■ 05


 企画が終わってから数か月。
 おれの日常はちょっとだけ、かわった。いまもガヤで呼ばれることのほうが多いが以前よりもセリフ数の多い役をやらせてもらえるようになったりしている。
 あいかわらずウェラーさんは多忙な日々を送っていて、メル番を交換したもののどちらも連絡をとりあうようなことはあまりない。
 まあ、社交辞令なことだったのかもしれないけど、またいつかちゃんとお礼ができるまでに技術を磨いて自分から連絡してみようと思っている。
 まえよりもずっと軽くなった足取りでおれは事務所に出勤しドアを開けるとウェラーさんと村田がいた。
「まってたよ、渋谷! おはよう!」
「……おは、よう?」
 考えもしなかったふたりの出迎えにあたまがついていかない。
「おひさしぶりですね、ユーリくん。おはようございます」
「ウェラーさん、おはようございます。……ふたりしてどうかしたんですか?」
 尋ねると村田が深刻な顔を浮かべてゆっくりとくちを開いた。
「どうかしちゃったのは渋谷のほうだよ。……まさかこんなことをやらかすなんて……」
「え! おれなにかやらかしたの!?」
 スケジュールを勘違いして、仕事をすっぽかしたとか先方の怒りをなにか買ってしまったのか。やらかした記憶はないが村田がこんなにも深刻な顔をしているということは相当のことなのだろう。ウェラーさんに助けを求めようとそちらに顔を向けたがウェラーさんは困ったような笑顔を浮かべるだけでなにも言わない。
 その場にいる事務所のひとたちもおれと視線を合わせまいとしているようでみんな一様にしたをみている。
「……村田、おれはなにをしたの?」
 不安から若干村田に尋ねた声は上擦ってしまったがそんなことを気にしてなどいられない。沈黙が煮詰まる部屋のなかで、とつぜん高橋さんがデスクから立ち上りその机上に乗っていた大きな段ボールを持っておれの目の前にやってきた。
「……はい」
「なんですか? これ」
 手渡された段ボールはずっしり重くて、思わずよろけてしまった。
「開けてみればわかるわ」
 ……事務所にあるおれのロッカーに入っている荷物とかだったりしたらどうしよう。
 恐る恐る段ボールに貼られたガムテープを剥がして箱を開けてみれば大量のはがきと手紙。
「……?」
 一枚はがきを手にとり宛て名を見てみるとそこにはおれの名前があった。【ユーリくんへ】と。手紙の内容に目をとおして、この段ボールのなかに入っていたものが一体なにであるがやっとわかった。
「みんな、あなたのファンからの声よ」
「ま、まじですか!?」
「ほんとうですよ。あなたの声、演技がひとを惹きつけたんです」
 重い重い段ボール。そのなかにたくさんのひとたちからおれに向けられた想いが詰められてるとおもうだけで頬が緩んでしまう。
「む〜ら〜た〜! さては、わざと辛気臭い顔をみせておれを動揺させたな!」
 知的で趣味は読書と一見取っ付きにくいイメージのある村田だが、じつはかなりいたずら好きのサプライズ好きなのだ。今回もおれの慌てているかおをみたいがためにトラップを仕掛けたにちがいない。
 仕事場でこういうことをされると、心臓に悪いからやめてほしい。
 でもほんとうにやらかしてなくてよかった。ほっと胸を撫でおろすと、村田がにやりと笑顔を歪める。
「きみが勝手に不安になってただけでしょー。僕のせいにしないでほしいなあ。みんなもまだ朝だから眠くて下を向いてただけなのに渋谷ったらひどい!」
 友達だと思ってたのに心外だよ! と、村田は顔を覆って啜り泣く。(もちろんわっかりやすいうその泣き)
「ったく、ひどいのは村田のほうだっつーの。朝っぱらからおれの心臓がつぶれるかと思ったわ」
「そんなにびっくりした? ……じゃあ、これを聞いたら渋谷の心臓つぶれちゃうかな」
「え?」
 顔を手で覆ってる指のあいだから村田は目を覗かせてぽつり、と一言爆弾を投下した。
「ドラマCD制作が決定しましたよ、渋谷くん」
「……は?」
 いまなんて言った? ドラマCD?
