■ 嗚呼、こんなにも空が清々しいほど晴れているというのに。

 オットマーはとても気さくなひとだった。どんな任務を頼んでもいやな顔をせず、戻ってくると報告と最後にいつもお菓子をお土産に買ってきてくれた。高いお菓子ではなく、どこか懐かしい味のするお菓子を一個。それを有利はひっそりたのしみにしていた。見た目はコンラッドやヨザックよりもいかつい雰囲気があるが、柔らかい雰囲気があり、コンラッドと情事にふけてしまった翌日に会うと困ったように眉根をさげてコンラッドに「もうすこし、私たちのことも考えてください。熱にあてられてどうにかなりそうだ」と冷やかすときの彼の笑顔が好きだった。
 アルフォードはいつもまえを向いて、ひとの目を真っ直ぐとみるのが第一印象に残っている。明るくて、夢を語るときが一番楽しそうだった。自分がこの国を、夢を目指している限り、敵同士だがそれはこの世界を生きる者ならあたり前のことだ。友人にはなれない。そのかわり、敵同士として闇の世界でなれあう。
「またな、ユーリ」
 と言って笑うアルフォードの笑顔が好きだった。
 ――もう二度とみれないけれど。
 いいひとは、やさしいひとは、この世界の死神の怒りを買うのだ。


* * *


「――まったく、残念だ。ユーリそれからコンラート。もっときみたちとはなしをしたかったよ」
「そうだな、アルフォード。おれもそう思う。……でもさきに仕掛けてきたのはおまえたちだ」
 殺し合いははじまったらどちらかが死ぬまで終わらない。
 一九八九年十一月九日。ベルリンの壁崩壊とともに東ドイツにはゴーストタウンが存在する。上下左右どこを見ても崩れ落ちた瓦礫と死んだ建物が寂しそうに唸っている。とくにゴーストタウン、カラパイヤは死神がうろついている。
 自分とアルフォードの魂を狩ろうと舌舐めずりをしているのだ。
「オレはカラパイヤが好きだよ、ユーリ。美しくそして暴力的な死臭がある。ここにいると実感するんだ。オレは生きている。そしてここで死にたくないってね」
 アルフォードはさびしそうに微笑み、ゆっくりと拳銃を有利に向ける。
 銃口は一切の躊躇いなく有利の頭を。
 まるで、彼の瞳のようだ。
「見損なったぞ、ユーリ。おまえがどんな武器や薬を欲しても構わない。だがな……おさない子供をトランクに入れるとはどういう了見だ? しかも今回がはじめてじゃないだろう。何人のこどもを誘拐してきたんだ」
「誘拐とは聞き捨てならないな。あの子たちはおれが買ったんだ。買ったものにとやかく言われる覚えはない」
 二丁のトカレフをくるくると回しながら有利が答えると顔を見ずともアルフォードの表情が怒りに満ちていくのがわかった。それから彼の部下がトリガーにかけた指に力が入っていくのも。
「この世界では、互いのモノに手を出したときに殺し合いが始まるんだよ、アル。モノは金のことだ。それ以外にはむやみに手を出すもんじゃない。この世界には、警察なんていらないんだよ。そういう偽善行為は表でやってくれ」
 カラパイヤのそとでカーニバルは絶頂に向かって花火を打ちあがる。銃音、悲鳴、怒号が混ざりあい夜を盛り上げているのが聞こえ、見えた。
「アル。おれはおまえが好きだったよ。でも、オットマーを仲間を殺されたらもういままでどおりの付き合いなんてできない。できないなら、二度と交わることがないように殺すことしかできないんだ」
 くるくると踊るトカレフのトリガーに指がかかる。そして有利はアルフォードと同じように彼の頭に銃口を向けた。
「ラストダンスをおれと踊ろうぜ、アル。盛大に。カラパイヤで死神に見せつけよう。誘われるのはどちらかな」
「……ユーリ! おまえは、どうしてこんな世界に墜ちちまったんだよ! 本当なら、」
「本当? もしものはなしだろう。おれの選択肢はここしか最初からないよ。太陽なんて――大嫌いだ」
 アルフォードのことばを遮り、声を重ねた。
 もしもなんて、この世にはない。あるのはいつもリアルだけ。そんな夢を願っても叶うことなどない。それが神が与えた人間への罰だ。ひとは罪を一生背負って生きていかなければならない。
「さようなら、アルフォード」
 コンラッドが動き、それを合図にすべてが弾けた。無数の音は、廃墟に反射して死神の笑い声に変わる。


