■ 31

スタジオを出て、おれとウェラーさんはグウェンダルさんが運営する『Charlotte』へと向かった。
「すみません、貸切りにしてもらって……」
 言うと、グウェンダルさんは「べつに構わん」と相変わらず眉間を寄せ、注文していたハーブティーをテーブルにのせる。
「あれ? おれ焼き菓子なんて頼んでないですよ?」
 お茶のほかにバスケットいっぱいの焼き菓子がのせられおれはすぐにグウェンダルさんに尋ねれば「気にするな」とぽんとあたまを撫でられた。
「でも……」
「たくさん食べろ」
「あ、ありがとうございます」
 でもなんで焼き菓子くれたんだろうと不思議に思いながらも菓子に手をのばせば店の手伝いをしているヨザックがひょっこりグウェンダルさんの背中からかおを出す。
「ダンナもユーリのこと心配してたんだよ。ダンナ、口数少ないけど、ユーリのこと気にいってるからさ」
 ヨザックが言うとグウェンダルさんの頬がわずかに赤く染まり、おれと目が合うとまたむっすりとした表情でカウンターの奥へと戻っていった。
「いいなーユーリは。ダンナも魅了しちまってさ。オレ、結構ダンナに尽くしてるのにうらやましいわあ。ま、でもダンナの気持ちもわからんでもないけど」
「?」
 ヨザックの言っている意味がよくわからなかった。というか後半はひとりごとのようにも思えた。ただ、おれがわかったのはグウェンダルさんがおれのことを心配していたっていうことと、ヨザックの笑顔がすごくやさしいということだ。
「……ヨザックもありがとう。いろいろ調べてくれてて。すごく助かった」
 そう。ヨザックは吉田さんのこと、それからウェラーさんに恋人にいることを調べていたのだ。いつの間にか村田と一緒に。
「おれ、ぜんぜん気がつかなかったから……」
 自分ひとりで抱え込んで。なにもしないで知ろうともしないで逃げることに専念したいたのがはずかしい。と言えば「気がつかねえようにやったんだよ」とヨザックが笑う。
「オレたちがやったのは、余計なお世話みてえなもんだ。オレはコンラートのことが。ケンちゃんはユーリのことが心配で勝手にやったことなんだよ。だからんな顔すんな。お前ら知ったらやめろって言うだろうし。こっちはやめる気なかったから。それに、今日はオレたちの頑張りを賞して労ってくれるんだろ?」
「……うん」
 おれはみんなに感謝の気持ちをことばにするだけでは足りなくて、なにかちゃんとしたカタチで返したかった。でも、できることなんて限られてる。だからいまの自分できることと言えば奢りで食事会を開くくらいのこと。月並みなことだとは思う。あんなにたくさんお世話になって、こんなことしかできないのも、情けないとも。
 けれど、なにもしないなんてことはどうしてもできなくて。食事会だって、ただの自己満足かもしれない。
 ――でも。
 また、おれは笑えるようになった。心から笑えるようになったそれが嬉しくて。
 好きなひとのとなりにいれることが嬉しくて。
 もっともっと、みんなに『ありがとう』と言いたかったのだ。
 コーディさんや宮本さん。それから増田と遠藤にも声をかけたのだが、都合が合わず集まれるメンバーは村田とヨザックのみになってしまったけど、コーディさんと宮本さんは「お礼なんてしてもらうほどのことはしていないし、これからもアルバイトがんばってくれればいいから」と言ってくれ、増田と遠藤は「次の舞台を観にきてくれたら
それでいい」と言ってくれた。
「かわいいなあ、ユーリは」
 あい向かいの席からヨザックがおれのあたまに手をのばして、くしゃくしゃとおれの髪を撫でる。そのくしゃくしゃとあたまを撫でる仕草はテストでいい点をとったときや野球をまだしていたころ試合に勝ったとき「よくやったな」と誉めてくれる実兄である勝利の仕草に似ていておれはなんだかうれしくなる。が、ふいにおれのあたまを撫でていたヨザックの手がびくり、と動きをとめ、
「――っわ!」
 一体どうしたんだと尋ねる間もなく、おれの肩をウェラーさんが抱き寄せた。
「え、えっ!」
「……気安くユーリの頭を撫でるな」
 ウェラーさんは言い、ヨザックを睨めつけたがヨザックはぽかんと唖然とした表情を見せたかと思えば心底おかしそうに笑いだし、おれは突然繰り広げられたふたりの言い争いについていけず、ヨザックとウェラーさんのかおを交互に見ることしかできない。
「あの……ウェラーさん?」
 戸惑いながらもどうしたのかと彼の名を呼べば、我にかえったのかこちらを向き、罰のわるそうな表情を浮かべ「すみません」と謝罪を述べる。
「え、なんで謝るんですか?」
「あーまさかこんなおもしろいコンラートのかおが見れる日がくるなんて思わなかったわ! やっぱりユーリはすげーな。コイツ焼いてんだよ。オレに」
「は?」
 ウェラーさんが焼きもち? 何にたいして?
