■ 君が初めて凶器を手に取った日の夢を見るよ

 快晴の空の下。ここより離れた場所からは、子供の無邪気な笑い声が聞こえた。自分が生きている世界と違うのだとコンラートは床に目を落としながら思った。大の大人が何人も人目も憚らず大泣きしている。廃墟と化した教会の壁は穴だらけなのにも関わらず、泣き声や嗚咽が反響して、コンラートはふと童話のワンシーンを思い出した。
 水色のワンピースの女の子が、密室になった部屋の唯一のドアがあまりにも小さくてここから出られないと泣き、涙が溢れて室内を洪水にする場面を。
 あれはファンタジーで、現実にそんなことはありえないことだが、いまの教会にはみえない水であふれかえっているようにみえた。
 この世界に産み落とされたとき、人々には脳にプログラムされているルールがいくつかある。
『人は人を殺めてはならない』
 おおよその人間はそのタブーを犯すことなく一生を終えるだろう。しかし、それは決して犯してはならないものではない。このルールにはいくつもの矛盾があるからだ。
 生きるためには、なにかを口にしなければならない。でも、人を殺し、その血肉を食べることは赦されない。ゆえに『人』でなければ食べてもいい。たとえば、牛であり、豚であり、鳥。『人』に分類されない生き物がそうだ。
 しかし、その条件では生きられない人間がこの世には存在をする。
『人』の殺さなければ生きられない者が。
 いまこの協会に集う者は皆そうだ。『人』を殺して生きている。そこに罪悪感など存在しない。人を殺して得る感情は『今日も生き延びることができた』という喪失感だけだ。一度世界のレールから踏み外した者はもう二度とそのレールの歩くことはできない。
 忘れてしまうのだ。『人』を殺さずに生きる方法を。
 オウオウと犬の遠吠えのような鳴き声が協会に反響するなかで祭壇の上に載る棺の前で佇む少年だけは声をあげることなくただじっと棺――父親の顔を見つめている。
 コンラートは、そっと少年の隣へと立ち彼の顔を横目に覗き込んで小さく息を飲んだ。
「……ユー、リ」
 少年――シブヤ・ユーリは静かに泣いていたのだ。
「……わかってたんだ。親父がどんなに優しくて、自分が平穏な生活をしてても、親父がマフィアであることは変わらないってこと。でも、わかってなかったんだよな、おれは。ぜんぜんわかってなかった」
 父親の亡骸に手を伸ばして、顔を撫ぜる。
「おれが学校に行けたのも、友達がいたのも……全部、親父とあんたたちが守ってくれたからなんだよな。おれは、現実から目を背けていただけなんだ」
「それは、違います。ユーリ。あなたは現実に目を背けていたわけではない。ショーマを筆頭に我々がそれを望んでいたのです」
 ショーマは旧東ドイツを主とする『眞魔』の当主であった。もともと彼は自らの意思でこの道へと進んだわけではない。彼の子供である。ショーリとユーリが生まれるまでは健全などこにでもいる日本の銀行マンだった。けれど、ショーリの故郷は旧東ドイツであり育った環境は決して健全な場所とはいえないものであった。彼は『眞魔』の幹部の間で生まれたいわば血統書つきのマフィアだったのだ。とはいえ、マフィアを抜けることはできずとも彼は殺しを嫌いだれがどう見てもこの世界には向いていなかった。だからショーマの親は彼を日本へと逃がしたのだ。ショーマが自分の進みたい道を歩むために。事実、時期当主の候補も噂ではあったが決まっていて、ショーマの存在など『眞魔』のなかでは風化されつつあった――が。当時の『眞魔』の当主、眞王は引退とともに、次期当主として名を上げたのはどういうわけだが、ショーマだったのだ。不平不満を漏らした者は多くいたが絶対的地位にいる眞王に逆らえるものなどいるはずもなく、彼はもう二度と踏み入れることはないと思っていた旧東ドイツ、そして『眞魔』に戻ってきた。『家族』を守るために、戻ってきたのだ。彼が当主になれば、家族には一切の敵味方問わず手出しはしないという約束で、彼は当主へとなった。
 そしてそこですべては終わるはずだったのだ。
 家族を守るためにショーマは最初のうちこそやっかみなどされはしたが、彼自身の人柄と期待以上の成果をあげ『眞魔』の地位をより高いものへと引き上げ、仲間の信頼を勝ち取ってきた。
 家族の生活の第一考えた彼は、いまのいままで連絡をほとんどしていていない。数か月に一度写真が送られてくるそれをただ楽しみに生きてきた。そしてショーマを慕う者達もショーマと同じようにどうかこの家族だけはしあわせに暮らせますようにと願っていたのに。
 ――なのに、どうしてこんなことになったのか。
 コンラートはそっと静かに涙を流す少年の耳元に口を寄せた。
「……あなたは次期当主として眞王に選ばれました。けれど、あなたがそれを望まないというのなら、俺は全身全霊をかけてあなたを逃がします」
