忘れられた花

 シマロンとの戦いが終わり、コンラッドが眞魔国、血盟城――そして自分の隣へと戻ってきて約一年が経った。戻ってきた当初は互いにどこかぎくしゃくしていたが、いまは離れるまえと同じように、いやそれ以上に親密な関係を有利は、コンラッドと築いている。
「……はず、だよな?」
 築いている、と思いこみたいだけなのかもしれない。ためいきとともに無意識にこぼれたのは、弱音だった。
 だれかを好きになるのはこんなにも怖いことなのかと常々実感する。ちいさなことで不安になったり、嫉妬を覚えて冷たいものがお腹のなかでじわじわと重くなっていくのだ。
 とくにここ最近はひどい。と、いうのもコンラッドが城にある温室の花園に通うところを何度か目撃したからである。城の温室の花園は恋人が密会に訪れる場所であると耳にしたことがあった。噂ではなく、メイドと兵がこっそりと愛引きをしているのもコンラッドを見かけたこともある。
 自分はまだ花園に彼と一緒に行ったことがない。
 まあ、空いた時間があればどちらかの部屋で過ごすからということもあるし、花園で自分たちが密会をしていることをみられなくないからということもあってのことだ。行かない理由はちゃんとある。だが、自分に告げずに花園に通う彼の姿をみるとちくり、と胸に鈍い痛みが走るのだ。
 一体なにをしに花園に通っているのか。
 考えると、彼を疑うようなことばかりを想像してしまう。だれかと密会しているのではないか、とか。想像を払拭しようにも、日を追うごとに想像したものはリアルなものになっていく。
 大人は、こういうときどういう心境にいるのだろう。母親が観ていたドラマを思い出す。相思相愛だった男女のあいだに主人公の女性が現れる。最初は気が合う友人であった主人公と男。けれど、徐々にふたりは惹かれあい越えてはならない一線を越えてしまうのだ。男の彼女は、それを知り不安になり男を囲うようになった。男はそれをうっとうしく思い、彼女をなぜ好きであったのか忘れてより主人公を愛おしく思う。そして最後には、男も主人公もなにもかも失うことになるがふたりでひっそりと遠い土地へと暮らすのだ。今季一番の視聴率を誇ったとテレビでもよく放送をし『真実の愛』とキーワードにとりあげられていた。恋人であった女性は、主人公と男の愛を邪魔をする悪女と紹介されていた。
 それならば、いまの自分は――悪い男なのだろう。
 真実の愛を素直に受け止めることもなし、彼のことを信じられないでいる。どこも悪くないのに、心臓が苦しく痛い。でも泣けない。
 感情をあらわしかたが大人になったら、とても下手になってしまった。テーブルに投げ出した手をみる。去年よりもきっとふしばった手。彼との間にあるのだろうか、見えない赤い糸は。赤い糸がみえたら、こんなに不安にならないのに。勘違いもしなくてすむ。
 自分の赤い糸はだれと繋がっているのか、見えない糸の先を探すようにふらり、と自室をあとにした。



