■ さあ、終焉の鐘を鳴らそうか。



「……猊下、さきほど新しい主が就任なされました」
 電話越しで男が抑揚のないつまらなそうな声で報告をする。
「そう。わかった。じゃあ、僕もすぐにそっちへと向かうよ」
 それだけ言うと村田健はすぐに電話を切った。
 村田はとっくに荷造りを終えたスーツケースを持って、部屋を出る。
 彼――渋谷有利なら、それを選択するだろうとわかっていた。


 ――バンバンバンッ!
 絶え間なく射撃場から聞こえる音に村田の護衛をしているグリエ・ヨザックがため息交じりにグチをこぼした。
「あーあ。練習だとはいえ、あんなんじゃ弾のムダ使いだ」
「……ヨザック、口は慎めよ」
 村田は読んでいる本から目を離さず、ヨザックを窘めると彼は肩を竦め「すみませんでした」とすぐに謝罪をする。けれども、納得はいっていないのだろう。
「しかしなぜ、眞王は坊ちゃんを選んだのでしょうね。銃もなく戦争もなく誰かを殺すことが非日常である日本人。勝馬の息子だからといえども、その血(ブランド)がなければどこにでもいるオトコノコなのに」
 ヨザックの言うことは間違えではない。けれども、まだこの男は知らないのだ。『渋谷有利』という少年がいかに大物なのかを。村田はキリのいいところまで読み終わるとしおりを挟みこみ、パタン、と本を閉じた。
「その血(ブランド)があるからこそ、だよ。血っていうのは絆よりも濃いから」
「と、言いますと?」
「蛙の子は蛙ってことさ。日本のことわざ。生まれたばっかりのときは似てないけど、成長すると親と同じ姿になる。……渋谷もそう。生まれ育ったところは温室であっても、その血筋は僕らよりもずっと濃い闇の血が流れている。開花する日はそう遠くない」
 村田が言うとヨザックは「そういうもんですかねえ」と聞き流すように相槌を打つ。
 まあ、ヨザックが疑いたくなる気持ちもわからないでもない。なにせ、渋谷有利という新しい自分たちの主はこの世界のルールも価値観もいまは未だによく理解できていないのだから。
「……そういうものさ。それに、彼はからだで覚えていくほうが性にあっているようだし。なにより『眞王』が決めたこと。……それにあの犬――コンラート・ウェラーが自分の主人にふさわしいと頭を垂れ、尻尾を振っている」
 犬というのは、自分のなかで周りの人間を『格付け』する生き物だ。どんなに優しく甘やかして、もしくは厳しく躾けたとしても気に入らなければ言うことをきかない。とくにコンラートの場合は、愛想良く聞きわけがよく見えるが、あの男は実にしたたかな性格をしている。相手を観察し、考察し、熟知して、相手を品定めする。それが己の地位より高い存在であったとしても自分のなかで相手の評価が低かった場合、相手の手を噛むこともあれば、相手を見捨てたりもする。
 そんな男が認めたのだ。
 なら、間違えはないだろう。
「……ま、オレは誰であろうと上に立てば従うつもりではありますが、オレ個人としては不思議でなりませんよ。どう考えても、裏の裏をかき、その裏もかいて殺し合って生き残る世界(ゲーム)でなら、坊ちゃんよりも猊下のほうが性にあってると思います」
「たしかに、それだけなら僕のほうが上手くやれるだろうね。でも、ヨザック。それじゃあダメなんだよ。上に立つってのは。ゲームがうまくできるだけじゃいけない。必要なのはどれほど『部下を愛せるか』ってこと。僕には残念ながらそれができない」
 村田のことばにヨザックが小首を傾げる。
「『愛する』ってとても難しいことなんだよ。ちゃんと愛してあげないと、相手からも信用されない、愛されない。僕は簡単に部下であれなんであれ切り捨てることができる」
 と、話の途中で村田の胸元のポケットが震える。
 震える原因である――携帯電話の画面のディスプレイを見て思わず眉間にしわが寄る。
「……仕事の電話ですか?」
 と尋ねたヨザックに村田は横に首をふった。
「いいや。非通知でかけてくる礼儀知らずな奴と僕は仕事をしない主義だから」
 とはいえ非通知でかけてくる奴が一体だれであるのかとっくに検討はついている。
 村田はため息をひとつこぼして、通話ボタンをオンにした。
『――やあ、ミスター村田。元気にしているかな?』
「からだはまさに健康そのものさ。まあ、あなたからの電話がなければ気分も悪くなかったけれどね、サラレギー」
 そう返せば嫌味は右から左へと都合よく聞き流しているのか電話の相手である少年は『元気そうでなによりだ』と答えた。
 どこでこちらの電話番号を入手したのかなんて、もうどうでもいいことだ。手に入れようと思えば手に入れられる。そんな地位にサラレギーはいるのだから。
「元気にしているのが、わかったんならもう電話を切ってもいいかな?」