 言うと、わずかに少年の目が見開きこちらに視線を向けた。漆黒の瞳にはありありと困惑とした色が見える。そんな少年をコンラートは抱き寄せて、周囲から怪しまれないように話を続ける。
「あなたのこと、そして家族のことはショーマから聞いています。……情が移ったというのでしょうか。時折送られる写真。その笑顔に俺は救われてきました。この汚れた世界で生きている意味を見出すことができたんです。俺はきっとあなたたちを守るためにここに存在しているのだと。あなたは俺の光でした」
 まるで太陽のようなあたたかくてひまわりのようなかわいらしい笑顔。この笑顔を守るために、自分は生きているそう実感した。赤の他人のくせになにをと言われるかもしれない。しかし、初めて自分が生きる意味を守りたいと思う光を見つけたのだ。
「理解できないとは思います。……これは、俺のエゴだ。あなたは俺を知らない。それでも、俺はあなたを守るためなら世界を敵にまわせます。――ユーリが歩む道は俺が切り開く。必ず」
 言うと、コンラートの腕のなかにいる少年が、顔をあげた。
「……ほんとうに?」
 問われ、「ええ」と頷くとユーリはコンラートの腕からからだを離してもう一度顔を父親へと向けた。
「……親父が死んで、お袋から本当のことを聞いた。はじめは全然信じられなかったけど、数日が経って、親父の組のひとが家に来て次期当主に任命されて半ば無理やりここに連れてこられて、親父の顔を見てああ、全部本当なんだなって実感した。……親父なんで連絡してこないんだろうって思ったけど、おれらを守ってたんだよな」
「……はい」
 ユーリはそこでようやく頬に伝っていた涙を拭い、長く息を吐いた。
「ね、あんた『蛙の子は蛙』って言葉知ってる?」
「いえ……」
「おたまじゃくしのころは親であるカエルに全く似てないけど成長すれば親と同じカエルになる。簡単に言えば子は親に似るってことだよ。日本のことわざ」
 そう言った少年にコンラートはちいさく息を飲んだ。なぜこの場でそんなことを言ったのか、よぎった答えに背中にいやなものが伝う。
「まさか、」
 言いかけたコンラートの声にユーリの声が重なる。
「おれの名前は知ってるだろうけど、改めて自己紹介するな。おれは渋谷有利。あんたは?」
「……コンラート・ウェラーです」
「こんら……ぁど?」
「発音が難しいのでしたら『コンラッド』ではどうでしょうか。一部の者にはそう呼ばれています」
「それじゃあ、おれはコンラッドって呼ばせてもらうよ。親父の遺言状にもそういえば書いてあったな、あんたの名前。おれを守る最強の男だって書いてあった。おれの言うことをなんでも聞いてくれる男だって。……そうなの?」
 言われコンラートは頷く。まさかショーマがそんなことを遺言状に書いているなど思いもしなかった。
 きっとショーマは気づいていたのだろう。ショーマの家族に、ユーリに光と救いを感じていたのを。
「コンラッド、あんたの腰にあるその銃を貸して」
「……は、」
 つぎからつぎへと予想しない言葉を投げかけられてコンラートの思考が追いつかない。
 彼はなにをしたいのか。
 戸惑いからなにもできないでいればユーリは父親の亡骸を見つめながら左手をこちらに伸ばす。
「貸してください」
 恐喝するような声音でもないそれにコンラートは逆らうことができずかすかに震える指先を悟られないよう腰に装着していたホルダーから護身用ベレッタを抜くと銃砲を握りユーリにグリップを向け手渡した。
「……銃ってけっこう重いんだね。でも、手の平で、片手でのるコレでひとが殺せちゃうんだ。そう思うと軽いのかな」
 抑揚のない声で言い、弾倉に銃弾が入っていることを確認するとそのまま撃鉄に親指をのせトリガーを引く。
「おれ、自分がまさかマフィアの親玉になるなんて思わなかった。マフィアなんてそれこそ映画の世界だけだって思ってたし、それこそ将来の夢に一回も描いたこともない。だけど、これになりたいって思った将来の夢もなかった。でも、自分がなにを軸に生きてるかはわかってる。おれは――自分の大切なひとを守りたいってそういう男になりたいって思ってた」
 そこまで言って、すっと息を吸うとユーリはベレッタをゆっくりと棺へ父親に向けた。
 ――バァンッ!
 教会に銃音と硝煙が揺らめいて、泣き喚いた声がぴたり、止む。
 まさか、まさか、まさか……っ!
 誰もが突然のことに言葉を失うなか、ただ少年だけが動き、棺から背を向けた。
「おれの名前は渋谷有利。先代の渋谷勝馬の息子であり跡目になり――いまこの瞬間に『眞魔』の当主になることを宣言する。いままで親父が守ってきたものをおれが引き継ぐ。去る者は追わない。でも、歯向かう者は全力で潰す」
 いわばこれは襲名披露なのだろう。亡き親の心臓を貫いたベレッタを少年が高々と天井へと向け、だれともなく少年に深く頭をたれた。
 新たな主を敬い、讃えるように。