「だから、おれがユーリの頭を撫でたのが気にくわないみたいよ。やだねー、器の小さい男は」
 おれの心のこえを読み取ったようにヨザックが言い、そんなまさかとまじまじとウェラーさんのかおを見つめれば珍妙な表情をみせたウェラーさんにおれはかおが熱くなってしまう。
 ……ウェラーさんが照れてる?
 どうやらヨザックが言っていることはほんとうらしい。
「いいのか、ユーリ。どんどんおまえの理想の男がこれから崩れていくことになるぞ? ――それでも、コンラートと付き合うのか?」
 ヨザックが問う。ヨザックは笑顔で尋ねたけど、曲がりなりにもおれは声を仕事にしているから、声音で相手の真意がわかる。冗談のひとつとして聞いたであろう『付き合うのか?』はきっとヨザックの本心だ。
「……はい」
 おれは一拍間おいて、頷く。
「たしかにおれが想い描いていた理想とは違う部分もあるけど、そんなウェラーさんもひっくるめておれは好きだから。……それにばかだけど、焼きもち焼いてくれるのはう、うれしかったりするし」
 最後のは言わなくてよかったかも、と思いのほかくちにしたセリフや声音が甘く響いて腹の奥のほうからじわじわと羞恥心がくすぶってきた。
 ヨザックのほうをみて言ったものの、肩を捕まれ抱き込まれている状態。ウェラーさんがおれのことを凝視しているのが見なくてもわかる。
 あつくなる頬を両手で覆えば「やっぱりユーリはかわいいわ」とケラケラ笑う。
「あー……いまさらだけど、おせっかい焼くんじゃなくて、ユーリにつけこんでオレが頂いちゃえばよかったなあ」
「これだから、へらへらしてる奴は信用できないよネー。だれかれ構わず手を出すひと、僕、大っきらーい」
 ほんとうに最低だよね。
 突然会話に割り込んできた声に赤らんでいた頬の熱がひっこむ。かわり、ヨザックの顔がさっと青くなっていく。
「おじゃましまーす」
 会話にはいってきたのは、村田だ。村田は青ざめたヨザックのとなりに腰かけた。
「け、けけケンちゃん!?」
「……気安くケンちゃん呼ばわりするな。筋肉オレンジ」
「ひっ……!」
 絶対零度の笑みで胸を抉るような悪態をつく村田に口端が引きつる。
「ドコカラ聞イテイタンデスカ?」
 カタカタとまるでロボットのようにカタコトで尋ねるヨザックに対し「おせっかいじゃなくてあばよくば頂こう、みたいなところからだよ」と冷やかな横目で答える村田にさらにヨザックの顔色が悪くなる。
「渋谷に手を出したら……わかってるよね?」
「……ハイ」
「は、はやかったな。村田」
 村田の登場とともに、はらはらと舞い散る粉雪のごとく心なしか冷えてきた室内の温度をあげようとこえをかければ冷笑を浮かべていた村田の表情が通常へと戻った。
「うん、今回は打ち合わせだけだったからさして時間はかからなかったんだ。僕もうお腹すいちゃったからパンケーキ頼んでもいい?」
 おれが頷くよりもはやく村田は机上に置いてあるベルを鳴らし、すぐにグウェンダルさんが再びこちらへと姿をあらわし村田はパンケーキを注文した。奢りだということで容赦なくたっぷりとトッピングも追加して。
「――……さて。僕、きみたちに聞きたかったことがあったんだよね」
「うん?」
 注文を終えると村田が言う。聞きたかったことってなんだろう。首をかしげれば村田が『にっこり』と擬音語が似合う笑顔全開を浮かべて瞬時に背筋がぞっと寒気が走る。
「む、村田サン……?」
「あのさ、あのはなしあいが終わったあとさ……したの?」
「……した?」
 したってなに?