* * *


 どんなに夜が深い闇に覆われてもいつかは終わりがくる。うっすらとあたりが明るくなるころ、廃墟で呼吸をしているのはさんにんだけとなった。
 有利とコンラッドと壁によりかかり腹部を抑え、口から血を流すアルフォード。
「ダンスの時間は終わりだな、アル。このままあんたを放っておいてもそのうち死ぬんだろうけど、爪のあまいことやってると癖になるから、ちゃんと殺す。一発で終わらせる」
「……じゃあ、最後に一言だけ」
「命請いですか、アルフォード」
 コンラッドが冷やかな声で尋ね、ベレッタに手かけるのを有利がいさめる。
「やめろ、コンラッド。アルフォードはそんなことしない」
「わかっています。ですが……」
「コンラッド、銃をしまえ」
 声を低く名を呼べば、コンラッドは不服そうに眉を潜ませながらもホルダーに銃をしまう。
「で、アルフォード。最後になにが言いたいの?」
 尋ねるとアルフォードは口内にたまった血と唾液を吐きだして笑った。
「ユーリ。おまえにはこの世界は似合わない」
 有利は引き金を引き、アルフォードの胸を銃弾が突き抜けた。ゴーストタウンに響く。
「……そっくりそのまま返すよ。あんたにはこの世界は似合わなかった」
 動かなくなったアルフォードに近付き、見開いたままの瞼を手でおろす。
「あんなの命請いよりひどい。あの男の最後のことばなど聞くまえに最初に殺しておくべきでした」
「そういうなよコンラッド。それじゃアルがかわいそうだろう」
 じわじわと広がる血の海がふたりの靴を濡らす。命の水がとめどなく。それを見つめているとコンラッドが後ろから抱きしめる。
「最後のことばはいつだってあなたの足枷にしかならない。……いくつあなたは背中に十字架を背負えばいいのですか! 血でぬかるんだ地面で本来なら背負わなくていいものを背負って潰れていく姿を俺は見たくない」
 彼の顔をみなくともどんな表情をしているのか手に取るようにわかる。
 有利は手をうしろにまわし、コンラッドの髪を撫でた。
「そんな顔するなよ、コンラッド。おれはそんなにヤワじゃない。長生きする予定だから、あんたと一緒に。帰ろうぜ、コンラッド。……ちょっと疲れた。寝たい」
 長く息を吐いてからだのちからを抜き、男の胸にせなかを預ける。鳥の囀りがカーニバルナイトの終わりを告げる。コンラッドが「このまま寝てしまっても大丈夫ですよ。あとは猊下への報告だけですので……」と耳壁にキスをした。この男も十分疲れているというのに。そう思うのだが、一度ちからの抜けてしまった肢体はいうことを聞かない。徐々にまぶたが落ちてくる。声すらもうでない。
 コンラッドはやさしい。やさしいひとはいつも死ぬ。
 彼もいつかは……と思考をめぐらせているとそれをかき消すように「おやすみなさい」の声が鼓膜を震わせ――有利は眠りについた。


