いつから、自分と主の間に溝ができてしまったのだろう。コンラートは、執務室で書類に目を通す主の背中を見つめ、考える。『コンラッドには関係ないだろう』 まさか、平然とそのようなことを口にするとは思いもしなかった。 思いもしなかった、なんて自分が自惚れていた証拠だ。所詮主従関係など簡単な言葉で言い換えるならば飼い主と犬。飼い主は犬を大事にはするが、決して人間と対等に扱うことはない。高級な餌をもってしても餌は皿につがれ、床に置きナイフやフォークを使用することはなくよだれを垂らし貪る。飼い主はテーブルの上で優雅に食事を取るのだ。 信頼関係など、犬が飼い主に従順でなければ与えられるものではない。 自惚れ過ぎたとコンラートはいまさらに理解する。 犬は犬として愛される。犬は人間としては愛されない。主にひざまずき、その靴を舐め、忠義を尽くことに喜びを感じるのがこの世の正解だ。 自分が一番に主の傍に居たのはたしかだがそれは信頼でも絆でもなく首輪に繋がれ寄り添っていたに過ぎない。 冷静にならなければいけない。傷ついてはいけない。 もとより自分はこういう立場であることを忘れてはならない。 主に遊ばれることはあっても主で遊ぶのは赦されるべきではない。 「コンラッド」 「はい」 名を呼ばれたら、すぐに返答を。 「ここはなんて書いてあるの?」 「こちらは―……」 主が望むだけの愛嬌を。従順に尻を振る。舌を出し、涎を撒き散らして、ひたすらに。 それが犬の喜び。 「そっか、わかったありがとう。……コンラッド?」 「なんです?」 「なんか今日は機嫌がいいな」 「ええ、天気がいいですから」 こうした、淀んだ思いに耽るのはひどく心地いい。まったく、嫌な性癖だ。コンラート自身思う。叶わないと夢をみて絶望のなかで与えられる愛はどんなカスであれひどく甘くて病みつきなる。幸せに浸っていては決して味わえない甘さ。 本当に主は自分を夢中にさせる。甘い絆で犬である自分に優越感を与えていたかと思えば、足にじゃれついた犬をあしらう。 犬の扱い方が素晴らしく上手い。 晴天は好きだ。自分にはあまりにも似合わない。自分には太陽の光で濃くなる影のようだ。明るければ明るいほど、影は黒くなる。 自分は従順な犬ではない。優秀な犬をかぶった獣。 無意識であるとはいえ、自分のひとりあそびに玩具を加えてくれた主には、それなりに感謝をしなければ。 コンラートの胸にある矛盾のふたつが乗る天秤が、傾いた。 |