「だからスパルタ企画でやった雑誌の付録『今日から王様!?〜護衛の愛の手ほどき〜』が大好評につきまるまる一本制作されることが決定しました! おめでとう、渋谷くん!」
 村田のことばと同時に部屋にいたみんなが一斉に立ちあがり拍手喝采が起きる。
「とくに視聴者からは、キスシーンがとても好評だったみたい。理想の『ベル』と『リヒャルト』だからぜひ一本のドラマCDで聴きたいという感想をいっぱいもらってね」
 高橋さんはこれでまたSINMA事務所の知名度もまたあがるわ! とうっとりした表情を浮かべておれの手をとりぶんぶんと振り回した。
「と、言うわけで今日はそのドラマCDの日程スケジュールなどをたてようと俺とムラケンくんが集まったわけです。また一緒に仕事ができてうれしいです。よろしくお願いしますね、ユーリくん」
「はいっ! こちらこそ!」
 今回は前回のよりも迷惑をかけずに、よりよい自分の演技ができるようにしたい!
 そう心に近い、前回のことを思い出して……おれは
一抹の不安を覚えた。
 ファンに絶賛されたキスシーン。あたまの悪いおれでもわかる。今回のBLドラマCDはまるまる一本収録されるということは、このドラマCDでメインになるのは濡れ場。
「……がんばろう」
 ひっそり呟いたことばはウェラーさんに聞こえていたらしい。
「できるかぎり俺やムラケンくんがフォローしますので一緒にがんばりましょうね」
 励ますようにぽんとウェラーさんがあたまをたたいてくれた。
プロの声優への道のりはまだまだほど遠い。

* * *

 無事、BLドラマCD収録のスケジュールも決まり、午後に入っていたガヤ撮りも無事終了しておれは村田からまえにBLドラマCDを借りていたが、ひとに借りるばかりも悪いし自分でもいくつか買ってみようと駅前にあるアニメショップへ来ていた。ガヤ撮りがメインで低収入。仕事のないときは、一日だけの臨時バイトをしているがお金はまったくないから使えるお金は一万。購入できるドラマCDは三枚。
 ここは慎重に選ばないと。
 いらないプライドは捨てたほうがいいとは思ってるけど、女の子が多いこのショップで男のおれが女子向けのBLドラマCDを買うのは気が引けて一応変装しているけどなかなか集中して選べない。
 とりあえず、大手やいま人気のある声優さんのドラマCDを選んだほうがいいのかもしれない。……いや、相手はウェラーさんだし、ウェラーさんが相手役やってるやつのほうがいいのか?
「うー……ん。とりあえず、ウェラーさんのを」
「俺がなんですか?」
「うわっ!」
 とつぜん、耳の近くでそっと囁かれてびっくりした。すぐにうしろを振り向くとそこにはウェラーさんがいた。
「うぇ、ウェラーさんっ」
「シー……静かに。ほかのお客さんの迷惑になってしまいますよ」
 ほら、とウェラーさんが視線をよこにずらす。おれもその視線のあとを追うとちらほらこっちを見ているお客さんたち。ぽちぽち、とこっちを見ては携帯電話をいじっているからもしかしたらSNSでなにかを呟いてるのかもしれない。しかし幸いにも、おれたちの素性はバレていないらしい。……まあ、おれのことを知ってるひとなんてそうそういないと思うけど。ウェラーさんは変装をしたところですぐにみつかってしまいそうだったからだ。
「ユーリくんは、なにを買いにきたんですか?」
「あっ、ええっと……こんど収録するドラマCDの参考になりそうなものないかと探してて」
「ああ、それでここのコーナーでそわそわしてたんですか」
 ウェラーさんは適当にドラマCDを手に取り「ほんとうにユーリくんはまじめだ」と笑う。
 まじめ、というかおれはただ筋肉脳なので単純なことしかできないだけだ。ウェラーさんになにかおすすめを聞こうとして――やめた。
 お客さんの囁きが聞こえたからだ。
『……もしかしたら、あそこにいるのウェラーさんじゃない?』
『声、かけてみようよ!』
 って。ここで正体がバレて大騒ぎになるのは非常によろしくない。
「……ユーリくん?」
 じわじわ焦りを感じているあいだにも、周囲のざわめきがだんだんと大きくなっている気がする。
 これは、ほんとうにやばい。
