■ 29

「ったく、冷や冷やさせんなよ。ユーリ」
「ごめんなさい……」
 部屋から出た途端、ヨザックがため息まじりに呟いた。
 さきほどは慌ただしくて聞くことができなかったが、ほんとうになぜヨザックとウェラーさんがこの店にいるのか。
 おれは尋ねようとヨザックにこえをかけようとしたものの防音が整った部屋だとはいえ扉を開け放した瞬間怒声をあげたのは店内には響いていたのだろう。数人の店員が集まっていた。
 しかしどうやらヨザックの怒声で集まったわけではなく待機していたらしい。ヨザックは店長と記載されたプレートを胸元につけている男性に近付いて何度かはなしを交わしたあとヨザックがこちらを向く。
「吉田さんを警察には連行しないが、一通りのはなしはここで聞くことにする。この店の店主にも事情を説明しなきゃいけねえからな。ちょっと長くなるかもしれないから、さきに外出てろ」
「いや、それならおれが残ります。ヨザックもウェラーさんこそ帰ってください。あとは自分でやりますから」
 言って、おれの肩を抱くウェラーさんの手を払おうとしたが反対に強く肩を抱かれてしまう。
「あ、あの」
「もうちょっとしたら吉田さんも出て素直に執務応答すんだろ。それにユーリがはなす相手は吉田さんじゃねえの。コンラートとはなすことがあるだろ」
 ――は? 
「え?」
 なにをはなせっていうわけ?
 きゅっと心臓が痛む。
「は……なすことなん、て」
「おまえにはなくてもコンラートにはあるんだってよ。っていうかユーリも聞きたいことあるだろ。どうしてオレらがここにいるのとか」
「……」
 ウェラーさんたちがどうしてここにいるのかは、知りたい。しかし、助けてもらった手前こんなことをいうのは失礼なのかもしれないが、無理やり抱かれたあとに彼とふたりきりというのは避けたい。
 くちを噤むと、またヨザックが困ったように笑い「だいじょうぶ」とおれをあたまをぽんぽんと叩く。
「コイツから大体はなしは聞いたぜ。……ま、聞いたというか聞きだしたんだけどよ」
「……ッ」
 どこまで聞いたのか、ヨザックの浮かべる表情でおおよそ察しがついた。たぶん、グウェンダルの店の出来事も知っているのだろう。
「ユーリがこいつのはなしを聞きたくないのはわかる。でも、どうしてもこいつはユーリとはなしがしたいらしい。ま、ぜったいにいやだってんなら、オレとこの店に残ってろ。……おまえが後悔しない選択を選べ」
 おれはチラリ、と横目にウェラーさんの様子を伺う。ウェラーさんはおれのことをずっとみていたのかすぐに目があった。合うと同時にウェラーさんはわずかに表情をかなしそうに歪める。
 ……後悔しない選択。
 後悔しない選択というのはなんだろう。
 ヨザックと一緒に店に残っていても、おれはウェラーさんと話し合わなかったことを後悔するだろうし、ウェラーさんと話し合ったとしてまた自分が傷つくことになる。
 どちらを選んだところでおれは後悔するんだ。
 だからヨザックの尋ねかたは正しくない。
 正しくは『後悔するならどちらがいいか』だ。
 考える時間はすくない。おれは、ウェラーさんと絡む視線を外し、くちを開けた。


* * *

 ……まさかここに来るなんて思いもしなかった。必要最低限の家具の並ぶ、まるでデザインルームのような白く広い部屋。数回しか訪れたことはなかったが、憧れのひとの家ということと、ここで告白されたことがおれのなかで強く印象に残っていたようで、懐かしさのようなものを感じる。
 あのときは純粋にウェラーさんのことを憧れていて、構ってもらえることがうれしかった。
 どこをどう間違えて、こうなってしまったんだろう。
『……ウェラーさんと話し合ってきます』
 おれは、ウェラーさんと話し合うことを選択した。
 また傷つくんだろうとわかっているものの、ウェラーさんがおれになにを聞きたいのか、気になってしまったのだ。
