わたくしのねがいごと



「ヨザック」
 再び城内へコンラート卿ウェラーと戻り、部隊の長、フォンヴォルテール卿グウェンダル閣下に新たな調査以来を受け部屋をあとにした廊下で声をかけられた。少年の声。振りかえれば目に映るは黒が印象的でまるい眼鏡が少年の持つ知的さをより一層引き立たせる少年。ヨザックはその少年を「猊下」と呼ぶ。
「いまから、眞王廟へ帰ろうと思うんだけど、護衛を頼むよ」
「喜んで」
 猊下はすでに、後方にひとり護衛の兵をつけていたが、自分をご所望らしい。「もういいよ。ここまでの護衛ご苦労だったね」と労いの言葉をかけるとこちらへと歩みを進める。
 ヨザックは廊下にひとけがなくなったのを確認すると、からかうような口調で少年に話しかけた。さきほど見せてもらった光景のことを。
「双黒の麗しい接吻シーンがこの目で拝める日がくるなんて思いませんでした。ごちそうさまです」
「どういたしまして」
 どこか楽しそうに猊下はヨザックに返答を返した。
「しかし……あの坊ちゃんのことだ。結構ショックを受けたんじゃないですか?」
「まあ、それなりに驚いてはいたね。でも、相当ウェラー卿に関して問題を抱えていたみたい。僕の悪い予想が当たっていたよ」
「悪い予想?」
「うん。渋谷は初心な仕草ひとつ見せやしなかった。一瞬驚いただけ。それだけだった」
 その言葉の意味をヨザックは理解して苦い笑いしか浮かべることしかできなかった。本来渋谷と呼ばれる一国の王はたいへん純粋で初心な少年なのだ。接吻ひとつにしても大事に思っているだろうし、怒るかもしくは顔を真っ赤にしていたに違いないのに。
「さびしいですねえ……」
「そうだね。すごく不愉快な気分になったよ。……まあ、けど渋谷にキスできたのは嬉しかったなあ」
「坊ちゃんの唇は、どうでしたか?」
 聞けば、猊下は「甘酸っぱかったよ」といいそれから瞳を上へと仰いで「青春だねえ」とぼやいた。
「せいしゅん?」
「母国の言葉さ。青い春と書いて青春。彼らたちにはぴったりな言葉だ」
「そうですね。簡単なことを難しいものだと、億秒になっているおふたりさんにはぴったりな言葉ですわ」
 かかか、と声をたててヨザックは笑い、さきほどの友人の顔を思い出す。コンラートの顔を。それを猊下も察したのか、小さく口角に笑みを浮かべヨザックを見る。
「コンラートも面白い顔をしてましたよ。すっごく情けねえ顔してました。大事なもん捕られたガキみてえな顔です。あんな顔するなら見栄を張るのをやめたらいいのに」
「まったくだよ、渋谷もウェラー卿も。僕は傍観者でいようと思っているのに、歯がゆ過ぎてイライラするよね」 言って、ため息を吐く少年にヨザックは掠めるような接吻を頬に落とした。途端に背中を叩かれる。
「だれかに見られたらどうするんだい?」
「そんなヘマしませんよ。いやいやお優しい猊下が愛おしくて、つい」
「時折きみはヘマをするじゃないか。それに僕はついっていう言葉をあまり好まないんだ。ウェラー卿を思い出す」
 眉根を顰める仕草はフォンヴォルテール卿より色気があり、外はねをしている黒髪から覗く細く色白のうなじにかぶりつきたくなる衝動にかられ、ヨザックはそこを見つめた。
「それは大変失礼しました。しかし、あんな光景を目のあたりした男が嫉妬するとは思わんで?」
「思わないね」
 猊下は即答でヨザックの問いを否定する。それから、妖艶な笑みを浮かべて視線を絡める。ヨザックを挑発するように。
「キスの違いくらいわかるだろう。愛は愛でも思いは違うし、重さも違う。きみのキスは甘酸っぱくない。甘ったるいんだ」
「ですね。もー猊下ったらオレを煽るのが上手いんだから。……ま、これで尻に火を付けられた坊ちゃんらが今後どういう行動を起こすのが楽しみですよ」
「……そうだね」
 言って笑う猊下の顔にヨザックも頬をほころばせた。
 普段は少年のように笑う猊下を見れることはない。こんな顔をさせる少年王に少しだけ自分は嫉妬する。己に火の粉がかかろうと構わんと行動を起こすのは、王であるユーリ陛下のみだ。こちらはこんなにも陶酔しているというのに。まあ、自分も同じなのだからそんなことは口になど出せやしないが。コンラートのために命をかけたことがあるのだ。
 大切な友のためを思っておせっかいを焼いてしまうのはお互い様。
 自分たちの願い事は、彼らがしあわせになること。
「せいぜい、足掻いてもらいたいですね」

遠まわりしても答えはいつもひとつしかないとはやく彼らは気づくべきだ、と少年はつまらなそうに微笑んだ。
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