寝つけない夜は

 なんとなく寝つけない日が続いている。とくに、夜ふかしを促すようなことはしていない。運動はしっかりしているし、ご飯もしっかり摂っている。なのに、寝つけなくて、朝方、良くて一、二時間睡眠がとれれば最近ではいいなんて日がもう四日は続いている。からだの疲れはとれないし、あまり勉強も身に入らないくらい眠くてぼんやりしている、のに、寝れない。
 原因はなんだろう。
 夜も寝つけないほどここ最近悩むようなことはないと思う。生活も、感情もいたって普段とかわらないのに。
 ユーリは、小さくため息をついた。外からは、小鳥の囀りが朝を知らせるように鳴いている。締め切っていたカーテンを開けば、家の並々から明るい橙色の日差しがちらほらと顔を出している。もうすぐ、太陽が昇るのだろう。それが、とてもきれいだと思う反面、ユーリはとても残念に思った。
 ああ、今日も寝れなかった。 今日もロードワークは中止だ。からだがあまりにもだるい。この状態で走れば、もしかしたら具合が悪くなるかもしれない。
 どうしたら、寝れるのだろう。
 無理やり瞼を閉じていても、睡魔は一向に訪れない。しかし、それをだれかに相談しようとはユーリは思わなかった。一時的なものだとわかっているからだ。わざわざ周囲のひとに心配をかけたくはない。
 窓を開けてみれば、少しひんやりとした風が頬を撫でた。それがとても心地いい。
 しばしの間、それを堪能したあと、ユーリは窓を再び絞めて、床に足をつけた。
 ロードワークはできないけど、散歩でもしよう。ぼんやりとした頭が少しは冴えてくるかもしれない。
 クローゼットを開けて適当に服を物色すると、着がえこっそりとドアを開けて音を立てないように廊下を慎重に歩く。階段を下りた先のリビングには誰の姿もない。それもそうだろう。家族の朝食を準備する母親は家族のなかで一番早起きであるが、その母親でさえまだ眠りについている早朝だ。
 厳しい残暑も過ぎて、足裏から触れる温度は気持ち少し以前より冷えたような気がする。もうすぐ秋がくるのか……と思うとユーリは自然と顔に笑みを浮かべていた。カンカン照りの暑い夏もいいが、過ごしやすくなる秋にも楽しい行事はたくさんある。文化祭や運動会、それから十月にはハロウィン。今年の眞魔国でのハロウィンはどんな仮装をしよう。考えるだけでも胸が躍る。
 コンラッドはどんな格好をするのだろう。去年は色気漂う吸血鬼だった。
 散歩に出るまえに少し喉を潤しておこうと台所に足を進めながらユーリはあちらの世界にいる恋人のことを思った。今頃、彼はなにをしているのだろう。
 蛇口をひねる。
 水は、手元のコップに注がれることなくシンクにごとり、と落ちた。


* * *


 ……まさか、あのタイミングでスタツアをするとは。
 予想もしなかった事態に、ぼんやりとしていた思考も少し晴れ、ユーリはぐっしょりと濡れた前髪を掻きあげた。しかし今回の到着先はかなり運がいいようだ。水は温かく湯気が立ち上っている。見なれた浴室場である。
「陛下? こちらに帰還されたのですか?」
「へーかはただいまここにはいらっしゃいませんー。へーかの護衛さま」
 浴室の扉越しに聞こえた男の声にユーリは唇を尖らせて答えた。すると、ドア越しにいる男がいつもと変わらない苦笑交じりの声で「すみません」と返答をする。
 まったく、謝るくらいなら最初から自分のことを『陛下』と呼ばなければいいのに。
「ユーリ、お帰りなさい。今日は少し冷えていますので、からだを温めてからこちらに起こしください。寝巻きを用意してきます」
 水で重くなった服を適当に浴室のふちに投げて、湯に肩までつかり、目を瞑る。それから脱衣所を去ろうとした彼に声をかけた。一言いい忘れていたのだ。
「ただいま、コンラッド」
 言えば、ドア越しに彼が笑ったのがわかった。
 久々の帰還に自分が嬉しくなっていることに気がついたのは、無意識に鼻歌を奏でていたときだった。