とはいえ、これでは吉田さんとの居酒屋と同じような状況はいかがなものだろう。ヨザックは「大丈夫」と言っていたし、ウェラーさんは「話すだけ、触らない」と言ってくれた。
『信用できないなら、ファミレスとか人目のある場所で話し合いでもいい。それか、だれか信用のおけるひとを同席させようか?』
 言われて、脳裏に村田のかおがよぎった。村田はここら辺に住んでいるし、連絡を入れれば来てくれるかもしれない。
 ……だけど、夜も遅い。最近は深夜にラジオをはじめたといって気がするし、それ以前に関係のない村田に同席させることが気が引ける。
 なので、おれはふたりではなすことにした。
 正直、以前無理矢理抱かれたし吉田さんとのこともあって、ウェラーさんとふたりきりになるのは怖い。けれどもおれの目をみる彼の目にはおれと同じくらいなにかに怯えているような色を映して、ウェラーさんもまたほんとうはおれと話し合うのが苦痛なんだろう。
 おかしなはなしだけど、おれだけが話し合うことが怖いと思っていないということにわずかに安堵した。
 おれとウェラーさんとのつながりなんて、声優であるということと、同じ事務所だという点くらいだ。おれのような新人に手を無理矢理抱いてもしおれが公言したとしても無名であるおれが彼の名誉を傷をつけるなんてことはないだろう。
 まあ、でも事務所やウェラーさん本人に迷惑をかけることにはかわりないから――自分に非があったからおれはこうして黙っていたんだけど。
 ウェラーさんもわかっていたはずだと思う。
 それでも彼は真剣な表情でおれを見つめて、彼はおれを助けてくれた。軽蔑してくれたおれの肩を抱いて、守ろうとしてくれた。おれと同じくらい、苦痛に感じているのに話し合うことを望んでいる。
「……すみません。はなしたい、なんて言ってしまって。ほんとうは、疲れているでしょう」
「いえ……」
「俺とはなしたくなかったでしょう?」
「……」
 おれは続けられたセリフになにも言えなかった。ただ、言えずにテーブルに差し出された紅茶をみつめる。三日前、抱かれたあとと同じようにじっと、恐怖で早鐘を打つ心音を押し殺して。
「自分というのもなんですが、よかったんですか。ここで。ファミレスなどのほうが……」
「いえ。大丈夫です。こっちのほうが落ち着いてはなしがしやすいだろうし」
 ここ、というのはウェラーさんの住むマンションだ。
 緊張のせいか、水のなかにいるみたいに息苦しい。言いにくいことなのかウェラーさんは何度かくちを開閉して、ちいさく息を吸い込むと「申し訳ありませんでした」と深く頭をさげた。
「……ユーリくんのはなしも聞かず、憶測しひどいことをしてしまった。ほんとうにごめ」
「あやまらないでください」
 おれはウェラーさんの謝罪を遮り、かおを横に降る。
「謝ってほしいわけじゃない」
 すると「そうですね。謝ってすむことじゃない」とウェラーさんは泣きそうにかおを歪め「許される……ことじゃないですからね」と続けて。
「……許すとか許さないとかそういうんじゃない。そもそもおれに選ぶ権利なんてないんです」
 吉田さんのさっきの件でおれはわかった。おれは自分のことをいつも直球でなんでも考えなしに喋っていると思ってた。だけど、ほんとうはそうじゃない。
 ウェラーさんに『何か』を言われるのが怖いと思っていたけど、ほんとうはその『何か』の正体をおれはわかっていた。
 わかっていたからこれが『恋』だと自覚してからずっと自分の本音を押し殺してきたんだ。
 一生、片思いのままでいいといいながら『ごめんなさい』が聞きたくのないのは罪悪感でもなんでも彼のなかに自分の存在が残ってくれたと思っていたから。おれはだから、吉田さんを強く拒絶することができなかったんだろう。
 吉田さんがおれにしたことと、おれがウェラーさんにしていたことはおなじことだ。
