My Home




 エレベーターを待つ時間も惜しくて、階段を駆け上がる。一週間の仕事の疲れが足を縺れさせるが、それを叱咤して、走る。
 明日は筋肉痛かもしれないな、と上がる息にコンラートは思うも、それすらどうでもよかった。明日は休みなのだ。明日にじっくり、かわいいひとに癒してもらえばいい。
 今日が終わりを告げるまであと数時間はある。しかし、あと数時間では足りない。子猫と過ごす今日は、特別で大切だということをコンラートは知っている。
「……っ、ただいま!」
「おかえりなさい! こんらっどー!」
 息が声がうまく出ない。勢いよく開け放った玄関の扉で座り込む。小さな足音とともに可愛らしい小さな黒猫がコンラートを出迎えてくれる。あたたく柔らかな笑顔をみると疲れ切ったはずなのに、コンラートの顔にも自然と笑顔が浮かぶ。
 自分が子猫にできることと言えば、こうして毎日子猫と素敵な毎日を過ごすために働くことくらいしかない。
 なにももっていないコンラートにできること。
「ユーリ、だっこさせて」
「んっ!」
 コンラートが手を広げれば、疲労したからだを労わるように優しく小さな手でコンラートを抱きしめ返してくれた。艶やかな黒い髪に鼻を寄せれば、ひだまりの匂いがする。
「こんらっど、いっしゅうかんおしごとおつかれさま」
「ありがとう、ユーリ」
 最近、コンラートは思うことがある。ユーリは天使か、魔法使いではないかと。こんなことを言えばヨザックとその恋人の狐は、白目を剥いて呆れかえるだろうと思うが、コンラートは本当に思うのだ。疲労困憊なからだに栄養剤やサプリメントを与えてもまったくといっていいほど効果はあらわれないのに、こうして子猫に触れ、労いのことばをもらうだけで、からだだけではなく、英気まで回復するのだ。
 この子がいれば、なんだってやってやる。
 この子が望めば、どんなことでさえ叶えてあげたい。そんな気持ちにさせてくれる。
 片手で、鞄と買ったものを持ち、もう片方の手で子猫を抱き上げ、リビングに向かう。
「すぐに、ご飯の準備するから、ソファーでテレビでも観ていてね」
「はーい」
 ユーリは素直に返事をすると、テレビをつけ、適当にチャンネルを替えてアニメを観始めた。コンラートは、首元を締め付けるネクタイをほどきながら冷蔵庫のなかを確認する。冷蔵庫のなかには、昨晩、子猫と一緒に作ったハンバーグの種がある。今日のために、コンラートが用意したものだ。
 それを取り出し、熱くなったフライパンに弾きながら、副食を考える。今日は特別な日。ユーリの好きなものを食べさせてあげたい。
 鼻歌をしてしまいそうな、テンションでコンラートは、夕食の準備を手早くはじめた。


