枯渇した早朝に 自分はシマロンとの対戦や多くの事件やこちらの世界の事情を知って、前よりもずいぶんと大人になったとよく言われるようになった。けれど、まだまだ自分は子供だとユーリは感じていた。 朝、鳥のさえずりで目を覚ます。さざ波のように心地良く尾を引く睡魔もこない。ユーリの隣では未だ心地よさそうに寝息を立ててるヴォルフラムがいた。鳥も鳴いたというのに、まだほんのりと部屋は暗い。ユーリはシーツにからだを包むようにして上体を起こした。大窓の薄い白地のカーテンから微かに漏れるこぼれびを見つめながら小さく息を吐く。 夏が過ぎて秋が近づいてくるのがなんとなく感じ取れる。秋特有の独特の静けさが室内にたちこめる。ヴォルフラムが寝息を立てているというのに、とても静かだ。閑散としている。 けれど、過ごす日々にそれらがなにも影響しないことをユーリは知っている。今日も一日平穏に過ぎてゆくのだろう。 日中のほとんどを執務室で過ごし、それからだれかと他愛のない会話をして笑いもしくはけんかをする。けんかをしてもきっとすぐに仲直りをして共に夕食を囲みゆるゆると普段と変わりなく一日が過ぎるに違いない。 ただ、そこにコンラッドがいないだけだ。 コンラッドは数日前から、遠地への視察へ赴いている。帰還するのはおそらく明日移行だとグウェンダルは昨日執務中に届いた白鳩便に目を通しながら教えてくれた。 数か月と前から彼と恋仲にあるのもあって、ふとコンラッドのことを考えては寂しいと思うことはある。だが、それもだれかと話していればすぐに忘れることもできるし、我慢もできる寂しさだ。 けれど、どうしてだかこんな静かな朝をひとりで迎えるときは違う。 ユーリは膝を抱えるとそこに顔を埋める。 この感情は、寂しさや恋しさではないこれは……恐怖に近いものだ。 目を閉じると、無意識に彼が離反していた頃のことを思い出す。 コンラッドが隣にいて当たり前だと思っていたことが、そうではないと思い知らされた。本当に昔の自分は子供だった。 心地よい眠りが微かに浅くなりまどろみを楽しんでいると、優しくからだを揺さぶられ、囁くように朝を告げる彼の声。目を開けば、そこに微笑む彼の姿がいつもあったはずなのに、目を覚ませばそこにはなにもないのだ。あるのは、閑散とした空気だけ。それを、こういう日はどういうわけだか思いだしてしまい、胸が痛くなる。 再び、コンラッドは自分の隣を歩くようになってこの浅ましい思いを包むように何度も「もうどこにも俺は行きません。帰る場所はどんなことがあろうともあなたの元だけです」と繰り返し言ってくれた。だから、もうこんな風に思わなくてもいいのに、心がついていかない。 やはり、自分は子供だと思う。 自分は彼に甘えて、甘やかされたいのだ。「……おれってガキなのな。本当に」 こういうときどうしたらいいのかわからない。 きっとヴォルフラムが起きてくれば、自分は普段と変わらない。しかし、いまは感情のコントロールがきかず、わけもわからず大声を上げて、泣いてしまいたい。 喉が渇いて唾を飲み込むと、目の奥が次第に熱くなるのを感じる。 あ、本当に泣いてしまう。 そう思ったとき、コンコンと控え目なノックがユーリの耳に届いた。慌てて顔をあげてドアを見る。扉の向こう側にだれがいるかなんてもうわかっている。 「陛下、起きてらっしゃるんですか?」 掛ける言葉とともに姿を現したのはやはり、コンラッドだった。 「……帰ってくるの、明日以降じゃなかったの?」 「その予定でしたが、気がついたら一日早く着いてしまいました。まだ、起きるのには少し早いと思うのですが、目が覚めてしまいましたか?」 「そうみたい。コンラッド、もしかして自分の部屋に戻らないでおれのところにきた? 軍服少しよれてるように見える」 ユーリが言うと、コンラッドは眉根を下げて「すみません」と答えた。 「あなたに会いたかったんです。姿を確認してから部屋に戻ろうと考えていたので。不格好な姿で失礼しました。一旦部屋に戻ってからまた改めて伺いますね」 そう言って踵を返そうとする彼にユーリは声をかけた。 「いや、いいよ。そのままで、コンラッドこっちに来て」 「では、お言葉に甘えて……。