「あの〜」
 そう思ったのと女の子が声をかけたのは同時だった。
「すみません! ウェ、あ、えっとミツエモンさんちょっときてください!」
 シラなんてきれないと思ったおれはウェラーさんの手首を掴むと自動ドアへと走り出して人込みのなかへと身を隠すことに成功した。
「……はあ」
 あたりを見渡し、ほっと息をつくとウェラーさんが、困惑気味に声をかけてきた。
「あの……ユーリくん?」
「え、あ! すみません、いきなり……」
 ずっとウェラーさんの手くびを掴んでいたことに気がついて手をはなすとうっすらウェラーさんの手くびが赤くなっているような気がする。
「手、痛かったですよね」
「大丈夫ですよ。それより、いきなりお店から走り出したのは俺のせいですよね。帰宅途中にユーリくんの姿がみえたものでついムラケンくんみたいに驚かせたいなと出来心で……今日は平日なのでバレないかと思ったのですが。買う邪魔をして申し訳ありませんでした」
 言ってしゅんと眉をハの字したウェラーさんの顔は、大型犬がしょげるのを彷彿させてなんだかかわいらしい。
「いえ、気にしないでください。なにを買うか悩んでいろいろと調べてからもう一回出直してこようかと思ってたので」
「そう……ところでユーリくん、なにを笑っているんですか?」
 無意識に笑みを浮かべていたらしい。こんなこと言ったら失礼かもと思ったがまたここでおれのあの悪い癖が発動してしまった。
「だってウェラーさんなんか、かわいい」
 言うと、彼は照れたのか後頭部を掻いて「そんなことを言われるのははじめてだ」と肩をすくめる。
「格好いい、と言われるほうが男として……と、思いますがあなたからならかわいいといわれるのも悪くないかな」
 とりあえずウェラーさんの機嫌はそこねてないようでよかった。
「ほんとうはね、メル番も交換したしユーリくんを誘ってご飯を食べたり遊びにでかけたりしたかったんだけど、ここさいきんは忙しくて……もし、ユーリくんこのあと時間があれば、お茶でもしませんか?」
 とくにこれといって用事もないし、ウェラーさんならなにか参考になるドラマCDや、アドバイスを教えてくれるかもしれない。なにより、憧れのひとから誘われて断る理由なんてない。おれは、すぐに頷いた。
「よかった。それでは、前回と同じ場所でもいいかな? できればせっかくユーリくんとお茶できるからほかのお店のほうがいいんだけど、さっきのこともあったし今日は『Charlotte』で」
 駅前の路地を曲がった場所にひっそりとたたずんでいるオーガニックハーブティーの専門店『Charlotte』ウェラーさんのお兄さんが運営している。店構えや雰囲気、メニューどれをとってもすばらしいものばかりだが、路地奥にあるのでそうそうお客さんはこないらしい。
 まあ、ウェラーさんの兄……フォンヴォルテール・グウェンダルさんはわかっていてあえてあの場所に店を建てた(らしい)ので、とくにおれが口出すこともない。それにウェラーさんがまえに言っていたように
『Charlotte』は隠れ家ようでわくわくするからひっそりとしたままでもいいのかもしれない『Charlotte』の看板メニュー。ふわとろホットケーキを思い出したらなんだかお腹がすいてきた。
「やっぱり、あのお店じゃないほうがいい?」
 ホットケーキのことを考えていて無言になったおれをウェラーさんは不満と思ったらしい。
「おれ『Charlotte』好きなので、あのお店に行きたいです。すみません、グウェンダルさんが作ってくれるホットケーキを思い出してました」
 お腹をさすりながら言うとウェラーさんは「それじゃあ、はやくいかないいけませんね」と笑った。
「ユーリくんのかわいいおなかの虫が鳴くまえに」

* * *

 アニメショップは『Charlotte』の逆方向にあり、そのルートには書店がある。そういえば、今日は声優雑誌の販売日であることを思い出して書店に立ち寄らせてもらうことにした。
 アニメ、声優コーナーに行くとすぐに目的の声優雑誌がみつけた。
「今回の雑誌の表紙はウェラーさんなんですね」