 どんな形でもいいから、色褪せることなく覚えてほしかった。『ごめんなさい』を言われてしまえば、おれはきっと頷いてしまう。ウェラーさんは安心して、おれのことを忘れてしまう。おれにたいして『無関心』になることがひどく、怖かったんだ。
 でも……もう、終わりにしよう。
 自分の思いに蓋をしたところでなにも解決しない。
「たしかにウェラーさんはあのときおれのはなしを聞いてくれなかった。……だけど、おれも『いやだ』といいながらもあなたを最後のほうには受け入れていた。そんなおれに許す、許さないという選択はないと、思う。まあ、それ以外の選択があるかって言われたら困るんですけど……」
 迷惑をかけないようにと、ずっと隠してきた。大切なひとたちに。けれど、隠して、ばれておれはもっと迷惑をかけてきた。
「ウェラーさんのはなしたいことが謝りたいことだったのなら、おれのはなしも聞いていただけませんか?」
 紅茶のティーカップに映るおれの情けないかお。おれはそこからようやくかおをあげた。
 かおをあげて――決意する。
「おれ……告白されたときは、自分がウェラーさんのことを好きかどうかわからなかった。だけどあれから、ずっと気がつけばあんたのことばっかり考えて……ウェラーさんに新しい恋人ができたとき、すごく胸が痛くて苦しくて、ようやく自分がウェラーさんに『恋』をしてるってわかったんです。……だから、おれはウェラーさんに無理やり抱かれたとき、最後は受け入れたんです」
 彼の背中に爪跡をつけて、新しい彼女を抱くとき思い出してくれればいいと思っていた。それがウェラーさんにとって後悔を生むようなものであってもおれの存在が『無』でなければなんでもよかった。
「おれは、ウェラーさんに謝罪をされる価値なんてないんです」
 いつのまにか胸にあった黒く鉛が入っているような箱の蓋を開け放つ。
 ほんとうは、気づいていないだけでずっとまえからおれは彼が好きだったのだ。
 ウェラーさんの演技が、声が、好きで。気がつけばぜんぶが好きになっていた。
 憧れで、尊敬するひとで、同性だから、こんな気持ちはもってはいけない。これはウェラーさんを冒涜する行為だと、おれは無意識に言い聞かせていたのだと思う。
「……迷惑かけたくないから、とか、そういうのは全部ほんとうは言い訳で、」
 怖くて喉が震え、何度もことばが詰まる。いますぐに逃げ出したい。そんな気持ちをおれはズボンの生地を掴んで必死にこらえる。
 ここ数か月いろんなことがあった。予想もしなかったほどのたくさんのことが。いかに自分はたくさんのひとに支えられているのか、自分がちっぽけで汚い人間だとか。それから『恋』というものはなんなのかを。どんなに逃げ出して、かおを逸らしたところで事実は変わらないことを。
 迷惑をかけたくないというそれが、これがおれの本心だというのなら……いや、強がりなのかもしれないけど。
 ――いつかは、立ち向かわなきゃいけない。
 じゃなきゃ、前には進めないんだ。
 おれだけじゃなく、ウェラーさんだって前に進めないから。
「……おれ、ウェラーさんのことが好きです」
 ウェラーさんの双眸が見開かれる。まさか『好き』だなんて言われるとは思いもしなかったのだろう。しかも告白をしたときはあんなに拒絶したのだから。
 でも、これがほんとうのおれの気持ち。
 ずっと、ずっと言いたかった。
 もう『恋』をしなかったあの頃には戻らないけど、なにもかもがもと通りにはならない。
 それでもきっとこうして逃げているよりはずっといい。 
 おれはウェラーさんのぜんぶが好き。
 この恋が叶わぬもので、またおれは泣くだろうけど、いいんだ。
 おれは彼に恋するまえ、ずっと夢があった。
 ――ウェラーさんと演技を、仕事を、したいっていう夢。
 恋は叶わなくても、この夢は必ず叶えたい。
「あなたが……好きでした」


[ prev / next ]
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -