My Home



 だんだんと日がおりて、会社のビルから見下ろした街にちらほらと明かりが灯る。壁にかけてある時計に目を移せばあと数十分もすれば、勤務時間も終了へと針がゆっくり近づいていた。
 もうすぐ、帰れる。
 そう思うと自然にコンラートの頬は緩んでしまい、咳ばらいをするふりをしてその顔を覆う。今日は特に残業になるような書類は残っていない。もとより、今日だけは残業が残らないよう、スケジュールを立てていたのだから当たり前なのだが。
 パソコンの液晶画面を見つめ、キーボードを走らせる。これを終えて上司に渡せば今日の仕事は完了する。小さく息を吐いて、自分に喝を入れ直せば、コンラートのデスクにコーヒーが置かれた。
「ありがとう」
「いえ」
 差し出してくれたのは、同僚の女性だった。(ちなみに彼女はワラビーの遺伝子と掛け合わせだ。)他の社員にも、出しているのかと思ったが、周りのデスクを見てもカップを置かれている形跡はなく、彼女もコンラートの席から退かない。不思議に思っていると小さな声でコンラートに尋ねた。
「今日は残業ないみたいですね」
「ええ。ペース配分が上手くいったみたいだ」
 言えば、彼女は笑顔を見せる。その瞬間、コンラートはなんとなく彼女が、本当に自分に尋ねたいことに察しがついてしまった。
「今日、このあと一緒に食事でも行きませんか?」
 コンラートの予想が当たる。よく、この女性とは以前食事に行っていたような気がする。とは言っても子猫と出会うまえのはなしだ。当時は家に帰っても特になにをするわけでもなかったし、そのあと一夜を共にしたいという女性でもなかったので、声を掛けられれば頷いていた。
「ごめんね。先約があるから」
 けれども、いまは違う。自分の帰りを待ってくれるひとがいる。
 コンラートは彼女から視線を再びパソコンへと向け、座りなおす。顔を見ずとも彼女が、戸惑っていることはわかったがそれをコンラートはしらない振りをして、仕事を再開させた仕草をみせた。
「最近、コンラートさん……付き合い悪くなりましたよね」
 言われて、コンラートは気を咎めることなく「そうだね」と答える。
「可愛い子がね、家で待ってるから」
 彼女が入社して、一年ほどしか経っていないのでおそらく子猫の噂を耳にしていないのだろう。子猫が仕事場を訪れたハロウィンの日は残業しないで帰宅したと聞いている。大方、彼女の頭のなかでは「可愛い子」の人物がコンラートの恋人として変換されているかもしれないと思ったが、それを訂正するつもりはなかった。ほかの同僚に愚痴を吐き出すときにでも真相を知るであろう。
「……申し訳ないけど、きみとの食事は楽しかったけど、もう誘われても行くことはないから」 辛辣な言葉を彼女に向けているとは自分でも理解している。けれども、フォローはしなかった。今後はこのような平坦な関係をしないことをわかってほしかった。液晶にすべてのデータを入力して、もう一度彼女を見た。不服そうに動物の耳が小さく震えている。席から立ち上がり、彼女に一言だけ告げる。
「きみは素敵なひとだよ。俺みたいなやつよりも、もっときみだけを見てくれるひとと食事に行って、素敵なひとと恋をしてほしい」
 彼女はなにも言わず、コンラートとは反対の方向へ進む。彼女の後ろ姿を見つめるほかの同僚がコンラートの視界に入った。
 ほら、きみを想うひとがこんなにも近くにいるよ。
 コンラートはその言葉を口のなかに転がして、上司のデスクへと向かった。


* * *


「聞いたぜ。お前さん、同僚の子の食事の誘いを断ったんだってな」
 無事、仕事を時間内に終えた帰り道。共に帰宅への道のりを歩くヨザックがコンラートにはなしをふる。
「ヨザックの耳に入るのが、はやいな」とコンラートが苦笑しながら言えば「女の子はこの手のはなしを伝達する能力に長けているからな。コンラートに好意を持っている女にはほとんど今日のはなしが出回ってるんじゃねえの」と、器用にうさぎ耳を揺らしてヨザックは意地悪そうに笑った。
「まあ、遅かれ早かれみんなの耳には入ることだろうからな。もう俺は、あまり家を開けるようなことをしたくないんだ」
「あんた、坊ちゃんのこと本当に大事にしてるんだなあ」
「そうだ」
 即答すれば、ヨザックは声を立てて笑う。その表情を横目に見ればどこか嬉しそうで、コンラートもまたつられるように口角に笑みを浮かべた。と、同じ視界にとある店が目に入りコンラートの足が止まる。
「ヨザ、ちょっと寄りたいところがある」
「うん?」
 コンラートが指さした店をヨザックは目で追うと、おかしくてたまらなくなったのか今度は腹を押さえて笑い転げる。同じように、家路へと急ぐ会社員の目が不思議そうにふたりを見るので、コンラートが未だ笑い続けるヨザックを小突いた。
「……笑い過ぎだ」
「悪い、悪い」
 あー腹が痛い、と言うヨザックの目には涙まで浮かんでいる。
「まさか、コンラートがこういうお店に寄るなんて想像してなかったからな。おかしくて。やっぱり、坊ちゃんは大物だわ」
 そんなに似合わないのだろうか? 尋ねようとしてコンラートはやめた。似合わないから笑っているのだから。それに、このお店に寄るようになったのは、子猫と一緒に過ごすようになってからだ。
 酒と女と夜の世界を嗜んでいたころの自分を知る者からしたら、イメージに合わないのかもしれない。
 しかし、昔のイメージが恋しいとは思わない。似合わないと言われようが、恥ずかしいと思われようが、いまある自分がコンラートは好きなのだ。
 コンラートが店へと歩を進めれば、ヨザックがそのあとを追った。



 ――そんなヨザックもなんだかんだ言いながら、いざ店内に入るときらきら愛らしくディスプレイのなかで輝く商品を見つめ、恋人である狐にいくつか見繕っていた。互いの大切なひとのはなしを惚気混じりにはなし、公園付近でわかれる。そこから少し歩けば、自分の住むマンションが見えてきた。
 周囲にひとけがないことをコンラートは確認すると、さきほど店で購入したものを抱えて夜道を走りだす。春というにはまだ寒い風が頬を撫ぜる。それが、とても心地いい。徐々に早くなる心拍数とともに、気分も高揚して、コンラートはきらきらと輝く星空に叫びたい衝動に駆られた。
 少年と呼ばれた年に忘れた好奇心と青春が胸でダンスをしているようだ。
 家にはやく、帰りたい。
 マンションにたくさんの明かり。そのなかでたったひとつの明かりを目指してコンラートは走る。
 
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