■ わたしは馬鹿なこいぬだ。

 ――太陽の輝く世界がだれよりも似合う少年が、明るい世界に背を向けたときに、決めた。
 この少年の願いはすべて叶えてやろう、と。
 そして、犬畜生として生まれた自分のこの歯で願いを邪魔する者はすべて喰い殺す、と。
 主を馬鹿にする者はだれひとりとして赦さない。
 主から奪ったこの地球のすべてを喰い殺してやる。
 この世に、正しいものがあるとすれば、それはすべて我が主――シブヤ・ユーリのことばのみだ。


「おや、今日の会議に渋谷は欠席かい?」
「ええ。体調がよくないので……」
 コンラートはユーリが住む旧東ドイツの最高級ホテルから西に数十分車を走らせた先にある酒場を訪れていた。
 酒場の隅のテーブルでコンラートが待ち合わせ、声をかけられたのは主、ユーリと同じ日本人の少年、村田健。通称、猊下。もしくは大賢者と呼ばれる十六歳とは思えない知識を持ち、ユーリの束ねる組織『眞魔』を先代より大きく協力な組織へと成長させたのだ。
 ユーリと同じで十五歳まではふつうに日本の高校に通っていた少年だとは思えない。
 いま、猊下が目を通している分厚い書類は世界各国の最重要機密が詳細に書かれているものだ。まるで辞書のように厚い書類を毎日欠かさず読んでいるという。読み流すのではなく残さず記憶し、活用する。猊下には銃や体術といった技量はやや低いが、無駄のない戦略を組立て心理戦に持ち込まれるとどんな者でも勝ち目がなくなる。猊下の精神的拷問を何度か拝見したことがあるが、いっそ殺してくれと言いたくなるほどの恐ろしさがあった。
「体調、ね……。っていうか心の問題だろう? まだオットマーが死んでから三日と経っていないからね。渋谷はやさしすぎるんだ。まあ、だからこそ彼は愛される存在なんだけど」
 猊下は小さくため息をついた。
「それで、今日はきみだけなんだね。了解。……で、今日の会議が一体どういうものなのか理解してる?」
「それは、もちろんです。猊下」
「ならいいんだ。うまくやってくれよ? きみの行動次第で組織、それから渋谷の価値が変わってくるんだから……じゃ、ぼくはそろそろ御暇するよ。まだやらなくちゃいけないことが残ってるから、こっちはきみに任せる。ああ、あとこの資料を持っていくといい。サルでもわかる資料集」
「ありがとうございます。では、猊下もお気をつけてお帰りください」
「うん。きみも、ね。それじゃ」
 ひらり、と手を振って少年はこちらを見ることもせず酒場を立ち去っていった。
 腕時計をみれば約束の時間まであと十分ほどある。コンラートは少年を置いていった資料を手に取り、バーテンダーに声をかけると奥の部屋を姿を消した。