さきほどから思っていたんですが、陛下どうかしましたか? とても泣きそうな顔をしている」 泣きそうな顔……まあ、コンラッドが現れる寸前にはもう涙が零れてしまうかもしれないというところまで来ていたのだからそう言われても仕方がないのかもしれない。 「……お願いだから陛下って呼ぶな」 寝台に腰かけた男の胸元に縋るように顔を埋めてユーリは呟く。こんないかにも何かありましたというような態度ではこの男に心配をかけてしまうとユーリはわかっていても相手のことよりも自分の想いが優先してしまって止めることができなかった。 「……あなたの痛みをわかってあげられなくて、心苦しい」 コンラッドはユーリの頭を優しく撫でつけてそれからシーツと一緒にまるで壊れものを扱うように抱きしめた。ユーリもまた、彼の背中に手をまわし、首を横に振った。 きっとコンラッドにはいま、自分はどんなことで悩んでいるのか、思いだしているのかわかっているはずだ。痛みは違えど、ユーリはあのとき彼をたくさん傷つけていたに違いないのだ。傷つけた分だけ、傷付いたのだから。コンラッドは自分の痛みを知っている。 大人だったら、このときどのような行動をすればいいのだろうか。 そんなことはない、ただ自分が勝手に悩んでいるだけだと言うのか、それとも彼の優しさにこのまま甘えてしまえばいいのか。もしくは、もっとほかに言い方があるのか。わからなくて、顔を顰めることしかできない。 こんなにも優しい彼になんて返したらいいのか、子供すぎる自分に嫌気がさす。 「なにも考えないでください。あなたがいま思う素直な気持ちを俺は聞きたいです」 ユーリの想いを見透かしたように、コンラッドは言う。 言われて、ユーリは抱きしめる腕に力を込めた。 「あんたがいない朝は怖いよ。目なんて覚ましたくもない。……おれはどう頑張ってもコンラッドのまえじゃ甘えてしまう。ガキなんだ、どうしようもないくらい」 「そうですか、それは嬉しいな。俺はユーリが甘えてくれることがとても嬉しい。魔王の側近としてあなたを補佐することができるとはたいへん光栄に思いますが、それはほかのみなも同じことだ。けれど、ただの人間としてユーリ、あなたを甘やかすことが許されるのは自分だけなら、それはこの上ない幸せだ」 「……本当に、コンラッドっておれを甘やかすのな。これ以上だめ人間になったらどうしてくれるんだよ」 「できれば、そうしたいですよ」 まったくなにを言っているのか、とちょっと恥ずかしくなり顔を上げれば、唇に彼のそれが触れる。コンラッドの唇は乾いていてかさついていた。 ユーリは少し身を乗り出すと、今度は自ら唇を押しあてて舌出すとコンラッドの唇を舐めた。次第に深くなる口付けに口端から水音が零れおちる。すぐそばにヴォルフラムがいることなど、もう考えるひまもなかった。 蓋をしていた浅ましい感情が爆発して、ただ心ゆくまでキスを堪能する。 そうして、どれくらいしていたのかわからない。長い接吻が終わると互いの間に銀糸が伝った。 「どうしますか、これからもう少しでロードワークの時間ですが。早めに今日は行ってみますか?」 伝う糸をコンラッドはぺろりと舐めあげて言う。 「……今日はロードワークはいいや。コンラッドの部屋で寝たい」 嫌でなければ、とユーリが言うとコンラッドは笑う。 「どちらの意味の寝る、ですか?」 「あんたの好きなほうでいい。おれはどっちだって嬉しいから」 彼が自分だけには甘えていいというから、ユーリはもうなにも考えず甘えることにした。 「すごい殺し文句ですね。……どちらにするのかは、部屋に戻ってからにしましょう」 「うん」 足元に彼が用意してくれた、スリッパをはいてユーリはコンラッドとともに歩きだした。 静けさは変わらないのに、さきほどよりも部屋が明るくなったような気がする。それはきっと自分の気持ちが少し軽くなったからかもしれないからだとユーリは思った。 まだ自分はあのときの傷を完全に癒すことはできないと思う。 「コンラッド、言うの遅くなったけど……おかえり」 「ただいま、ユーリ」 けれど、少しずつではあるがいつか乗り越えられると信じている。乗り越えなければいけないと思う。 いつまでも子供のままではいけないと思うが、自分のゆっくりとした歩みを待っていてくれるひとがここにいる。 その幸せを改めて実感して、ユーリは目を細めて愛しいひととともに静かに部屋を出た。 END |