英雄の手

 コンラートは自分のことを『英雄』と呼ばれることが嫌でたまらない。自分は英雄ではないことを一番よく知っているからだ。誰かのくちからその言葉がこぼれるたびに笑みが引きつるのを覚える。
 自分は、ただの殺人者で、裏切り者なのだと口にしてしまいたくなる。けれども、そのようなことを口にしてもみな笑うばかりでそれらを謙遜という言葉で片付けるのだ。だからコンラートは『英雄』という言葉を聞き流すことにしている。
 十五年ほどまえに主の御魂を運ぶために訪れた地球で見た映画の主人公の言葉が時折頭のなかに浮かぶ。
『一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する』
 そのとおりだと、コンラートは思う。アルノルドで起こった理不尽と言われる戦争。勝利など期待もされなければ、死にゆく戦争だとあの戦争で自分は多くのひとを殺し、仲間を殺され、数少ない生き残りとしていまも生きている。そのことから『ルッテンベルクの獅子』と称された言葉もコンラートは嫌いだった。どんなことであれ、自分はあのとき、ひとを殺め、仲間を犠牲にしてきたのだ。血にまみれた手は、英雄と呼ばれるには汚い。新しい記憶であれば、大シマロンと眞魔国の対戦のときもそうだ。己の生涯を捧げるたったひとりの主、シブヤユーリ陛下のためと思い愛する国を離れ、大シマロン側につき、ユーリの心を深く傷つけ、剣を向けた。それは、末弟が言ったようにどんなことであれ赦されるべき行為ではない。そんな男をどうしてみな英雄と呼ぶのかコンラートは不思議でたまらなかった。
 自分のことを考え、深い慈悲のもと、再び眞魔国の大地を踏みしめることを許された自分は、裏切り者と呼ばれて、非難されて当たり前なはずなのに『英雄』と崇められる。そのたび、黒い感情が胸を絞めつける。
 主のことを考えれば、非難なれるよりこうした言葉を聞くほうが数倍安心するだろう。なら自分は『英雄』と呼ばれることに慣れるしかない。その言葉もまた、欲して貰える言葉ではないのだ。自分は恵まれている。そう言い聞かせて、黒く淀んだ感情に蓋をする。
 だが、最近はそれに耐えられなくなっている自分がいるのをコンラートは知っていた。ふとした瞬間に感情が爆発するのではないかという衝動があるのだ。おそらく、連日に渡っている任務で疲れが取れないからだと思う。もとより自分は後ろ向きに考える癖があるので、こうして疲れが溜まるとより負の思考に陥ってしまう。悪い癖だ。わかっていてもどうにもならないのだから自分はどうしようもない男だと思う。
 コンラートは小さく息を吐いた。
 この調子で護衛をすれば、おそらく主に悟られるだろう。彼は、自分のことを良い意味でも悪い意味でもよく理解してくれている。心を見透かしているように。理解してくれることは嬉しい。けれども、余計な心配をさせたくはない。きっと、ユーリにこの気持ちをぶつければ彼は悲しそうに笑うのだろう。それから「そんなことはないよ」と言うのだろう。
 ユーリがコンラートのことをおおよそ理解できるように、コンラートもまたユーリのことはわかっている。だからこそ、彼には知られたくないとコンラートは思うのだ。
 長兄であり、魔王の摂政を務めているグウェンダルから受けた任務は今日で無事遂行を成し遂げた。コンラートは白い鳩を口笛で呼びよせると小さな紙に任務を終えたことを綴り、もうひとつ書き綴ることにした。数日間の休暇を取ることを。今回の任務は、眞魔国国境付近の視察と物資の配給が主の簡単なものだ。じかに報告をするような重大な話もとくにない。それに、ユーリからは以前、休みをとったほうがいいと言われていたのもあるのでこのまま、数日間血盟城へ帰らなくてもお咎めないだろう。コンラートは書いた紙を鳩の足に括りつけると城に向けて鳩を飛ばした。