 ――それから十分にからだを温めて用意された寝巻きに袖を通して、ユーリはコンラッドの待つ居間に顔を出した。
「パジャマに袖を通したときに思ったけど、こっちは夜なんだな」
「ええ、十二時過ぎですね。そちらは、昼ですか?」
 木製のチェアーに持たれながら、読書をしていたコンラッドの手が止まりこちらに柔らかな笑みを向ける。寝台のふちへと座るように促された。
 ユーリがそれに従うと彼は自然な動作で、肩にかけていたタオルを手に取るとまだ少々濡れた髪を優しく拭き始める。それが心地良くてユーリは猫のように目を細めた。
「いや、こっちは朝だよ。早朝」
「そうなんですか。すみません、まだ寝ていたでしょうに……」
 コンラッドの眉根にかすかに皺が寄る。「あんたが謝ることじゃないだろ。それにおれも起きてたし気にすんなよ」とユーリは返して、それから小さく息を吐く。
「っていうか、最近は眠れなくて逆に困ってる」
「なにか悩みごとでも?」
「いいや、とくにない。一時的なものだと思うだけど困るよなあ、寝れないと。からだも頭もなんだかだるくて」
 なにか、いい方法ない? とユーリが尋ねると、拭き終わったタオルをチェストに置いてコンラッドは妖しげに目を細めた。
「からだを動かすとか? ……俺とふたりで」
「……コンラッドの親父」
 意味ありげに太ももを撫でる男の手を叩けば「冗談ですよ」とコンラートはくつくつと喉奥で笑う。
「こっちはけっこう深刻に悩んでるんだぞ。ほら、軍人さんとかは何日も寝ずに任務についたりするから軽い不眠症になったりとかしそうだし、なにかいいアドバイスもらえると思ったのに」
「冗談ですよ、冗談。拗ねないでください。あまりにも寝れない場合は、最終手段として睡眠薬を使用したりしますが、あなたはまだ大丈夫そうですし。一番は、寝れなくても瞼を閉じて横になることです。それだけでも、からだはたいぶ楽になります」
「そういうものなの? おれ、地球にいたときも横になって瞼閉じてたんだけど」
「そういうものですよ。今夜は俺の部屋で寝て下さい。もし、寝れなかったら夜通し話しましょう。あとで、明日の予定を確認しておきます。仕事があれば調整して午後から、あまり急を要するものがなければ、グウェンダルに言って明日はお休みにしますので」
 コンラッドがシーツを捲り、ユーリは彼の言葉に甘えてそこにもぐりこんだ。部屋の灯りが消されるとコンラッドもベットに入り、まるで幼児をあやすように優しくぽんぽんとユーリのからだを叩く。
 ひとりで寝るなら余裕を持った大きさのベッドだか、男二人も入るとさすがに小さく感じる。湯船で火照ったからだもだいぶ冷えてユーリは温もりを得るように目の前の男の胸に顔を擦りつけた。
 心音がする。
 規則正しく鳴る心音に、なぜかユーリは肩の荷が降りたような錯覚を覚えた。最近悩むようなこともなければ、気を張るようなこともなかったはずなのに、さきほどよりもずっとからだが重く感じるのだ。いまや、意識的に閉じていた瞼も自然に閉じて逆に開けるのが困難だと思ってしまう。
「……あ、なんか、ねれそう」「それはよかった」
 ほっと、コンラッドが安堵の息をこぼして、それから前髪をかき分けると額に柔らかなものを感じる。おそらく、それは彼の唇だろう。
 あんなにも睡眠に苦しめられていたのに、忘れていた睡魔がゆっくりと近づいてくるのがわかる。どうしてだろうとユーリは考えてやめた。答えはもう出ている。
 自分はきっとこの温もりを知らずに求めていたのだ。

「俺もあなたのことが恋しかったですよ」

 いつの間にか想いは声に出ていたのか、はたまた、心を覗かれたのか。
 ユーリのまどろむ意識のなかではもうどうでもよかった。
 数日ぶりの睡眠なのだ。子守唄のような心音と彼の匂いを胸いっぱいに吸いこんでユーリはいつのまにやら寝息を立てていた。


END
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