極的な彼と甘い時間。

 今日の彼は機嫌がいいのか、いつもより積極的だった。執務も一度も脱走せずに予定していた書類に目を通しサインをしたり、王佐との勉強会でも居眠りをすることもなければ、むしろ苦手と言っていた勉強も普段の予定時間よりも一時間も延長して勉学に励んでいた。
 今日はなにかいいことでもあったのですか? とコンラートが問うと、彼、ユーリは執務休憩時に出されたケーキを口いっぱいに頬張り、小首を傾げた。その姿は、まるでなにか小動物のようで愛らしい。

 コンラートは思わずその愛らしさにユーリの髪を撫でたい衝動に駆られたが、規則にうるさい長兄はおそらく自分の心が見透かされていて、実行すれば、あの皺の寄った眉間にもう一筋入れることになるだろうし、王佐ギュンターは弱音も吐かずに着々と仕事をこなしていく陛下に感激していつ赤い汁が噴き出すのかもわからない。
 おそらくユーリの頭を撫でれば、溜まりに溜まった汁が怒りで爆発するだろう。

 なので、コンラートは撫でつけようとあげた手を自然にポットに移動させ、ユーリのお茶を注ぎたした。

「なにかいいこと?」
「ええ。今日のあなたは随分と積極的に勉学や仕事をしているから。なにかいいことでもあったのかと」

 言えば、ユーリの唇が拗ねたようにツン、と尖る。しかも頬にはケーキのカスがちょこんと付着していて、コンラートの目元が愛しさで細められる。

「んー……とくにはないよ。でもなんかからだがすっきりして、天気がすごくよかったから気分がよかったのかも。だれにだってあるだろ? なんか異様にすっきりしてやる気がある日」

 たしかに、特別な理由がなくても気分がすっきりとしてやる気がある日はある。コンラートは「そうですね」と答え、彼の頬についたカスを拭う。(勿論、兄と王佐が見てないうちにそのカスは自分の口に入れる)
 普段なら、このようなことをすれば頬を染めて自分を窘めるだろうが、今回は見ていなかったのか、それとも寛大なのか、ユーリはなにも言わなかった。

 ほんの少しだけ、せいを出しているだけの彼。
 それだけで今日は終わりを迎えようとしていたのだ。


 ――コンラートの悪友グリエ・ヨザックに以前もらったしょうもない出先からの土産を寝台横に置いてあるごみ箱になんて破棄しなければ。
 ……そして、コンラートの自室にユーリが訪れなければ、なにも起きることはなかったはずなのだ。



* * *



 定期的にある城下町の夜の巡回を終えてコンラートが自室へと歩いているとふと違和感を感じた。
 自室からひとの気配がする。
 それが一体誰であるか、思うよりも先にコンラートの口元は緩んでいた。
 こんな夜遅くに部屋を訪ねてくるひとなんて彼しかいない。

「……陛下」
「おかえりーコンラッド。巡回ごくろうさま! それと、いまおれはプライベートの時間なんだけど?」 拗ねた口調と表情で彼は言う。

「すみません、つい癖で」

 つい癖……なんてあとどれくらいこのいい訳が彼に通じるのだろうか。毎回、こうして訂正をしてくれるのが嬉しくてつい、繰り返してしまう。

「……それで今日はどうしたんですか、ユーリ。あなたから俺の部屋を訪れてくれるなんて」
「んーなんとなくかな。最近自分からあんたの部屋に行ってなかったから。あ、もちろん兵士さんに付き添ってもらったから安心して」

 ここ最近はコンラートの仕事上、夜の警備などが多くなり自室に帰るのが遅くなるため、ユーリの部屋をコンラートが訪れることが多いのだ。ユーリが起きているときだけ誘うのだ。
 だからこうしてユーリがいつ帰るのかわからない自分を待ってくれているなんて、きっと彼にとっては猫の気まぐれと同じような気分で訪れてきたのかもしれないが、胸に愛しさがつのる。
 コンラートは軽く軍服についたほこりをはらうとベッドのふちに座ったユーリの元へと歩を進めた。彼の膝には一冊の本が。

「こんな夜遅くまで勉強ですか? それとも毒女の新刊?」

 ユーリの隣に座ると日中に触れることのできなかった彼の髪をコンラートは撫でつける。絹糸のようにしなやかな肌触り。漆黒の髪が橙色のランプに柔らかな色に照らされ艶やかな天使の輪が映し出されている。
 大きな漆黒の瞳にキスをねだるような形のいい唇。丁度よく整う彼の顔はやはりいつみても魔王というまがまがしい形容詞よりも、天使のようだ。
 少しだけ悩ましく本に目を通すそれをコンラートは覗きこんで……固まった。