・ ・ ・


「隊長は血盟城へ帰還しないんですかい?」
 荷物をまとめ終わると聞き覚えのある声が後方からする。後ろを振り向けば、幼馴染でグウェンダルの部隊に所属しているグリエ・ヨザックがいた。
「ヨザック」
「珍しいねえ、普段の隊長だったらすぐにユーリ陛下のもとへ馬を走らせるのに。どうかしたんですか?」
 ヨザックの肩に下げた荷袋から白いぬいぐるみが見える。グウェンダルが好きなご当地限定のねこのぬいぐるみ、ケティだ。
「閣下から請け負った任務が丁度終わったら、たまたま隊長がここら辺で任務をしてるって聞きまして。で、なんで帰らないんです?」
 にやり、と笑うヨザックの顔を見てコンラートは顔を顰める。この男もまた、自分のことに対して、嫌に勘が鋭いところがあるのだ。どういうことで悩んでいるかはわからないであるだろうが、いま、血盟城に帰りたくないということは悟られているのだろう。
 コンラートは嫌な顔を隠すこともせず、たんたんと荷造りを済ませると「なんでもない」とだけ答えると、意味ありげにヨザックは「ふうん?」と相槌を打つ。
「まあ、アンタの顔全面に『これ以上突っ込むな』って書いてあるから理由は聞きませんけど、早めに戻ってきてくださいよ。ユーリ陛下はきっと隊長に会えなくてそわそわしてると思うし」
 カルガモの親子って言われるくらい、べったりしてるんですから。
「……わかった」
「それと、どうせ城下町の辺りで宿泊するんだったら、あとで場所を教えてくれよ。たまには、酒でも飲もうぜ」
 そうヨザックは言うと、早々に姿を消してしまった。
 もう、ユーリがこちらに帰還した初日にしか顔を見合わせていない。それを思うと、彼のことが恋しくなるが、久々に会った自分がこのような感情を持て余していてはやはり、護衛としても恋人としてもよくないと思う。
 荷造りを終えると、コンラートは兵に帰還命令を出し愛馬ノーカンティに跨ると行き先も思いつかないまま、走りだした。行き先がわからずともコンラートにはそれすらどうでもよかった。風を切りながら愛馬を走らせれば、少し淀んだ気持ちが軽くなる。それにヨザックが言ったとおり自分は城下町に宿舎に泊まるのだろう。
「……ユーリ」
 最後に戻る場所だけはわかっていればいいのだ。


 ――そうして、適当に散策をしているとすぐに日は暮れていく。コンラートは同じ戦友のいまは宿舎を経営している友人の場所で数日間宿泊することに決めた。
 だいぶ余裕のあったコンラートの荷袋は、いまや大きくふくらんでいる。それを見てコンラートは苦笑した。荷袋の大半を占めているのは街で見つけたユーリへの土産だ。気持ちを落ち着かせたいといいながらも、考えるのは彼のことばかりで、ユーリが喜ぶのではないかと思うものを見つけるとついつい手が伸びてしまうのだ。彼が嬉しそうに微笑むのを想像すると無意識に口角が緩み、そんな自分をだれも見ていないと思うが慌てて、口元を覆う。やはり、自分は彼に依存しているのだと、コンラートは喉が焼けるような強い酒を煽りながら思った。
 夕暮れ時にヨザック宛てに飛ばした白鳩便。ヨザックから返答はないが夜も更けた深夜なればヨザックは顔を出すのだろうと思う。自分は結構、酒には強いほうだとよく言われる。けれども今日は、色々と考えごとをしているせいもあってか、意識はあるがなんとなく頭の奥がぼんやりしているような感覚を覚え始めた。この調子で、ヨザックと酒を飲めば、ついぽろっと心に沈む蟠りを口に出してしまいそうな気がする。そうならないように気をつけなければならないと気持ちにくぎをさすと、宿の扉のベルがカラン、と音を立てた。
 宿の隅に腰をかけているコンラートは酒に口をつけながらそちらに目を向ける。現れたのは見なれたオレンジの髪の毛。ヨザックだ。
 ヨザックもまたコンラートの視線に気がついたのか、軽く手をあげると意地の悪そうな笑みを浮かべる。と、つぎの瞬間コンラートの動きがぴたり、と止まった。ヨザックの後ろ。背中に隠れるように茶色のフードを深くかぶった人影が見える。それが一体だれであるのか、酒で鈍くなったコンラートの頭でもすぐにわかった。
「……ヨザっ!」
「おーおー、そんな怖い顔しなさんなって。申し訳ないが、アンタと酒飲もうと思ったんだけど、猊下に頼まれごとされたんで、一緒に飲めなくなっちまってさ。そのかわりと言ってはなんだけど隊長と酒飲む相手連れてきたんで許してくださいな」
 一人酒は寂しいでしょう?
 そう言って笑う男の顔がとても憎らしくて、場もわきまえずに思い切りその面を殴りたい衝動に駆られるが、それをなんとか耐えた。
 一体この男はなにを考えているのか。
 ヨザックは、そんなコンラートをものともせずに、向かいの椅子を引くとそこにフードを被った人物を座らせた。
「おい、ヨザック!」
「そんな怖い顔すんなよ。きっと美味い酒が飲めるから。それじゃあな、楽しい夜の続きを」
 楽しそうにヨザックは一層笑みを深めると、そそくさと宿舎から出て行ってしまいコンラートは言葉を詰まらせ、それからゆっくりとフードを被る人物へと目を向けると口を開けた。
「なんでこんなところに」
「なんでってあんたのひとり酒に付き合ってあげようと思って」
 フードを脱ぐとそこには赤毛の髪をした少年が顔を現した。笑顔なのに、どことなく背後に漂う雰囲気が怖い。
「……ユーリ」
「相談、のるよ?」
 コンラートに名を呼ばれた少年、ユーリは不機嫌そうに笑みを深くした。


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