 村田が「ごめん、ごめん。これじゃわからないよね」と笑みを深くする。
「はなしあいが終わったあと、セックスしたの? って意味」
「せ……せせ、セッ!?」
 こいつはなにを言いだすんだー?!
「だってお約束じゃない? すれ違いからようやく両想いになったら仲直りのエッチって。さぞ、燃え上がったんだろう? すこしは僕にご褒美ちょうだいよ」
「ご褒美って……」
「あ、オレも聞きたーい! コンラートがどんなねちっこいセックスしたのか」
 さっきまでかおを青くしてたのに、エッチなはなしになるとテンションがあがるところが男だなと思う。
「ううー……」
 あの日のことを思い出すと羞恥心が全身をかけめぐる。
「ねえ、聞かせて? だめ? ……いつかはウェラーさんと話し合ってほしいとおもってたけど、あんな急に渋谷がふたりっきりでウェラーさんと話し合ってたって聞いて僕は気が気じゃなかったんだよ……」
 だからその表情は、ずるいよ。村田が伏せ目にわざとこちらの同情を煽るようなものだとわかっているもののおれはおずおずとくちを開いた。
「え、エッチしてま、せん……」
「……は?」
「……え?」
 ありえないだろ。とヨザックと村田の声が揃った。

『恋人になってくれるなら、また俺の名を呼んで』
 ――そう甘く言われ、しゃっくりをしながらもおれは『コンラッド』とウェラーさんの名を呼び……キスをした。
 触れあうだけのキス。
 一度互いの口唇を離してもう一回、また一回と啄ばむキスをした。ただそれだけのキスなのにおれのからだはされるたびにどんどんとちからが抜けていって、気がつけばウェラーさんに寄りかかっていた。
「ユーリ……」
 やさしく名前を呼ばれ、髪をすかれて。
 いままでずっとこうしてほしかったと心の奥底で願っていた夢のような光景が目の前で繰り広げられている。
 でもウェラーさんのかおがまた近づいておれの首筋に口唇をあてた瞬間、気がつけばおれはウェラーさんの胸を手で押していたのだ。
「……やっ!」
 と、拒否することばもくちにして。考えるさきにくちに出たそれに自分が驚いた。雰囲気をぶち壊してしまった。
「ご、ごめんなさい……! あのっ」
 ウェラーさんが嫌いなわけじゃない。その続きだってしてほしいと思ったのは事実だ。また彼を傷つけたかもしれないとかおをあげたウェラーさんにすぐに代弁しようとしたもののぎゅっと、抱きしめられ言い訳をするよりもさきに「謝らなくていい」とウェラーさんが言う。
「ずっと、ユーリは怖い思いをさせてきたから。……これからはあなたを大切にしたい。ユーリの心とからだが追いついてから、このさきはしよう」
 おれの気持ちを理解してくれたこと。
 これからは大切にしていきたいから。
 そのことばがおれの心までもウェラーさんに抱きしめられたような気持ちになる。
「あ……ありがとう、コンラッド」
 また泣きそうになってしまった熱い目をおれはぐりぐりとウェラーさんの胸に押しつける。
「……でも、もし、のはなしなんですが……」
「?」
 言い悩む彼に返事を返すとまたウェラーさんはおれを抱きしめるちからをすこし強くした。
「嫌でなければ……キスは、してもいいですか?」
 おれはかおをあげてちいさく「うん」と頷いた。
 何度だって、キスしてほしかった。
 それから、もう数えきれないくらいキスして。時間なんて忘れてたものだから終電を逃して。ウェラーさんと一緒にベッドにはいって俗に言う『おやすみのキス』を交わしておれたちは眠ったのだ。

「――……っていう感じ、でした。ハイ」
 あの日のことをしどろもどろになりながらも説明をして、ヨザックと村田のかおをみれば半目がちにおれとウェラーさんのかおを見たかと思えば彼らは盛大にため息をついた。
「な、なんだよっその態度は……っ!」
 せっかく恥を忍んで言ったっていうのに!