 ― ― ―

「――さて、よく集まってくれた。今回はほかでもない一昨日あった事件についてだ。我が組織の幹部一名と運び屋が四名が殺された」
 円卓のテーブルで三名。壁にずらりと並ぶ男が数名。死臭と緊張感が充満した室内で、コンラートはテーブルに肘を置き、手を組んで口を開いた。
「そんなのこの街、いや国の者のほとんどが知ってるぜ。ルッテンベルクの旦那。あんたの組に手を出したのはアルフォードが率いる組Justice(正義)だろう。真夜中にド派手なカーニバルしやがって。眠れなかったってんだ。この件に関しては、あんたらが解決しただろ。中央公園の肖像の手にアルフォードの首をぶら下げてよ。あれで全部だろ。いまさらなにを蒸し返すことがある」
 葉巻きを吸いながら、退屈そうにイギリスを主とするダドリーが答えた。
「もちろんそうさ、ダドリー。でもこのはなしはアルフォードの首だけじゃ終わらないんだよ」
「……どういうことだ?」
 ダドリーが訝しげに眉をひそませ、コンラートも胸ポケットから煙草を一本取り出した。
「一応、ここに集まったイギリスの殺し屋を率いるダドリー。中国マフィアのズーシュァン、イタリアマフィアボルツァーノのキーン。……きみたちはここ旧東ドイツで流通や殺しをするために『眞魔』と友好関係を結んでいるはずだ。お互いにビジネスを邪魔をしないために手を出さないとしているはず。我が主はたいへんおやさしい。きみたちのために共通の流通経路も作ってあげた。しかし今回はそれに反した奴がいた。『眞魔』の流通経路で金をちょろまかしたあげく、ひとのモノにまで薄汚い手で触って。あげく、我が主を狙った。べつに俺たちはなにも共通の流通経路だけでビジネスをしろとは言っていない。また、ブツにも口出しはしない。一定の金を支払ってくれさえすれば問題はない。これ以上ないほどやさしいはなしで、これ以上の欲をかいた者がいるのを見逃すわけにはいかない」
「……そりゃあ、バカなやつだな」
 キーンが肩をすくめて天井を仰ぎ、ズーシュァンが「そうだな」とダドリーとともに再び笑い声をたてた。
「でもどこにだってネズミは出るだろうよ、コンラート。ネズミはチーズ……金のにおいがするところにゃあとからあとから出てくるもんだ。あんさんたちの流通経路がどんなにすばらしくともな。潔癖性なのはわかるが、なにもオレたちを呼び出すことでもねえだろ。ネズミ退治くらいあんさんたちでどうにかしろや」
「もっともだ、キーン。でも今回のネズミは妙に悪知恵が働いてるんだ。ロシアからの運びの途中までは順調だったが、とある舟場で本来依頼していた運び屋が殺されていたんだよ。で、アルフォードの部下が運び屋になりすました。ブツもそこで中身がすり替えられていた。眞魔は必要最低限の情報しか漏らさない。今回のブツは我が主にとって大事なものだ。そのことを誰かがアルフォードにもらしたんだろう。……まあ、こちらにも落ち度があったことではあるがそれにしたってチーズを手に入れるのにやりすぎだ。ーーなあ、ズーシュァン? きみのところはそんなにお金に困ってたのか」
 コンラートの声音が低く響き、ズーシュァンは「なんのことだ?」とコンラートをにらみつけた。
「今回のブツを手に入れるために眞魔はきみに奮発して金を握らせたはずだろう。眞魔がいなくなれば、この街を好き勝手にできると思ったか? それにはアルフォードでは役不足だ。対等に戦えるとすればサラレギーぐらい。きみよりもよっぽど頭がいい。証拠は全部ここにそろっている」
 さきほど猊下に渡された書類をテーブルに投げた。そこにはアルフォードと密会をしているズーシュァン写っている写真もある。どこの文面に目を通しても、アルフォードとの繋がりがあったことを明瞭にかかれている。
 コンラートはスーツの内ポケットからベレッタを取り出した。
「最後になにか言い残すことはあるか? ああ、安心しろ。ズーシュァンだけをあの世には送らない。きみの組織全員と一緒に逝かせてやろう。さびしいのはかわいそうだからと猊下からのご慈悲だ。ありがたく思え」
 引き金を引いて、コンラートは口角に笑みを浮かべた。さすがに、ズーシュァンの表情が変わり目に見えて青ざめている。
「おいおい、冗談はよしてくれよ。私はあなたたちにいろんなものをプレゼントしただろう」
「貢ぎものなんて腹の足しにもならない。いままできみ――お前にモノを頼んでいたのは、ただ単に都合がよかっただけだ。調子に乗らないほうがいい。代わりはいくらでもいる。心残りはもうないか?」
 言うと、ズーシュァンが舌うちをして声を荒げた。
「……あんな年端もいかない子供のおもりの集団にはもううんざりなんですよ! なぜこの私が子供に頭を下げなければいけない!」
 ――ドンッ!
 室内に銃音が響き、室内の殺気が増す。壁に立つズーシュァンの部下が一斉にコンラートに銃を向けた。
 ズーシュァンの左頬に血が滲む。
「我が主の侮辱は赦さない。あのお方あってこそこの世界があることを忘れるなよ、ズーシュァン。――打ってみろ。お前たちの銃弾は俺には当たらない」
「貴様……っ!」
 ズーシュァンから怒号がとび、それを合図に珍妙な雰囲気が一転しどこからともなく銃弾が飛び交う。
「ッチ! コンラートの馬鹿野郎! これじゃあオレはとばっちりじゃねえか!」
 キーンが大声で悪態をつき、コンラートはそれを笑う。
「じゃあ、テーブルのしたにでも隠れてるといい。すぐに終わらせる」
 言ってコンラートは、銃弾をすり抜けて次々と仕留めていく。
「まさか昼間っからパーティできるとは思わなかったぜ。おれもズーシュァンにゃいろいろとちょろまかされてたからな。今回はパーティに参加しようかな。もし流れ弾がアンタに当たっても怒るなよ」
 ダドリーは軽快に笑ってショットガンを構え、コンラートは唱えた。まるで歌を歌うように。

「――この世は統べて我が主のものになる。この身のすべてはユーリに捧げ、我はユーリの願いを叶える者。善も悪も無にかえり、統べるは主のお言葉のみ。――世界平和のため、不浄なものを排除する」