『そんなツレないことを言わないで欲しいな。私はキミたちの新たな主が生まれたと聞いてね。お祝いのことばを贈ろうと思ったんだ。新しい主は『ユーリ』というそうだね。しかも、十六歳と聞いて会ってもないのに親近感がわいてくるよ』
 べつにユーリの存在を隠していたわけではないが、それでも情報がまわるのがあまりにもはやい。
 ……本当に、めんどくさい男だ。
 そうこぼれそうになったことばを村田はどうにか飲み込んで「ありがとう」と答えた。
『どうだろう。近いうちにユーリとお会いしたいのだけれど。食事とか』
「申し訳ないが、有利にはまだ学んでほしいことがたくさんあってね。それは無理だ」
 うそではない。けれど、この男と必要以上に有利を接触させたくない。
 正直なことを言えば、サラレギーと接触などさせたくないというのが村田の本音だ。けれど、それこそこの世界で生きると有利が決めたのだから、サラレギーと接触しないことなどありえないのだが。
 極力、会わせたくない。サラレギーは品があり、礼儀も正しいが、なにより口が達者で腹黒い。それに一言余計なことをいつも口走る。
 自分も冷酷な性格をしていると自負しているが、それ以上にサラレギーは非道でなおかつ、悪趣味な性格をしていから、有利と接触でもしたらなにをしでかすかわからない。
『それは残念だ。まあ、それでもそのうちに会えるだろうし、その機会を気長に待つことにするよ。無理やり押し行って主に尻尾を振っているキミたちから噛みつかれたら大変だからね』
「……いつもあなたは一言余計だ」
「私がなにか言ったかな?」
 サラレギーのこういうところが嫌いだ。
侮辱をしたと一切思わず、無邪気に話すところが。
 自分で自分のことを『犬』と表現するのは構わないが、身内でもない者にいわれるとどうしてこんなにも腹がたつのだろう。
「いや、なんでもないよ。……そうそう。あなたからのせっかくの食事のお誘いを断ってしまったから、お詫びの品として僕からプレゼントを贈らせてもらうことにしよう。オマルをね。聞いた話じゃ、あなたはまだひとりでトイレも行けないらしいね。あなたの身を案じて、護衛がトイレのなかまでついていくって。だから、あなたも護衛もめんどうがないようにオマルを贈ろう。それとも、オムツがいいかな? どちらでも好きなほうを贈ってあげる」
 言うととなりにいたヨザックがぎょっとしたかおをするから思わず笑ってしまいそうになった。
 しかも、あんなにもおしゃべりだったサラレギーが無言になったことがさらに笑いを誘ってくるものだからたまらない。
 すこしだけ気分が晴れた。
 村田はサラレギーの返事を待つことなく「それじゃあ、どちらにするか決めたらまた連絡してきてね」と一方的に通話を切ると、ヨザックがおずおずと「電話の相手、サラレギーですよね」と尋ねてきた。
「そうだよ。渋谷に会いたいんだってさ。丁重にお断りしておいた。お食事会とかたまったもんじゃないよ」
「……坊ちゃんとサラレギーのお食事会、考えるだけで胃がキリキリします。いや、すでにさすがというべきですが、あのサラレギーにたいして挑発行為をしていた猊下に冷や汗がとまらなかったんスけどね……」
「だって気に食わなかったんだもん」
「もんって……。まあ、あなただからできたことですね」
 オレには絶対できないです。と、ヨザックは苦笑いをする。
「ま、いつかはサラレギーと顔をあわせるときがくるだろうけど、いまはまだそのときじゃない。いますべきことは、渋谷の成長を見守り、僕たちが彼との交流を深めることだからね」
 言って、電話のあいだにヨザックが用意してくれた紅茶に村田は口をつけた。
「信頼関係ねえ……」
 ヨザックがぼんやりと呟く。
「……さっきしていた話にちょっと戻そうか。と、言っても僕の自論を君に押しつけるつもりはないけど。僕はさっき言ったよね。『どれほど『部下を愛せるか』。僕には残念ながらそれができない』って。ひとをモノとして考えることはとても簡単なことなんだよ。自分が傷つかずに済むし。けれど、ひとを『人』として考えて相手にすると、殺すのが難しくなるんだ。……渋谷は、後者の考えだ。しかも無自覚のね。だから、そういう風にひとに接する。そうすると、相手も自分は『ひと』であり、渋谷も『ひと』であると思うようになる。これはね、とても怖いことだよ。簡単に渋谷を殺せなくなる」
「……情がうつる、みたいなもんですか」
「そうだね」
「しかし、それが坊ちゃんの無自覚の戦法だとしても、血も涙もない冷酷なやつはごまんといますよ。絶対的恐怖ではないでしょう」
「もちろん。でも、彼の戦術にいちばん影響がでるのは敵じゃない。――僕らさ」
「……は?」
 ヨザックが小首を傾げ、村田は眼鏡のブリッジをあげて、話を続けた。
「そのうちに、君もわかるよ。さっき、僕は自分の意見を押しつけないとは言った。でもね、これは自信をもっていえる。賭けてもいい。ヨザック、君は渋谷が大好きになるよ」