「コンラッドの本がゴミ箱にあったからさ。間違って放り込まれたのかなーって思って。ひまつぶしに読んでみようと思ってさ。あー……でも、三歳児には到底解読不可能だよ」

 決して、彼の学力を馬鹿にしているわけではないが、このとき心底コンラートはユーリが読解力が完全でないことに感謝した。
 
「ねえ、これなんの本?」
「……ええとですね」

 ユーリが小首を可愛らしく傾げて尋ねる本。
 
 それは男同士の恋愛小説だった。もちろん、情事も生々しく載っている大人の本。
 
 ヨザックが任務先の街で最近一部に流行していると面白半分で購入してきたのだ。おそらくは俺へのあてつけなのだろうが。
 あんなところに捨てなければよかった。即効で燃やすべきだった。
 まさかユーリに見つかりあまつさえ読まれるなんて……。コンラートは笑みを浮かべているが内面はかなりパニックを起こしていた。

「でも、少しは読めるよここ。『あ……ん、いやだ、やめ、て』とか『んん……っ』とか」

 政治の本ですよ。などと嘘をつくこと彼の爆弾発言で言えなくなった。

「あれなのか。ホラー小説とか。さっきみたいな言葉がせりふあるし」

 いいえ、それは喘ぎ声です。
 なんて口が裂けても言えない。ぺらぺらと捲る本をコンラートは自然な動作で奪うと、「なんでもありませんよ」と言った。

「それじゃあ、なんの本かの答えになってないじゃん」
「あなたの仰るとおりホラー本ですよ。さて、それよりお茶にしませんか。夜は冷える」

 しかし、ユーリは納得しないらしい。普段の彼なら諦めてくれそうだが、今日はいつもより積極的な気分が持続しているようだった。不服そうに口元を歪ませる。
 それから悔しそうな声を漏らした。

「いま、わかったぞ。それホラー本じゃないな。なんだよ、もううそつかないって言ったくせに万年三歳児なら知的な本のジャンルを知らなくてもいいって思ったのか。もういい。お茶はいらない。おれ、部屋に帰る。オヤスミ!」

 ユーリの機嫌を損ねてしまった。慌ててコンラートが引き止めようとしても、聞く耳を持ってくれない。こうして別れて朝に会う気まずさを何度か経験している。できれば、些細なことで一緒にいられる時間が少なくなることも、ユーリが傷つけることもしたくなかった。

 ドアノブに手をかけるユーリの手にコンラートは自分の手を重ねる。

「なんだよ、もうおれは部屋にもどるの!」
「……お教えしますから、そんなすぐに帰るなんて言わないでください」
「え、教えてくれるの?」

 ユーリはからだを反転させて、うれしそうな表情を浮かべる、この顔がどうか幻滅しないことだけをコンラートは願って、口を開いた。

「……あれは、男同士の官能小説なんですよ」
「……え?」

 予想もしてなかったのだろう、ユーリはぽかんと固まった。コンラートは話を続ける。

「ヨザックが面白半分で寄こしたんです。官能小説に俺は興味ありませんので、ごみ箱に捨てたんですよ」
「じゃあ……おれが朗読したところって……」
「……喘ぎ、ですね」
「うわわわっ! なんかひどいこと言ってごめん」

 みるみるうちにユーリの顔が赤くなる。その表情をみて、コンラートは安堵の息を漏らした。

「あなたに言ったら幻滅されると思ったんですよ。俺は小心者ですからね。ね、機嫌をなおしてお茶にしませんか」

 と、コンラートが言えば、くん、と軍服のすそを引っ張られた。一体どうしたのか。ユーリはもじもじと床を見つめていたかと思えば、きゅうっと掴む指に力を込めて無自覚で凶悪に可愛い上目使いをみせた。
 その仕草に条件反射のようにコンラートは唾を飲み下した。

「……コンラッドは、こういうことした、い?」
「……は、」
「だからっ、ヨザックがこういう本を持ってくるってことはしたいのかなって……」
「ユーリ?」

 彼の言っている意味がわからなくて混乱する。そんなコンラートをよそにユーリは時折言葉を詰まらせながらも話を続けた。

「なんか話を聞いたら妙にどきどきしちゃってさ、最近、お互い忙しくて触れるくらいのキスしかしてなかったし、あの、その、ね? ……えっちしたいって言ったら幻滅する?」
「まさか!」
 
 脊髄反射のごとくコンラートが即答すると、ユーリはきょとん、とした表情を一瞬見せてから嬉しそうにはにかんだ。

「よかった。じゃあコンラッドベッド行こう?」

 背伸びをして、ふに、とユーリがコンラートの唇に自分の唇を押しあてた。
 普段よりも積極的な恋人にコンラートは甘い息を溢して苦笑交じりで囁いた。

「積極的なのはあなたは大歓迎ですけど、やはりそういうのはたまにがいいですね。俺の理性が普段よりも容易く崩壊してしまうから」言えば、ユーリは頷いた。

「もちろん、今日は特別なんだよ。いっぱいしてね。あの小説に負けないくらい」

 コンラートはもう一度本を掴んで、ごみ箱に投げ捨て、ユーリ抱き上げた。

「元からあんなものとユーリは比べモノにならないくらい魅力的ですよ」

 そう、だれもこの愛しい彼には敵わない。
 はちみつが蕩けるような笑みをコンラートは隠すこともせず、腕に抱いたユーリの綺麗な額に口付けを落とした。


END
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