 コンラートの瞳から光が消える。残るのは獰猛な獣の暗い色だけ。ニヤリと浮かべた笑みに見える鋭い犬歯はいまにも肉を引き裂かんばかりにギチギチと音をたてた。

* * *

「――おう、お邪魔するぜ。キーン。ダンスを踊るのにちょいとつかれた」
 部屋の奥にあるカウンターの裏にダドリーは身をかくし、先客のキーンの隣にしゃがみこんだ。キーンは参加する気はないようで、煙草をふかしている。
「……なあ、ダドリー。お前さんはどっちに掛けるよ?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、キーン。旦那の前じゃ、あいつらだたのネズミだ。トムとジェリーの追いかけっこじゃねえ。ネズミとライオンだ。旦那はオレたちが手ぇ出さなくてもひとりでぜんぶ喰らっちまうさ。こりゃ会議なく、オレたちへの警告ってこった。……調子にのってんじゃねえって言うな」
 カウンターテーブルのしたでダドリーとキーンは同時にため息をついた。
「……触らぬものにたたりなしだ、キーン」
「だな、ダドリー。ズーシュァンはちとオツムが足りなかった。書類をちらってみたけどアルフォードの部下はかなりアルフォードを敬愛してみたいだ。コンラートが運び屋が入れ替わったのを気がつくのが遅かったのも仕方ねえな。あいつらブツをすり替えたトランクに爆弾もって待ち合わせ場所についた瞬間に自爆したんだとよ。そりゃ、からだも顔もぶっ飛べば身元なんてわからねえからな」
「そらそうだ」
「ズーシュァンの部下にも、ズーシュァンにも願いのために死ねる覚悟がない。覚悟のない奴が眞魔に歯向かって勝てるわけねえ。それにユーリはアルフォードを好いていた。好感を持つ相手を手に掛けるにはユーリは闇に染まりきれていない。おそらく心を痛めるんだろうよ。じゃなきゃ、あいつがここまで怒ることはない。眞魔のやつらはユーリが傷つくのをなによりもいやがるからな……ああほら、そうこうしてるうちにチェックメイトだ」
 キーンの咥える煙草を、ダドリーが奪う。
「なに勝手に、ひとの吸ってんだよ」
「いいじゃねえか、煙草の一本や二本くらい……んで、残ったのはズーシュァンだけか」
 鼓膜を破るような銃音がぱったりと消え、部屋に響くのは恐怖にのまれたズーシュァンの荒い息だけだ。
「……さて、残るはズーシュァン。きみだけだ。祈りの時間は終わったか?」
「ふざけるな! なぜ、私がこんな目にあわなければならない!」
 ズーシュァン喚く。耳ざわりな声にコンラートはため息を吐いた。
 そんなこと、一番自分がわかっているくせに。ダドリーは、窮地に追い込まれた哀れなネズミを見ながら心のなかで呟いた。
「どうもこうも、きみの撒いたタネだ。今度きみが生まれ変わったらドブネズミになれるよう祈っているよ、ズーシュァン。たくさんチーズが喰えるといいな」
 一発の銃音がズーシュァンの頭を突きぬけ、一拍遅れて鈍い音が床を叩く。
「キーン、ダドリー。主は友好を大切にするとてもおやさしいかただ。一度警告しておこう。命は大切にするものだ。あまり馬鹿なことはするなよ。――頭と胴体をわけてやる」
 血肉に死体。そんなものは朝食のパンと同じくらい当たり前に毎日見てきている。が、振り向いたコンラートの表情にダドリーもキーンも息を飲んだ。身動きができない。
 もしここで、冗談のひとつでも吐けたならそいつにあたまをさげてもいい。
 もう、息すらままらない。おそらくキーンも同じだろう。視線がコンラートからそらせない。獣が嗤う。

「もう一度、言おう。この世の統べては我等の王。ユーリ陛下のものだ。勝手なことはなにひとつ赦さない」

* * *

「……もしもし、コンラートです。猊下。すべて順調に終わりました。ええ、キーンとダドリーも警告しましたので、ご安心ください。俺はユーリの元へと帰ります。そろそろ起きるころですので。それでは」
 任務完了の報告をコンラートは猊下にするとすぐに通話を切った。
 コンラートは血肉の充満した部屋、そして酒場から出ると、眩しい日差しに目を瞬かせた。暗がりになれたからだは、ひかりを嫌う。まるでドラキュラにでもなったような気分だ。
 ずぶずぶと足元から泥沼に落ちていく。
「はやく、帰らないと」
 コンラートは路地にはいる。暗闇を探すように。暗闇を好むようになったのはいつなのだろうと考えたがすぐに戯れ言だと考えるのをやめた。思い出したところで現状はなにもかわらないのだ。
 光は暗闇のなかでも輝く漆黒の髪を持つ少年の笑顔だけでいい。少年ーーユーリのことだけを考えて、生きることだけでいい。そのために、自分は喜んで泥沼に足をつけ狗になる。
「ああ、ユーリに会いたい」
 そのまえに、シャワーを浴びなければ。
 コンラートはシャツについた血痕とにおいに苦笑しながら路地においていた車に乗り込みキーを回す。
 主の待つ家へと帰るために。

わたしは馬鹿なこいぬだ
(主に歯向かう者を喰い殺すことしかできない。)




END

titlethank you:温かくしてね


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