「――お待たせしました、猊下。これが今回の資料になります」
 ヨザックは言い、村田にメモリーカードを手渡した。
「ごくろうさま」
 手渡されたメモリーカードをさっそくパソコンに読みこみ、呆れたようにため息をこぼした。
「もともと頭のないヤツだと思っていたけど……ズーシュァンは本当に救いようのないバカだね。ヘンゼルとグレーテルみたいにこんなにもわかりやすい証拠をいたるところに残しておくなんて。……ああもうやだなあ。こんなヤツにひっかきまわされるなんてはらわたが煮え繰り返そうだよ、まったく」
「オレもそう思います。しかし主犯がアルフォードだったから、あのようなことが起きてしまったのかと」
「フォローは無用だよ、ヨザック。主犯がアルフォードであったにしろ、裏で手を引いていたのがバカなズーシュァンであったことには変わりない。『眞魔』そしてユーリの顔に泥を塗られたことにはかわりないんだ」
 長く息を吐くと、村田は顔をあげヨザックを見据えた。
「……メキシコのマフィアが言ったセリフをヨザックは知ってるかな。軍も警察も恐れずに言ったことば『俺の部下を一人殺したら、お前ら十人殺す』ってやつ。僕もそれに賛同する。でも僕は例えであっても十人じゃ足りないよ」
「アルフォードの首だけでは意味がないということですね」
 とヨザックが答えれば「わかってるじゃないか」と村田は冷たい笑みを浮かべた。
「それにね、日本ではこういう話がある。一度ひとの味を覚えてしまった熊は、同じ味に執着するってね。ズーシュァンも同じさ。こそこそとちょろまかして、楽に稼げる方法を覚えてしまったんだ。殺すしかないよ。……でも、ズーシュァンだけじゃない。彼を筆頭として動いていた組織はみんなそう。だから、君にお願いしたいことがある。それは、」
「皆殺し」
「皆殺しってことですね」
 ふたりの声が揃い、村田とヨザックは小さく笑う。
「やっぱり、君はとても優秀だ。そう、皆殺しだ。ズーシュァンは後日行われる会合で、コンラート・ウェラーが殺すことになっている。で、急ではあるが君はそのあいだにズーシュァンの組織を壊滅させてほしいんだ。欲しい武器はすべてそろえるし、お金も弾む。……できる?」
「もちろん」
 ヨザックは即答する。
「戦友であるオットマーや『眞魔』への侮辱行為。……なにより、坊ちゃんのこころを傷つけた組織をこのままでは済ませるわけにはいけませんから。すぐにでもグウェンダル閣下と打ち合わせをしてきます」
「頼りにしてるよ。僕はこの資料をズーシュァンのおつむでもわかるくらい簡易にしてコンラートに手渡すから。それじゃあよろしくね」
「はい」
 ヨザックは村田にあたまをさげて、部屋を出ていこうとして「あ、」と声をあげた。
「どうしたの?」
「……いえ、以前猊下に言われたことを思い出しまして。あなたはやっぱり正しいです。オレね、坊ちゃんのこと大好きになりました」
 そう言うと、村田は破顔したあとすぐにうれしそうにやわらかい笑みを浮かべた。
「でも、いちばん大好きなのは猊下なんで、そこんとこは間違えないでくださいね」
 村田の返事もまたずにヨザックは今度こそ部屋をあとにした。
「あーやだやだ。なんで外人ってみんなクサイセリフ簡単に吐いちゃうだろ」
 村田は徐々に部屋から遠ざかるヨザックの足音を聞きながらひとり肩を揺らして笑う。
 渋谷と関わるとみんな彼が愛しくてたまらなくなる。
 彼のためになにかがしたくてどうしようもなくなる。
 だから、我らの愛しい主が傷つける世界など言語道断。
『Let’s fuck the world! 』
 村田は、ちいさく呟いて再びパソコンへと目をうつし作業を始めたのだった。

END

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