 ――また、だ。
 コンラートは、ふと目を覚まして天井を見上げる。うっすらと明るく見えるのでおそらく早朝だろう。視線だけを壁掛け時計に向ければやはり時刻は四時過ぎをさしていた。
 コンラートは一度目を覚ますとなかなか寝付けない。もともと、睡眠時間は三時間あれば十分だったからときおり以前の体内時計が働くのかもしれない。
 ベッドサイドには、いつでもすぐに戦闘態勢に入れるようベレッタがおいてある。壁掛け時計からベレッタに視線を移動させそれを見る。
 黒く無機質なベレッタを見つめたままコンラートはそっと息を吐く。
 ときおりこうしてあの日の夢をみる。
 そうして思い出すたびに胸が軋むように痛むのだ。
 ユーリが自分自身で選択した道だとはいえ、あまりにも過酷な道。
 本当は逃げる選択をして欲しかった。いままで歩んできた道を踏みはずして欲しくはなかった。けれども彼は先代当主の息子。あまりにも濃く血を受け継ぎすぎている。ショーマもユーリも『優しすぎる』。誰かを犠牲にしてしあわせになるのなら、自らを犠牲にすることを選ぶ。誰かが傷つくのをだれより嫌う。誰かが傷つく分だけ、自分の心に傷がつくのだ。
 それはコンラートがユーリに抱いていたモノと同じことなのかもしれない。だからあの日『眞魔』の当主として生きることを選んだ少年を止めることはできなかったのだ。
 何度もあの日の夢をみるのは、父親の心臓に鉄の弾丸を撃ち込んだユーリ同様、自分の決意を忘れぬようにということなのかもしれない。
「……ぅ、ん」
 ぼんやりと夢の余韻に浸っていると隣からくぐもった声が聞こえ、ベッドサイドに向けたからだをコンラートが反転させればすぐに胸元にあたたかいものが触れる。あの教会で抱きしめた少年の頭だ。
 普段はこうして、手放しで甘えたりしないのに寝るときはやけに素直な少年にコンラートはふっと表情をほころばせた。
 すやすやと寝息を立てる幼い顔立ちに華奢なからだ。それらはすっぽりとコンラートの腕のなかにおさまってしまう。
 そんな少年の前髪をそろりと掻きあげ、あらわになった額に口唇を落とした。
 この世界にハッピーエンドなど存在しない。殺し殺しあい生き抜いていくだけの世界。
『いいひともわるいひともぜんぶ殺して、王様になるんだ。そしたら世界は平和になる』
 少年が――ユーリが望む世界が生まれたとしても、ユーリがこの世を統べる王に君臨したとしても、ユーリがしあわせになれることはない。
 それでも自らを犠牲にして叶えたいというのなら、自分は少年の盾となり刃となろう。
 彼がいつだって、自分の光だから。
 わずかにユーリの肩からずれたシーツをかけなおして、コンラートは抱きしめ目蓋を閉じる。
 現実と向き合うにはまだすこしはやい。

END

titlethank you:虫食い

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