と、そこまで言って口を塞がれた。
「ん、……コンラッド」
「縁起でもないことを言わないで下さい。死、について考えることはいいですが、貴方がこの世からいなくなることを思わせる発言は例え貴方自身でも許さない。怖いのならいくらでも名を呼んであげる。ね、ユーリ……」
「……っは、あんたってやっぱり格好良いよ。……何年経ってもへたれだけど」
「それを言うなら貴方はいつまでたっても寂しがり屋だ」
 言う様になったじゃん。コンラッドの思わぬ反撃に口角を上げる。しかし本当のことだ。オレは彼の名を呼ぶ。
「コンラッド」
「はい」


 call my name
 call my name
 call my name


「あんたの声でオレの名前を呼んで、ずっと寂しかったんだ」
 目の前の胸元に顔を埋めればコンラッドはぎゅっと背中から抱き締めてくれる。
「ええ、何度でも呼びましょう。でもユーリも俺の名を呼んでください。俺もまた貴方から自分の名を聴きたい。帰ってくるたびにそう思う。……『コンラッド』という名はいつも『ユーリ』がいてこそ意味がある」
 大袈裟だ、と思うがいつかどちらが逝くときがくるとき、コンラッドの話は本当になるのだろう。 もし、自分が死ぬときがきたら最後の最後に彼の泣き顔を目にし、自分の名を呼んで死にたい。
 もし、彼が死ぬときがきたら、最後の最後に彼の名を自分が呼び、その後を追うのだ。自分の名は存在は、彼と一緒に持って逝く。きっと、彼もそうするのだろう。お互い口にはしないが。
「……ねえ、夕食まで時間ある?」
「ええ、一、二時間は」
 彼が笑う。次にオレが口にすることが分かっているようだ。
「なにをします?」
「セックス」
「いいですね」と、彼はそのままオレの横抱きに寝台へと歩く。憂鬱な気分は消えてぐらぐらと頭を揺する酔いもいつの間にか消えていた。
 死、とは如何なるものか。と考えるのはもうやめよう。どうせ答えなんて既に出ているのだから。
 自分の名を死ぬまえに呼んでくれさえしたらそれでもう【死】なんて怖くない。なんて言ったら彼はどんな顔をするだろうか。二週間ぶりの彼の温もりを感じながら、シーツに皴を作った。


END
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