■ ただ、恐れるとすれば目の前に立つあなた、或いはきみが消えてしまうことだけ

 深夜二時。静けさの漂う室内にコールが鳴り響く。それは、コンラートのとなりで眠る主の携帯電話だ。彼はやっと一時間前に眠りについたというのに。コンラートは顔を顰めた。心地良さそうに寝息を立てる彼を起こすのは気が引けたがしかたがない。コンラートは少年のからだを揺する。
「……ユーリ、ユーリ。起きてください。お電話です」
「ん、……」
 ぼんやりとした声でユーリがベットチェストで鳴り響く携帯電話を手にとった。
「……なに? え、ああ、そう……」
 上体を起こしユーリは、何度か相槌を打つと最後に寂しそうに「そうか……」と通話を切った。
「どうかしましたか?」
 まだ一時間ほどしか、休息をとってないというのに支度をはじめている。
「……合流先で運び屋が襲撃されたらしい。それと、受取り担当の幹部オットマーがやられたそうだ。彼はとてもいいひとで優秀だったのに」
「残念ですね」
 言うと、ユーリは長く息を吐く。
「この世界はいやだ。いいひとばかりが死んでいく。残るのはいつも最低なやつばっかりだ」
 アイロンがきっちりかかった白のワイシャツに袖を通しベストを羽織る。それからブラックロングコート。ユーリの正装だ。コンラートはクローゼットからネクタイを選び彼に結ぶ。ネクタイを結ぶのはコンラートにだけ許された仕事だ。以前どこかで聞いたことがある。ネクタイは首輪と同じようなものだと。ネクタイを結ぶと少年はボスへと顔を変え、それをみるたびに少年が闇の世界に繋がれているのだと感じてしまう。闇の世界に道はない。一歩踏み出すだけで命を落とすほどの暗闇と、飯に餓えた獣の荒い息しかない。ここには、チキンの焼けた美味しい匂いも、デザートの甘さもなにもない。腐った血の匂いだけがある。
 窓から差し込む月が、少年の喉を照らす。そこは肌の白さと相まって青くもみえる。
「オットマーがやられたのは想定外だったけど……ブツを盗まれるのは予想してた。村田に連絡をしてプランBで襲撃した奴らを仕留める。できるだけ、ひとを呼んでくれ。祭りをしよう。金がないからオットマーの好きな花火は打ち上げてあげられないけど、かわりにこれで盛大に見送ってやろうと思うんだ」
 これ、といって少年が手にしたのは二丁のトカレフ。それを撫でつけユーリはソファーに座りこみ、コンラートもようやく身支度をはじめた。つい数十分前にシャワーを浴び、袖を通した服は新品だというのに、鼻こうを血の匂いがかすめた。
「……もしもし、村田? 夜遅くにごめんな。もうそっちにもはなしは流れてると思うけど運び屋とオットマーがやられた。トランクのブツも持ってかれた。――泣いてないよ。本当だって。うん、そう。プランBでよろしく。……ああ、やっぱりあれか。アルフォードの組織が今回の件は噛んでたか。……うん、ヨザックにもよろしく。じゃあ、また」
「ユーリ、俺はアルフォードを追えばいいんですね」
「ばか、俺じゃないだろ。『おれたち』だ。……アルフォードもいいひとだけど、彼の下にいる奴らはだめだな。日本ではこう言う。部下の責任は上司の責任ってね。……この世界に正義なんてない。アルフォードはこっちの世界には向かなかった。正義でひとは救えないっていうことをしらないひとが多すぎる。村田とヨザックがブツは回収してくれるって。だからおれたちは、オットマーへの祈りを捧げに行こう」
「……あなたの仰せのままに」
 コンラートは少年の座るソファーのまで跪く。
 アルフォードは、政治世界にいた男だ。彼を勇者と称えている者も多い。政治世界にある不浄を制圧したともいわれこの世のすべての不浄を取り去るべく政治世界からこの闇の世界へと身を捧げたらしい。しかしどの世界にもルールがある。政治社会は政治社会の闇社会では闇社会の道理が。血を血で拭い、金を金で始末する世界で、綺麗事は通じない。自分の道理を突き進むためには、殺しあいでしか解決しないのだ。政治のルールなど通用しない。どんなにすばらしいことを唱えても通用などしない。アルフォードもなかなかできる男だが、正義を妥協できないところが難点でよくやっかいな問題を起こしていた。まさかこの国をおおよそ制圧しているユーリの組織まで手を出し、いままでどおりの作戦で制圧できるとでも思っていたとは……彼の愚かさにため息しか出ない。
「あんたって本当に冷静だよな。オットマーとの付き合いはヨザックと同じくらいだろう。よく夜遊びにでかけたって聞いたことあるぞ」
「たしかにオットマーは数少ない俺の友人でもありました。けれど、それとこれとは関係ありません。いつかひとは死ぬ。この世界であればとくに。それに、オットマーとはまたあの世で会うことになるでしょうから」
 コンラートは目の前にある少年の足――靴先にキスを落とす。
「ふうん。さっきさ、村田に泣いてないかって聞かれたんだ。涙なんてもうとっくのむかしに枯れちゃってるっていうのにさ」
 と、笑う少年。コンラートは心のなかで「嘘つき」と呟いた。ユーリはひとを愛している。ひとだけじゃない、この世界にあるものすべてを愛おしく思うひとなのだ。弔い合戦が終われば「シャワーを浴びる」と入って浴室で声を殺して泣く。啜り泣きが水音の隙間をぬって聴こえてるなんて彼はしらないのだろう。彼の小さな背中には押しつぶされそうなほどの期待と悪意、殺意がのっている。精神崩壊してもおかしくない世界で齢十六の少年が自我を保っていられるのが奇跡に近い。
