ブラウン管の向こう側



 ……突然ですが、聞いてください。
 俺の可愛い弟、渋谷有利、通称ゆーちゃんがちいさな反抗期を迎えています。可愛くないです。すごい可愛いけど、可愛くないです。
 ついこのまえまで、ちょっと舌ったらずな声で「しょーちゃん、しょーちゃん。おにいちゃん、おにいちゃん」となにかあれば俺を呼んでいたのに。いまではなんでも自分でできるような顔をして、以前よりも俺を頼ってくれません。
 朝だってそうです。
 起きるのが苦手なお寝坊さんだったのに、朝はひとりで起きれるようになってしまいました。お着替えだって遅いのにひとりでやろうと毎日頑張っています。
 ゆーちゃんに出来ることが増えることはとてもいいことです。おばかちんだったゆーちゃんが賢くなることはとてもいいことです。
 しかし、それとこれとは別であって。 
 ぴこぴこ音の鳴る靴でちまちまと走りよってくる姿だとか。
 走り寄ってきて、俺の服を掴んだり、手を握って安心する顔だとか。
 硬貨が数えられなくて、ガチャガチャの十円ガムさえ、どの小銭か分からなくて悩んでるところとか。
 お洋服のボタンがなかなかつけられないから、お願いする声とか。
 朝、起こすと不機嫌に眉を寄せる仕草とか。
 可愛くて、可愛くて仕方無くて。
 ゆーちゃんがこれから直していかなきゃいけない可愛いところ。それを全部、全部お兄ちゃんが責任を持って時間をかけてゆっくり更生させていく予定だったのに。
「あーおいかぜーとともにぃーやあってくーるぅー! ぼくらーの、ともだーちぃーこーんらーっどー!」
「……ゆーちゃん、テレビを見るときはもっと離れて見なさい。目が悪くなるから」
「やー。みるの、みるの」
「観てもいいけど、もうちょっと離れてね」
 テレビに近づき過ぎたゆーちゃんのお腹に手を回して後ろへと距離をとる。その間も画面から目を離したくないのか、ゆーちゃんはされるがまま。
 そんなに好きか。こいつが!
 特撮子供向け番組【さすらいの青い風、コンラート】
 俺はこの番組が大嫌いで堪らない。本当であれば、チャンネルを回して政治会議やニュースを見ているほうが全然いい。俺にとって三十分の苦痛の時間の始まりだ。前の特撮番組と入れ替わりに始まったこの番組はかなり視聴率が高いらしい。その一番の理由として主人公役の【コンラート・ウェラー】という俳優が異様に男前であるということ。まったく、日本の番組だというのに、外国人が看板だなんて。しかも、戦隊ものではなく、正義のキャストはこいつオンリー。一体社会はどこまでグローバル化を図りたいのか。 
 コンラート・ウェラー。二十四歳。生まれも育ちもドイツ。あちらでは爵位まで持っているらしい。顔もよし、頭もよし、人柄もよし……と、腹立しいほどの才能と持ち合わせているこいつが一体なんで日本で俳優なんてやっているんだろうか。デビューは今から一年ほどまえ。そのときは映画などをメインとして活動していたのに、今ではお茶の間により近い今のような番組にまで活動を広げたせいで、いまや奴をみない日はない。
 いま目にしているクオリティーの低い特撮番組がさらにファン層に火をつけ、老若男女幅広いものとした。もちろん、この渋谷家だって例外ではない。親父はどうだかしらないが、特にお袋はこのエセ外国人にメロメロだ。ああ、こんなコンラートブーム過ぎ去ってくれればいいのに。
 真剣に番組に夢中になっているゆーちゃんの頭を撫でつけながら、俺は深いため息をつく。それか、ブームが去らなくてもいから、この特撮番組の主役から降板してほしい、切実に。そうしたら、
 そうしたら。
 またゆーちゃんはちょっとおばかちんの朝起きれない子になるのに。
 今回の特撮番組は教育性も兼ねているのか、早寝早起きはしよう、毎日歯磨きはちゃんとしよう、自分でできることは自分でやろうなど、とふざけた青い覆面をしながら毎回番組の終わりに教訓を述べている。
 ……それを観てゆーちゃんは、スポンジのように柔らかい頭のなかにそれらを入れようとしているのだ。
 俺がゆーちゃんに教えてあげたいことをこの番組が、この男が俺から取り上げようとする。
 だから、俺はコンラート・ウェラーが大嫌いだ。
 ゆーちゃんは、こいつを『コンラッド』と呼ぶ。うまく『コンラート』と口にできないらしい。それだってムカつく。ゆーちゃんに特別なものができるのがいやだ。気持ちがもやもやする。もう俺も小学一年生になるのに。そういう気持ちが割りきれない。だって、ゆーちゃんはまだまだ小さいのに、こんなに早く兄離れなんてされたら本当に悲しい。いや、兄離れなんてされたくない。ずっと俺の手を握っていてほしいし、背中を追ってきてほしい。その為にずっと、ずっと、勉強もなんでも、ひとりでできるように頑張ったのに。
 ゆーちゃんを守るために、頼りになるかっこいい『しょーちゃん』でいたいから。
 ただそれだけの夢をブラウン管の向こう側にいるあいつがとろうとする。
 ああ、なんて腹立しいことか!
「……ねえ、なんでこいつのことゆーちゃんは好きなの?」
「んー?」
「だって、こんな青い布で顔なんて覆っちゃってさ、へんだよ」
 ゆーちゃんの好きなものを否定するなんてなんて嫌なやつなんだろう。大きな瞳がこちらを向く。むぐむぐ動く口からおそらく俺を罵倒するか、奴を褒めたたえるのだろう。どっちにしても嫌だ。
「だって、コンラッドね。かっこいいんだよ。みんなわるものたおしちゃうんだ!」
 ほらね。俺の考えはよく当たる。ゆーちゃんのことは特に。
 あんなの全然格好よくないのに。自分からゆーちゃんに問いかけたくせに、その答えが分かっていたくせにそれを本人の口から聞くのはやっぱり、胸がちくちく痛い。
「それって、しょーちゃんといっしょ! しょーちゃんとおんなじくらいかっこいいの!」
「え、」
「もっと、もっと、ゆーちゃんはコンラッドとおべんきょうして、しょーちゃんみたいになるの!」
 ああ、ひとつ忘れてた。
 ゆーちゃんは素直で分かりやすい子だけど、それでも自分が思うような答え以上なことを返してくれること。
 そのたった一言で、胸の蟠りを吹き飛ばしてしまうんだ。
「……しょーちゃん、ぎゅって、くるしいよ」
「ごめんね」
 そうだ。ブラウン管の向こう側にいるあいつはゆーちゃんのことを知らないし、ゆーちゃんの大好きなキャッチボールもできない。そんな相手に焼きもち焼くなんて本当に俺はなんて子供なんだろう。

ブラウン管の向こう側と愛しい君と30分間の苦痛に。
 (大人びてもまだまだ子供で、気持ちのコントロールができません)


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