日より今日。今日より明日。



 可愛い子猫はあまりわがままを言わない。と、いうかこの子のなかでは甘えることとわがままを言うことは同等なのかもしれない。ユーリは自分から甘えるようとしないのだ。同じくらいの子供が強請ってもいい愛情を口にしようとしない。
 こうして生活をともにして一年弱。やっと健気な子猫は自分に甘えるようになってきた。昨日より今日、今日より明日。そうやってだんだんとこの子が俺に思う気持ちをさらけ出してくれるといい。
 足下に置いた湯たんぽの暖かさがゆるんできたころ。胸元に顔を埋める子猫が身じろぎする。それを宥めるように頬を優しく撫でれば「ふにゃ、」とあどけない鳴き声こぼした。
 微かに開いた唇を人さし指で擽ってみる。閉じるだろうか。半ばいたずら心が俺を擽ったのだ。
「ん、んぅ……」
「起きてしまうかな?」
 眉根を寄せるユーリの表情みると可哀想に思えてきて、口唇に触れるそれを離そうとすれば、紅葉のような可愛らしい手が指を掴む。
 一体掴んだ手をどうするのだろうと不思議に思っていると、子猫はあろうことかそれを薄く開いた口に招き入れた。
 予想にもしないことで思わず含まれた指を引っ張ってしまったが、自分の手を掴むユーリの力は思いの外に強い。
 ぎゅうと掴む手を振り払おうとすればこの子は起きてしまうだろう。
「……指なんか吸っちゃって。美味しい?」
 ちゅうちゅう。むぐむぐ。
 さきほどまで眉根を寄せていた子猫はいまでは愛くるしい笑みを浮かべている。安堵しているようだ。
 歯を立てることもせず、ただひたすらに指を吸う。
 そういえばこの子はもっと幼いころ指しゃぶりなどを経験してきたのであろうか。
 発達心理学者のピアジェは赤子が行う指しゃぶりをする四つの段階のひとつに『感覚運動期』があると唱えた。吸うという運動と舌や指から伝わる感覚を通すことで見える外の世界を知るのだという。……ユーリは赤子の頃それらを十分に行ってきたのか。少しばかり不安になる。
 以前ユーリは自分は意図的に創られた存在だと言っていた。それはのうのうと生きてきた自分には安易に想像もできないほど過酷なものだったに違いない。
 ユーリはおそらく同年代の子供たちよりも生きるための知能が賢く、それでいて世界と言うものを知らない。世界を探求する余裕さえなかった、というのが一番妥当かもしれないが……。
「……きみはやっと心にゆとりができてきたのかな」
 もう少しだけ幼いころに気持ちが還り、本来行うことをいま修復しようとしているのか。
 そう思える心を休ませる場所がここにあると思ってもいいのだろうか。
 ちゅうちゅうと自分の指を吸う子の咥内は柔らかな暖かさがある。
 そうして。
 満足したのか十分におしゃぶりを堪能したのかユーリの力が緩む。引き抜いた指は少しばかりふやけていて思わず微苦笑するものの、それさえ愛おしいと思う自分が笑えてしまう。

 昨日より今日。今日よりも明日。
 この無限に広がる小さな世界を少しずつ覚えてほしい。

 寄れて子猫の肩が見えてしまっている。
 布団を掛けなおしてぽんぽんと柔らかく叩く。するとまた胸元に顔を寄せて自分の定位置を見つけると、きゅっと小さく呻いてくうくうと肩を上下させる。
「今日は晴れたら、電車に乗ってどこかへ行こうか」
 君の世界をまたひとつ広げるために。


(きみの笑顔が増えますように。ちいさな額に願い籠めたキスをした。)


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子猫2『可愛い子猫と冬の訪れ』+αな感じの話です。指しゃぶりするユーリはきっと可愛らしいに違いない。