 ――宙に浮いた思考でたどり着いたのは、ああやっぱり。
 自傷的な笑みが浮かんでしまう場所。よく、足を運ぶ場所。
 コンラッドの扉のまえにユーリは立っていた。 
 彼と会ってなにをはなせばいいのかわからない。けれど、顔をみれば自然と会話がうまれるかもしれない。考えるから不自然になるのだ、きっと。
 戸惑いながらも、ノックを二回してみる。しかし、返事はない。間をあけてもう二回ノックをして……そっとノブを回してみた。
「……コンラッド?」
 見渡してみるが、ひとの気配はない。外からは新人兵が指南を受けている声……もとい鬼軍曹に扱かれている悲鳴が聞こえる。
『貴様ら! それでも男か! それで民を、陛下をお護りできるとでも思っているのか、剣もろくに扱えないでくの坊が……っ!』
 普段はヴォルフラムに負けず劣らず天使のような女性なのに、情けない男をみると豹変してしまうらしい。いまなら、自分のことも叱ってくれるだろうか。ぼんやりと、冷たい窓ガラスに触れる。
 コンラッドの部屋は、シンプルだ。彼のことばを借りれば質素。白い壁紙に貴族のお約束のような豪勢な家具はひとつもなく、木製のシングルベッドと長年使われているだろう小さな執務机と、棚にきっちりと並べられた書籍。その棚の一番いい場所をアヒルがちょこんと乗っている。
 以前コンラッドが教えてくれた。この部屋似つかわしくないアヒルは自分から貰ったのだと。あれは本当なのだろうか。情緒不安定のいまの自分はそれが信じられない。もしそれが真実であっても自分は彼の心の部屋でそんな些細なものであるのかと思ってしまう。コンラッドと出会って自分は数えきれないくらいに変わってきたというのに。
 悲しみが憎しみに変化するようなドロリ、とした鈍い重たい感情が腹の底に溜まる。
 ――こんな自分は、いやなのに。
 見えない小指の赤い糸。コンラッドに繋がっていないかもしれない赤い糸。ほかのひとと繋がっているのかもしれない。
 窓から手をはなして、冷たい指先がなにかを探してさまよう。探しているものを自分は知っている。机のうえにそれはない。引き出しを開ける。
「あった」
 手にとれば日差しにキラキラと輝く、ペーパーナイフ。紙しか切れないナイフ。しかし安全性はきっと、地球のよりは落ちているように思える。指の腹を刃先に滑らせれば、すっと皮膚が切れるような感覚があった。
「……ま、切るのは指とかじゃないからどうでもいいけど」
 あくまでも、自己満足だ。いまからやることは。
 左手を机上にのせて、ペーパーナイフを握りこんだ右手を振り上げて加減なしに――降ろす。
 カシャン! 軽い音が耳に届いて床にナイフが落ちたのがわかった。それに右手がじんじんと痛い。
 一体なにが起きたのか理解する必要もなく、怒号が鼓膜を震わせた。
「……っあなたは一体なにをやっているんですか!」
「びっくりした」
「驚いたのはこっちですよ」
 普段は、ゆるりとした曲線を描くコンラッドの眉尻がきゅっとつりあがりさすがは兄弟というべきか眉間のしわがトレンドマークであるグウェンダルを彷彿させた。
「べつになんでもない」
「なんでもないのなら、俺はこんなに動揺しなくてすんだとおもいますが?」
 矢次に言われて、ことばが詰まる。
 コンラッドの低い怒りをにじませた声音が、空気に感染して、室内の雰囲気を奇妙なものに変えていく。
 やばいな、とは思う。心配させてごめん、と謝罪をしたほうがいいとはわかっているものの口から出たのは、真逆のもので「そんな怖いそんな顔すんなよ。手首とか切ろうとしたんじゃないんだ。おれがするわけないじゃん」と彼の神経を逆なでするようなものだった。
「……そうですか」
 一拍間をおいたあとコンラッドは、静かにペーパーナイフを拾い上げてちいさくため息を吐いた。
 ため息、それは自分に幻滅したということなのだろうか。
 以前よりは成長したからとはいえ、それでも魔王と呼ばれるにはまだまだ未熟で、恋人としても、おそらく自分との付き合いは一般的な恋人の進みよりはずっと遅い。知識も恋愛もなにもかもコンラッドのほうが比べものにならないほど高い。ここ最近のよどんだ感情が、ぐるぐると渦を巻いてマイナス思考に拍車をかけていく。
「――その、」
「はい?」
「そのそうですか、はおれがそんなことできないっていう意味なわけ?」
「……ユーリ?」
 憎しみにも似た怒りが口をつくと、もうだめだった。
「臆病で手首も切れないやつだって、あきれてんの? あんたのため息は、めんどうくせえなっていう心のあらわれか。……悪かったな、オコサマで。でもおれはまだそんなのよくわかんねえんだよ!」
 理不尽な思いを並べたてて、コンラッドの手からペーパーナイフを奪う。
「っ!」
 と、水平にナイフを引いたことで刃先を握った手から鋭い痛みが走った。
「ユーリ! 大丈夫ですかっ!」
 切れたのは小指。しかも根本に近い場所で思わず有利は肩を揺らして笑った。
「おれ、これを切ろうと思ってたんだ。これは、どこに繋がってるんだろうな……」
 うっすらと鮮血が滲み、丸い球体を作り重力に従い手のひらを赤い線がすべる。コンラッドが痛いくらいに小指の根本を抑えて止血をする。「コンラッド、痛いからはなして」と言ったが聞く耳をもってくれない。
 もうなんなのだ。止血されて圧迫された指が痛いのか、心臓が痛いのかわからない。脳裏にドラマのワンシーンが映しだされる。悪女と呼ばれる女性が男に喚くシーンだ。彼女の気持ちがよくわかる。捨てられたくない、自分のどこに非があったのか教えてほしい。けれど、その気持ちを素直に口にすることもできず、男を罵る。男はそんな彼女を憐れむ表情でみつめて言うのだ。
 ――キミハカワッタネ。
「ユーリは変わってしまった」
 ドラマのセリフとコンラッドのことばがリンクして有利はひゅっと息を飲んだ。
 ああ、いやだったんだ!
「じゃあ変わっちゃいけなかったのか!」
 感情が、爆発する。
「ほんとにどうしてこうなったのか自分でもわかんねえんだよ! だって、あんたに嫌われたくないし、大人になりたい。だから我慢すること覚えたんだ。でも我慢してたらどんどん自分が汚い奴になるし、あんたはあんたで教えてくれないし! 赤い糸なんてみえない! コンラッドとおれの赤い糸が繋がってないんならいっそ切っちゃえばいいって……っ!」
 ナイフで見えない赤い糸を切断してやろうと思った。見えない糸を断ち切ってなにかが変わるわけではない。が、切ってしまえばあきらめることができるような気がした。
 もうだれとも自分は繋がっていない。
 そう思えるような気がしたのだ。
 あさはかな考えだと思う。けれど、もうどうすることもできなかった。止まらない感情の吐露にだんだんとみじめになっていく。
「手、はなしていいから」
 小指の根本を意識してゆっくりと息を吐き、魔力を注げば切り傷は傷ひとつなく消えた。
 ――別れよう、コンラッド。そのほうがいい。
 その一言が頭のなかで響く。
 喉の奥がわなわなと痙攣をしている。
 悪い男としては終わりたくはない。せめて最後は、笑って別れを告げたい。別れのことばを何度も心のなかで繰り返して、ユーリは口を開いた。
「……おれを捨てるな、コンラッド。あんたがとなりにいないのは、いやだ」
 そうして口から零れおちたのは、正反対の――低劣なものだった。

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