* * *


「――はい、おまたせ。夕食の準備できたよ」
「わあ! ハンバーグ! かわいい!」
 ユーリの待つリビングのテーブルに完成したハンバーグとミネストローネを置く。猫型をしたハンバーグにのるとろけたチーズとデミグラスソース。それから主食の皿を彩った星や花形に切った温野菜の人参とブロッコリー、ポテトフライをみて子猫は嬉しそうに鳴く。
「でも、ごはんのおさらとか、ゆーりおてつだいしたのに」
「いいんだよ。ユーリはいつもお手伝いしてくれるから、今日は俺がやりたかったんだ。特別な日だから」
 とくべつなひ? と、きょとんとした子猫が可愛らしい。コンラートはあえてユーリの疑問には答えずに、普段では出すことのないワイングラスをふたつとヨザックと購入した手さげ袋をテーブルにのせた。袋から出てきたのは、デコ箱と、ボトルがひとつ。ボトルのなかは黄金の液体が小さな気泡が絶えずダンスを踊るように動いている。
「今日はね、ユーリと出会った日なんだ」
「ゆーりとであったひ?」
「そう、コンラート・ウェラーが可愛い子猫と出会った大切な日」
 口にして、コンラート自身感慨深い気持ちになる。月日というものは早い。もう、一年が経ってしまった。
 デコ箱から取り出したのは、ユーリが一番大好きなショートケーキのホール。それと備え付けの蝋燭が一本。蝋燭に火を灯し、グラスにボトルの中身を注ぐ。
「これはお酒じゃなくて炭酸の入ったリンゴジュースだから、ユーリも一緒に飲もうね」
 戸惑う子猫をよそに、コンラートは子猫にワイングラスを持たせ、軽くグラス同士をぶつける。カチン、と音を鳴らせば炭酸がグラスのなかで弾けた。しかし、ユーリの顔は冴えない。一方的に陽気になりすぎたか、と思ったが、そうではなかったようで、子猫は不安そうな声をこぼした。
「ゆーりにとっても、きょうはすごくたいせつなひなのに……ゆーりなにもじゅんびしてない。こんらっど、ごめ……」
「俺が好きでやってるんだ。それにユーリが知らないだけで毎日たくさん、プレゼントを俺はユーリから貰ってるよ。だから、謝ることばは聞きたくないな」
 謝罪を口にしようとした子猫の唇に人差し指をあてて、コンラートはユーリのことばを制した。この仕草は、ふたりのなかでそれなりにされる。なので、ユーリは覚えたはずだ。
 ごめんなさい、以外のことばをコンラートが待っていることを。
「こんらっど、ありがとう。ゆーりも、こんらっどにあえてよかった!」
「うん」
 よくできました、とコンラートは子猫の頭を撫でた。
「じゃあ、ご飯が冷めないうちに食べようか。はい、ユーリ一緒に」
 グラスを置いて、手を合わせる。
「いただきます」「いただきますっ!」
 子猫は子供用のフォークを使い猫型ハンバーグを大きめに切り、豪快に頬張る。途端に、目をきらきらとさせて「おいしい!」と言った。
「一緒に作ったから、おいしいね」
「うんっ」
 ひとりでは決して味わえない料理のおいしさと、心の満足度。ひとくち食べれば食欲が湧いて食べ進めていく。一週間の終わりに食べるユーリとの夕飯がコンラートは好きだ。仕事のことを考えることもせず、なにかに追われることもなく、ひたすらに幸福を腹に詰めるような感覚を得ることができる。
 互いの知らない空白の時を埋めるように、語らう。
 そうして、食事を終えてホールケーキにナイフを入れているとユーリが尋ねた。
「こんらっど、あのね」
「うん?」
 カットしたケーキを子猫のお皿に乗せて、返事をすれば、続いた言葉に思わず動揺して、ケーキが倒れた。
「ゆーりも、ゆーりもね! やっぱりなにかこんらっどにあげたい。なんでもいいの、もっといいこになるし、おべんきょうのじかんをふやすとか、こんらっどがしごとでつかれてるのしってるから、よるのごはんだってつくらなくていいよ? ごはんがまんできるの。こんらっどのおねがいをゆーりをかなえさせて」
 そんなことしなくていいよ、と笑いたいのに子猫の顔はそれを許してくれない真剣な表情をして、コンラートは困惑する。
 これ以上、ユーリにしてほしいことなどないからだ。
 今日のことだって、自分が子猫に恩返しがしたくて勝手にしたことなのだから。
 コンラートは正直、怖いのだ。ユーリの存在が。子猫に依存している自分が。いまはまだ幼い小さなひと。けれど、この世に時間が存在する限りそれに抗うすべなどない。いつか、小さな子猫は成長して、学校へ行き、社会に出る。その過程のなかで、たくさんのひとや問題、愛情を知る。すると、必然的にユーリのなかでコンラートの存在は小さいものになるだろう。友達が、信頼できるひとがユーリにできるのはうれしい。が、ユーリにとって心を開けるひとが増えるということは、そのぶん、自分に対して悩みも気持ちも言えないことが増えるということだ。
 と、コンラートの脳内に様々な未来と感情が胸を巡る。そして、理解する。
 この行為は、自分のエゴだと。
 ユーリのなかで、コンラートという存在がこのさきも大きな存在であってほしいという思いと、また自分もそう近くない仮定した未来に深い傷がつかないように幸せを胸にある貯金箱にためておく、そんな行為だこれは。
 なんだか自分が情けなくなってくる。
「ユーリ……?」
 ユーリが立ちあがり、コンラートの横へ移動し、抱きしめた。
「そんなかおをしないで? ゆーりはこんらっどがだいすきなの。ゆーりのいちばんはずっとこんらっどなんだよ?」
「……ありがとう、ユーリ」
 どうして、この子は適格にコンラートを安心させる言葉を口にすることができるのだろう。自分には、伝えたい言葉が言葉にならなくていつも胸で踊るだけなのに。
「やっぱり、ユーリはどちらかといえば天使なのかな」
「う?」
「なんでもないよ」 
 胡坐をかいてそこにユーリをのせて、ユーリのお皿にもうひとつケーキを添える。
「じゃあ、ずっと俺のことを好きでいて?」
 言えば、ユーリはコンラートを見上げた。とても、不思議そうに。
「そんなことでいいの? ゆーりはずっとこんらっどすきだよ?」
「それがいいんだ。ね、おねがい」
 小さな手のひらに願い請うようにキスを落とせば、ユーリは頷いてコンラートの頬のキスをした。
「やくそくする。やくそくしなくても、ずっとずっと、ずーっと、これからもゆーりはこんらっどが、だいすき」
 コンラートの願いの重みをしらない子猫が笑う。本当に、自分は救いようのないやつだと思いながらも、コンラートはやっぱり、幸せを感じる。
 ショートケーキをひとくち、口のなかに放り込む。甘すぎない生クリームと柔らかいスポンジが味蕾を刺激し、するすると喉元を通り過ぎていく。
 まるで、子猫の優しさみたいだ。
 コンラートは、子猫の口にケーキを運びながら、部屋を見渡す。ただ、過ごすだけの箱のような家が、いまはとても愛おしく感じる。
 この家に、この子がいるから、コンラートは仕事が頑張れる。出迎えてくれるひとがいるから、走って帰りたくなる。
 この家に、ユーリがいるから、自分の帰る場所がある。
 ここは、自分の大切な居場所。


日記でも書きました『居場所』をテーマにしてみました。サイトに来て下さり本当にありがとうございます。
2012/3/23 サイト四周年記念

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