 つい先日まで放送していた不思議の国のアリスの世界観を取り入れたラブコメディ『Alicedream?』では、ウェラーさんは帽子屋で主人公の少女をサポートする重要な役目を担っていてかなり人気があった。雑誌はその帽子屋の衣装に身を包んだウェラーさんが艶のある笑みを浮かべている。
「ええ。当初の予定では私服だったのですが、雑誌宛てにはがきが届きまして……」
「ああ、それで」
 そこまで聞けばおれも察しがつく。すでに第二期を期待するひとも多いアニメだし、熱が冷めやらないファンの声に答えるためにも急遽衣装を変更したのだろう。アニメキャラクターはとても格好よかったけど、衣装は着る者を選ぶようにみえたんだけど(すくなくとも自分には似合う気がしなかった)ウェラーさんはさすがというべきか着こなしていてすごい。
「あんまりまじまじと見られるとはずかしいのですが……」
「え? ああすみません。グラビアモデルみたいだなあって思っておもわず、」
「見ちゃったのよね〜」
 いきなりだれかの声が自分の声と重なってびっくりする。
「は?!」
 しかも手にとっていた雑誌を奪われた。
「おんやぁ、またおっとこまえに映してもらって。これツェリ様に見せたら喜ぶんじゃねえの? コンラート」
 オレンジ色の髪に空色の瞳。なにより、Uネックの白いTシャツから見える上腕二等筋が印象的な外人さん――が、おれのよこでニヤリと笑った。
「な、坊ちゃんもそう思うだろ?」
「えっと……どちらさまです、か?」
 とつぜんはなしかけられても、あたまのなかが混乱していて、どもってしまった。
「ヨザック!」
「ひさしぶりだな、コンラート」
 どうやらふたりは知り合いらしい。上腕二等筋さん……ではなくヨザック、と呼ばれた男性はウェラーさんの肩を小突く。
「日本にきたらお前に会いに行こうと思っていたんだが、まさかこんなところで会うとは思わなかったぜ。……で、となりのかわいい坊ちゃんは?」
 外国人からすれば日本男性は華奢にみえるのかな。これでも、毎日朝のロードワークや筋トレをかかしていないのに。ちょっとムっとしてしまうが、このひともウェラーさんも悪気はないんだろう。
「……渋谷有利です。ウェラーさんと同業声優をしています」
 お辞儀をするとあたまをくしゃくしゃと撫でられた。
「礼儀ただしい子は好きだぜ。オレの名はグリエ・ヨザックっていうんだ。グリ江ちゃんって呼んでくれ」
 人懐っこい笑顔でヨザックさんはまた「かわいいねえ」と言う。
 おれのどこがかわいいんだろう。まったく理解できない。
「で、自己紹介ついでにおふたりさんに連れてってほしいところあるんだけど。なあ『Charlotte』ってどこにあんの?」
 どうやら、ヨザックさんの行先は同じ『Charlotte』らしい。
「ああそれなら一緒に行きませんか? いまからウェラーさんと『Charlotte』に行くところだったので。ね、ウェラーさん」
 ウェラーさんのほうを向き、言うとなぜか微苦笑して頷く。
「そうですね。あなたがいいというのなら、そのように」
 なぜか彼のことばに妙な言い回しがあったように思えるけど気のせいだろう。おれはヨザックさんから雑誌を受け取ると、レジに向かうことにした。
「じゃあ、これを買ってきますのでふたりはさきに店のそとで待っていてください。すぐに行きますので」
「は〜い、了解しましたあ」
「では、書店のそとにある自動販売機で待っていますね」
「わかりました」とおれは頷くとレジへと向かったのだが、なにやらうしろでふたりは言いあっているようだ。
『アレがダンナが言ってたヤツねえ……どこにでもいそうにみえるんだけど』
『……グウェンダルがお前になにを言ったのか知らないが、ヘンなことしたら――わかってるだろうな?』
 なにをはなしているのかよくわからないが、それよりもこのふたり仲がいいのかわるいのか。
「――千六百八十円でーす」
 わかっていて買うけど、低収入のおれには痛いものは痛い。
 もうすこしバイト量も増そうか考えながらおれは、財布のくちを開けたのだった。


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