「でも、俺が死んだらユーリは泣いてくれますか?」
「おれを残してあんたが死んだら、おれはあんたを赦さない。どんな手を使っても先になんて死なせない。あんたがおれを看取るんだよ」
「ひどいなあ」
 それがなにより恐いというのに。彼はさらっと言う。
「あなたが死んだら、俺はこの世界のすべて壊してユーリの元に向かいます」
 彼は自分の世界だ。彼のいなくなった世界が続くことなど赦せるはずがない。
「……こんな気持ちでいたらお互い死ねませんね。俺もあなたも、ずっと」
「そうだよ。死ねないんだ」
 ユーリの足がコンラートの手から降ろされ、今度は額にやわらかいものが触れた。ユーリの唇だ。
「……闇の世界で死ぬのはいつもいいひとばかりで悲しいよ、コンラッド。きっと生き残っているおれたちはわるいひとなんだ。だけどな、コンラッドおれはだれかが死ぬのも泣くのもみるのがいやでいやでたまらない。――だからおれは、この闇の世界の王様になろうと思う。いいひともわるいひともぜんぶ殺して、王様になるんだ。そしたら世界は平和になる」
 ユーリが本当に生きるべき世界は、日のあたるあたたかな世界であるはずなのに、宿命がそれを許さない。
 いつも泣いているのに、みな気がつかない。
 ――それが悲しくて、うれしいなんて言ったらユーリは怒るだろうか。
 自分だけのものにしたいだなんて言ったら、怒るのだろうか。
「いつか世界はあなたのものになります。世界のだれもが恐れあなたと視線も声も交わさなくなる。でも、ユーリがそんな代償を払ってもこの世界を平和にしたいと願うなら、俺はどこまでもついていく。俺だけがあなたと視線を合わせことばを交わしましょう」
「……くっさいセリフだなあ」
 ユーリはコンラートの髪をくしゃくしゃと掻きまわしたが、顔は笑っていなかった。
 と、部屋が揺れ、爆発音と発砲音が無数に聞こえる。
「どうやら、ハデに村田がはじめてくれたみたいだ。真夜中だってのにこんなにうるさいと本当にお祭りみたいだ」
「ですね。お祭りは外だけでやってほしいですが……そうも言ってられないですね」
 廊下から無数の足音が聴こえる。このビルはすべてユーリのもので許可されなければ足を運ぶことができない。
「だな……。ほんと、アルフォードの部下は直球勝負すきだよな――っと」
 バンバンバンッ! ドアに無数の穴が空く。まだ、ドアは破壊されていないが壊れるのも時間の問題だろう。ユーリの手くびを掴み壁に隠れる。銃弾が横をすり抜ける。それを横目にみながらユーリは「あーあ、これじゃまたグウェンに叱られる」とぼやいた。
「大丈夫ですよ。あのひと、かわいいものには弱いから」
「……かわいくはないと思うんだけどな。――ま、どうでもいか。それよりもここでパーティするよりもっと外で騒ごうぜ。おれがワルツを踊りたいのはこいつらじゃない」
「では、彼らのお相手は俺がいたしましょう。全員女役を演じてもらいます。……ああ、ベッドのなかで女をしてもらうのはユーリだけですので安心してくださいね」
「いってろ、ばか。ほらヨタ話してないでさっさと踊ってきて。間違ってもさきに根をあげんなよ」
 そんなことありえない。
 そうこうしているうちにドアを盛大な音をたてて倒れる。
「アルフォードの名の胸に正義の審判を貴様らに下す! さあ、ここで一生を終えろ! 双黒のガキ! それからルッテンベルクの糞狗!」
「糞狗とはひどいですね。できれば忠犬っていってほしかったな。我が主のものを盗むのもよくない。返してもらおうか。返すだけじゃだめだな、利子にアルフォードの首をもらうよ」
 コンラートは壁から背をはなすと扉に立ちはだかる男たちの頭をベレッタ(M76)で確実に仕留めていく。
「最後のラストダンスを我が主のまえで踊れたことを誇りに思えよ」
 もはや、銃弾や悲鳴がどこからあがっているのかわからない。ただわかるのは白い壁紙に赤い花が咲くことだけ。
 なかなか数が多い。あまり長引かせても、騒ぎに気がついたアルフォードが逃げてしまう可能性もある。小さく舌打ちすると、ユーリが声を立てて笑っている。
「しかたない、おれもダンスに参加してやるよ。あんたらおれを楽しませなかったら怒るからな」
「そしたら、俺がベッドで満足させてあげますよ」
 言うと、ユーリが笑って「期待してる」と掠めるようにキスを落とした。
「でも、まずはオットマーに盛大な花火を打ち上げてからな。おれは仲間を殺したやつを赦さないんだ。絶対に」
 二丁のトカレフから火花が飛び、窓ガラスが割れる。
 夜景に落ちていくガラスはまるで宝石のようだ、とコンラートは思った。

 ――さあ、パーティは始まったばかりだ。
 
 王様を愛する我々に怖いものがひとつあるとするならばそれは――ただ、恐れるとすれば目の前に立つあなた、或いはきみが消えてしまうことだけ。きっと、一足先に逝ったオットマーも喜んでいるに違いない。愛する王が、盛大なパーティーしてくれるのだから。
 我々の王様はとても愛されているのだ。
 
END


2013/1/23 dear MASAO HappyBirthday! thank you title:リリトちゃんとギヨくん

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