* * *


 すうすうと、規則正しい寝息をたてる主を抱きあげてコンラートはカラパイヤのそとへと歩を進める。
 自分よりもひとまわり、ふたまわりも幼く小柄な主。
 そのうちに涙を流しながら、夢にうなされるのだろう。 ユーリはひどくやさしい。アルフォードが最後にはいたことばはゆっくりとユーリを苦しめるだろう。そうして、皆々の死に際のことば、表情がユーリの心のすきまで膿んでいく。それがわかっているのに関わらずなにもできない自分が歯がゆくてならない。
「……コンラッド」
「ユーリ?」
 きゅっと服を握られ返事を返してみるが、ユーリの寝言だったようだ。
「寝言、ですか。夢のなかにまで俺がいるなんてしあわせですね」
 いまだけは、すべてを忘れて眠りについてほしい。額に祈りをのせたキスを落とす。
 長い廃墟を抜けると車に背中を預ける男がこちらに手を振っている。
「――よう、隊長」
「ヨザ」
 フルネームはグリエ・ヨザック。オレンジの髪、そして青空に染まったような水色の瞳を持つ人好きな笑顔をみせる男。コンラートの兄フォンヴォルテール・グウェンダルの直属の幹部。主に、諜報員として行動するヨザックが、車に寄りかかっていた。
「いい車乗ってますねえ。ロールスロイスのファントムですか。さぞや乗り心地がよさそうだ」
 にゅっと笑う笑顔は不思議の国アリスに出てくる狂ったねこのようだ。人懐っこいのに、その瞳はひとをばかにしている。
「車に寄りかかるな、そこをどけ。……で、報告があるならさっさと済ませろ。おまえに構ってるひまはないんだ」
 部屋に戻り、主のからだを清めなければいけない。それから祭りの後始末を。やることは多くある。後部座席にユーリを寝かせ、ヨザックが助手席に乗り込んだ。
「――まずは、アルフォードの組織せん滅おつかれさんでした。こっちも無事ブツを取り戻した。傷ひとつない。ぜんぶ計画通り。……で、やっぱりアルフォードに焚きつけたやつがいやがった」
「そうか」
 やはり、アルフォードはあて馬だったようだ。アルフォードはばかではないが、彼の首には正義という名の首輪が付いている。正義に反することをどうしても赦せない。麻薬や武器はまだ奥歯を噛みしめて我慢できるのだろうが、今回のブツには我慢がならなかったのだろう。怒りは沸騰するお湯に似ている。一度沸点を切ってしまえば簡単には熱はさがらない。
「もとから手配に頼んだ組を信用なんざ、だれもしてなかったが金をもらえばはなしはべつだ。金と相応の仕事をするのがこの世界のルールだ。だのに、アイツは欲をかいてアルフォードにブツの情報を流しちまった。おつかいもまともにできないなんて、なにを考えてるんだか」
「密輸されたのがこどもだとしれば、アルフォードは我慢ならないからな。……アルフォードのことだ。そのこどもの行く末がどういうものなのか勝手に予測し、勘違いをしたんだろう」
「ガキの密輸っていえば、ほとんどが変態のところに売り飛ばされるか、ピチピチな臓器を抜かれるかだからな。……坊ちゃんの考えなんて頭に浮かばないだろ。孤児院でガキを保護するなんざ。いえばアルフォードは感激しただろうに。オットマーも死ななかった」
 そしてこんな結末は迎えなかったかもしれない。と、ヨザックは残念そうに呟いた。その選択をきっとユーリは知っていた。アルフォードなら、聞いたとたん両手をあげて喜ぶだろう。しかし、ユーリは言わなかった。それにはちゃんと意味がある。
「口を慎め、ヨザ。……ユーリも考えたさ、アルフォードは賛同しただろう。ユーリがだれにも言うなといえば言わないだろう。でもそれは絶対とは言い切れない。もしどこかにこの情報が漏れれば日本にある孤児院や入港通路で襲撃の恐れだってある」
 言うと「わかってるさ」とヨザックはいい「……坊ちゃんにはつらかっただろうな。黙っていることってやつは。あの方のいいところはこの世界は全部喰らっちまうんだ。素直で単純でよわくて、泣きむしな坊ちゃんであることを許してくれないんだ。相手に誤解されたままで、別れるっていうのは、恨まれるってことは一生忘れられない傷になる」
 そうしてちいさな傷がいつか致命傷になることを、コンラートも十分すぎるほどに知っている。大きな願いほど、叶えようとすれば多くの犠牲を払わなければいけない。
「それでも、ユーリは選択したんだ。孤児だけじゃなく、俺たちや守るべきもののために己を犠牲にした。それに俺たちは答える。そのために俺たちはここにいる」
 あの十字架が彼にしか背負うことができないのなら、彼が踏みしめるぬかるんだ土にからだを寝かせて、沈まないようにする。
 いつか見る世界のために。
「そうだな、隊長。いやーなんか真面目なはなしをしちゃってグリエはずかしいわん。ひさびさに顔を合わせたからなのかもな。仕事があってここに来たのを忘れるところだった」
 ヨザックが車から出る。
「仕事?」
「祭りの余興だ。おふたりさんが殺ったアルフォードの首を中央公園で晒してくるのさ。もう二度とばかなことする奴が現れないようにってね、猊下から命令」
 猊下はユーリが傷つくことがなによりも嫌いだ。肉体ではなく、心をやられることが。だから今回のアルフォードのように必要以上にユーリと親しくなることがないように、アルフォードをさらし首にするのだろう。『眞魔』がいかに恐ろしいものか人々の脳に植え付けるために。
 近づかなければ、関わらなければ、ユーリは泣かなくて済むから。
「それじゃ、また今度な隊長。坊ちゃんにもよろしく言っておいてください」
 ヨザックは手を振ると、薄暗いカラパイヤへとゆっくり姿を消していく。
 それをわずかな時間見つめ、盛大な祭りが終わったあとはいつも焦燥感が残るだけだ、と眩しい日差しを遮断するようにコンラートはサングラスをかけた。
 一台の黒い車が、廃墟をあとにする。


 


嗚呼、こんなにも空が清々しいほど晴れているというのに。
(俺たちはいつも救われない闇の海から、それを見つめることしかできない。ーーあの空のしたで笑うことは赦されないのだ)




END

titlethank you:るるる


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