「いや、あのね? こんなはなし聞くならセックスしましたって聞いたほうが全然マシだったなって思って」
「はあ?」
「デスヨネー。甘ったるいっていうか甘すぎて胸やけ起こしますよね。予想斜めすぎ」
「胸やけ……ヨザックなにか食べてきたの? 甘いのがダメだったらほかの料理を注文してもいいよ?」
 無理して食べるのはよくないと思うし。といえば、ふたりはかおを見合わせてがっくりと肩を落とした。
「渋谷ってほんとうに鈍いよね。弄りがいがあってほんとうにおもしろいけど、仮にもBLドラマCDもやったんだからさ……すこしは厭味に気づこうよ」
 ……厭味を言われてたのか、おれ。なににたいして厭味を言われたのかぜんぜんわからないんだけど。でも、ばかにされたことは明らかでむっとして睨むが「ユーリにはわからなくてもいいことですよ」とウェラーさんがおれの肩をぽんと叩いた。
「それよりもまずさきにさきほどから俺のことを『ウェラーさん』って呼んでることに気づいてほしいな」
 突然、ウェラーさんの声がおれの耳元で囁かれてからだがびくんとはねた。もう何十回とウェラーさんの声は仕事柄聞いているのに、耳元で囁かれる声は比べものにならないくらい低く、甘くて。おれはこくこくと何度も頷くことしかできない。
「……まったく、こんなにかわいくなっちゃって。ウェラーさん。渋谷のことちゃんと大切にしてくださいよ。二度目なんてないんですからね」
「はい。大切にします」
 いきなり至極真面目なやりとりをする村田とウェラーさんにおれはなんにも言えなかった。
 ウェラーさんはほんとうにおれのこと好きなんだ。
 村田はおれのことをほんとうに心配してくれたんだと、胸がいっぱいになってしまって。
「まるで、ユーリが嫁ぐみたいな雰囲気だな」
「嫁って……おれ男だから」
 ふたりのやりとりに感想を述べたヨザックにおれがあきれ声を漏らすと、ウェラーさんがじっとこちらをみていることに気がついた。
「……コンラッド、どうかした?」
「いえ、ちかいうちにユーリのご家族にもご挨拶に向かわなければいけないなと思いまして」
「あー……そうだね……」
 家族のだれより烈火のごとく怒り狂う兄、勝利の姿が容易に想像できて、口角がひきつる。
「いや、でもちかいうちっていうか、いろいろと落ち着いてからでいいから……って、あ」
 言ってからおれは、はたと気がついた。
「どうしたの、渋谷」
「い、いや……?」
 どうしよう重大な事実に気がついてしまった。
「……できたぞ」
 しかもこのタイミングでグウェンダルさんがくるなんて。おれは慌てて席を立つ。緊張のしすぎでガタン、イスが鳴る。おれの突然の行動にみんなの目を浴びることに。けれど、いまのおれにはそれを気にする余裕などない。
「ぐ、ぐぐグウェンダルさん!」
「なんだ? 突然大きなこえを出して」
「お、おれっあの、その……っ! コンラッドとお、お付き合いさせてもらってます!」
 そう。重大な事実というのは、ウェラーさんと交際していることをグウェンダルさんに報告していなかったということだ。
 このお店にはまだ数回しかきていないけど、すごく良くしてもらったし、なにより彼はウェラーさんのお兄さん。
 黙っているわけにはいかない。報告した結果がどうあれ。
「おれは平凡だし、男だし、気に入らないかもしれないけど……」
「――知ってるが?」
 どうか交際を認めてください。と続くことばは、不思議そうに首かしげたグウェンダルさんのセリフによって言うタイミングを失ってしまった。
「え……いま、なんて」
「だから、知っていると言ったんだ。……いや、ちゃんと交際しているとわかったのはいまだが。コンラートが、お前に恋愛感情があるのは知っていたからな。……いろいろとコンラートが迷惑かけたな」
 ことばは少ないが、グウェンダルさんはもしかしたら、ぜんぶ知っているのかもしれない。――雨の日の夜のことも。
「で、言いたいことはそれだけか?」
「あ、はい」
「なら座れ。ホットケーキが冷める。紅茶もまずくなる」
 交際よりも、グウェンダルさんにとっては料理のほうが大事らしい。まあ、料理は出来たてがいちばん美味しいのだから作る側からすれば、あたり前のことなのかもしれない。
 そうして言われるがままに座りなおす。
「ほんと渋谷って目の前のことしかみえないんだね。おもしろかったけどさ」
「でもまあダンナにあたま下げる姿はちょっと男らしかったな。『息子さんをボクにください』みたいで」
「……」
 ふたりに返すことばもない。グウェンダルさんに報告するのはべつにいまじゃなくたってよかった気がする。まさか『知ってる』なんて言われるなんて思いもしなかったし。
 なにもなかったように、グウェンダルさんがワゴンに乗せていたパンケーキをテーブルに並べる。
 湯気の立つできたてのホットケーキにおれは目をむいた。だって、ホットケーキはハート型をしていたんだ。イチゴとバニラのアイスにイチゴのソースがかかっている。しかもひとりで食べきれる量ではない。
「……これは試作ホットケーキなんだ。ユーリとコンラートで食べろ。感想を聞かせてくれ。……私は同性愛に偏見はない。母が恋愛自由主義だしな。私もその主義に賛成している。本人たちがしあわせならそれでいい。だから、おまえらが互いをしあわせにできて、自分自身がしあわせならいいと、私は思う」
「オニイサン、良いこと言うねえ。僕もそう思う。――……で、そこのところちゃんと僕たちも聞きたいな。ご両人どうなんです?」
 わかってるのに尋ねるそれは意地がわるいとしか言いようがない。
「――とてもしあわせですよ」
「っ!」
 きゅっと、手のひらを握られる。
 テーブルのしたで。そっと、きゅっとやわらかく。ウェラーさんがおれの手を握ったのだ。
 自分よりもすこし低い体温。大きな手。
 二度と触れることなんてないと思ったもの。
「ほんと、渋谷ってわかりやすい」
 なにがなんて聞かなくてもわかる。
 だって、しかたないじゃん。おれってうそつくのも、かおにぜんぶ出ちゃうんだから。
「いいじゃん、べつに」
「まあ、べつにいいけどね。さ、ホットケーキ食べようよ」
 言ってテーブルに並べられたパンケーキの目の前にフォークとナイフをそれぞれが握る。
「いただきます」
 目の前にはバニラとイチゴのアイスがパンケーキの熱さで溶けている。ハート型のホットケーキをナイフで割れば切れ目に沿うように果肉たっぷりのイチゴのソースが滴り落ちていく。フォークで刺し口に運び入れればふわりと口当たりがよくとろりとしているそれはまるでいまの自分の気持ちに似ている。
「美味しいですね」
 と、ウェラーさん、いや……コンラッドが言いおれはこくりと頷いた。
「うん!」
 すれ違って、傷つけて、遠回りして。何度も諦めようとした恋は差し出されたホットケーキのようにやさしくも甘酸っぱくもないものだったし、これからさきのことだってわからない。泣くこともあるかもしれない。だけど、同じ過ちはもう二度と繰り返したりするもんか。
 もしそうなりそうなときは、このホットケーキのことを思い出そう。
 もしまた仕事で壁にぶつかったときは、はじめて主役をつとめた喜び、クランクアップしたときの達成感を思い出そう。
 おれのとなりで笑ってくれて、低くて甘いコンラッドの声を思い出そう。
 外は晴天。路地裏にある小さな喫茶店。外からはわずかに鳥のさえずりが聞こえる、この日々を思い出す。
「――……しあわせだな」
 おれは、ちいさくちいさく呟いて、幸福をふわとろホットケーキとともに噛みしめた。
「あ、そういえばさっきスタジオで村田となに話してたの? なんか誓いますとか言ってたじゃん」
 ふと思いだして尋ねればコンラッドは「ああ、あれですか」と相槌をうち、答えた。
「一生あなたを大切にすることを誓いますって言ったんですよ」
「!」
 さらりと答えるコンラッドに、思わずごくんとホットケーキを飲み込んだ。
「ユーリ、ほっぺにクリームついてます」
 言うとコンラッドはおれのクリームがついているであろう片頬に指をのばしてそれを拭い舐めた。
「あ、ありがと……っ」
 こういうとき、どんな対応するのがいいのかわからない。
 恋愛も声優業もまだまだ新人なおれは今日また一歩、まえを向いて再び歩き出す。
 大好きなひとのとなりで。

END

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