■ 28

突然のことにおれと吉田さんはドアへとかおを向ける。が、そのつぎの瞬間にはおれのうえに乗っていた吉田さんが視界から消え、かわりに鮮やかなオレンジ色が視界中央に映る。
 どうやら吉田さんはヨザックに殴られ、部屋の隅へと吹っ飛んだらしい。
「くそっ! アンタ、ユーリになにしてやがる!」
 あらわれたのは血相を変えたヨザック。そして、
「大丈夫ですか……っ!」
「な、んで……?」
 どうして、ここに。
「――ウェラーさんが、いるの?」
 あらわれたのは、ウェラーさんだった。
 呆然と目を見開いたままのおれをよそに手首を固定しているネクタイをウェラーさんがすばやくはずし、抱きしめた。
「説明はあとでします。……まずはここから出ましょう」
 彼は言い、吉田さんに乱されたシャツの乱れをなおしていく。
 ……おれのこと、軽蔑してるんでしょう?
 なのになんで助けたりするんですか。どうしてボタンをかける手が震えてるんですか?
 ねえ、なんで?
 言いたいことは次々と浮かんでくるが、どれもこれもことばにならない。言おうとくちを開くたびに口唇が震えてしまうのだ。
 そうしてこえにならない思いが胸にうずまいているかふとウェラーさんの視線のさきが気になった。シャツの乱れをなおしている彼の目がシャツでもなく自分からもはずれていることを。
 ああ、そういえばおれ、吉田さんにキスマークをたくさんつけられていたんだっけ。
 もしかしたら、いまになって助けにきたことを後悔しているのかもしれない。ウェラーさんはおれを『淫乱』だと言っていたし、からだにつけられたキスマークをみて『痴情の縺れ』とでも思っているのかもしれない。
 心にかげりが落ちていくその絶妙なタイミングで吉田さんが唸るようにこえを荒げた。「ぼくの有利くんに触るな!」と。殴られたことで彼の右頬はうっすら赤く染まっている。
「なーにがぼくのユーリくんだよ! 強姦しといて勝手なこと言ってるんじゃねえ!」
 ヨザックは吉田さんを羽交い締めした状態で一括するも吉田さんは臆することなく悠然と笑む。
「強姦? なにを言っているんだ? 有利くんはぼくの恋人なんだよ。そうだろう、有利くん。きみはぼくのものだよね?」
 おれのくちから述べろと言うらしい。
 さんにんの視線がおれに向けられる。上着はおおざっぱであるが整っているけど、下半身は丸出しという情けないおれに。
「勘違いしているこのふたりに教えてあげてよ」
 くちを噤んでいるおれに再度吉田さんが返答するよう促す。
「ユーリ……?」
 となりにいるウェラーさんが戸惑うようなこえでおれの名を呟く。おれはそんなウェラーさんを見、一瞥すると吉田さん同様精一杯の笑顔を浮かべた。
「――そうなんです。おれ、吉田さんと付き合ってるんですよ。だから、彼を離してあげてください」
「おい、ユーリ? お前なにを言ってるんだ!」
 理解できないとでも言いたげにヨザックがかおを顰めたがおれはもう一度上着のボタンを胸元まで外し、キスマークをあらわにして見せた。
「これが証拠だよ。なんでここに来たのかわからないけど、バッドタイミングだ。強姦に見えたかもしれないけどね、あれも一種のプレイだし」
 もう『KATHAEN』へも戻らない。いままでの恩を仇で返すことになってしまったが、それでもヨザックにもウェラーさんにも今後迷惑を二度とかけないなら軽蔑されてしまったほうがいい。
「おれ、吉田さんが好きなんです」
 言うと、吉田さんはうれしそうにこちらに微笑んでみせた。
「ほらね! きみ、グリ江ちゃんだろう? さっさと手を離してくれないかな」
「ふざけんなよ。だれが、離すもんか」
「そう? このことを『KATHAEN』の店長にバラしてもいいのかい?」
「っは! 言いたきゃ言えよ。コーディは『お客様は神様』精神を持ちあわせてねえんだ。アンタが告げ口したところで、どうにもなんねえ。オレにはユーリがあんたの恋人とは思えない。だから話は警察でしてみようや。なあ、吉田さんよ」
 そんな脅しには乗らないとヨザックは反論するが、吉田さんは「やっぱりな」とぼやいて笑みを浮かべたままだ。
「じゃあ、告発の相手を変えよう。店長ではなく『KATHAEN』に通いつめる常連客はどうだろう? それでもこの手は離さないでいられるかな?」
「……てめえ」
「店員に暴力を振るわれたと聞けば多かれ少なかれ影響が出るだろうね。ああ『KATHAEN』は雑誌にも掲載されたんだっけ。雑誌に売り込むのもいいかな。この顔で行けば信憑性も高くなるだろうし。……有利くんが言ってるんだ。さっさと離してくれよ」
「……吉田さんを離してあげてください」
 脅しをかけられてもなお、拘束を緩めようとしないヨザックにおれは言う。
 被害者だと思っていたおれが加害者を庇うような発言をするなど考えもしなかったのだろう。ヨザックはおれを睨みつける。
 その目は以前ウェラーさんのことで問い詰められたときに似ていてすごくこわい。わざわざ助けにきてやったのに、と思っているのかもしれない。けれど、吉田さんは脅しだけじゃなく実行するひとだ。こんなことでヨザックや『KATHAEN』のみんな。警察や雑誌に知られてはなしが広がればおれのことやSINMA事務所にも迷惑がかかる。それだけは避けたい。
 ぜったいに避けなくちゃいけない。
「お願いだから、ほっといてください。吉田さんを……離してくれ」ともう一度言うとようやくヨザックの手が緩む。
「……ヨザック。そいつから手を離すな」
 が、ウェラーさんがそれを制止し、おれの肩を引き寄せた。
「有利くんに気安く触るなと言っただろ!」
 途端に吉田さんが声を荒げたがウェラーさんはおれを離そうとはしない。
「――うるさい」
 代わりに地を這うような低い声が室内を支配した。決して大きな声ではないそれは重圧的でだれもがなにも言えなくなる。
 ウェラーさんは片腕でおれを抱いたまま、床に転がるカバンの中身からひとつに手を伸ばした。
「……これ、防犯スプレーですよね。本当に付き合っているのならこんなものが転がっているとは思いませんが?」
 静かにウェラーさんが吉田さんに問う。
「それは、有利くんにちょっとした問題が起きていたからぼくがあげたんだよ。困ったときに使ってくれって」
「そう。これは身の危険を感じたときに使うもの。それがなぜ封が開いているのか。……すぐに察しがつく。いま、彼が危険だと思ったからだ」
 言いウェラーさんは缶を振る。
「肝心の中身が入ってないようです。ユーリを危険に晒したくないと言っていたのに、どうしてなかが空なんでしょうね」
「それは、」
「それはあなたが『ちょっとした問題』を引き起こしている人物でもあるから。ユーリがあなたを庇うのは脅迫されているからだ。……吉田さん、でしたっけ。勘違いしないでほしい。いま窮地に晒されているのはどちらかということを」
 静かに淡々と述べるウェラーさんのこえはマイクもないのにいたるところに反響していく。吉田さんの脅迫なんて比べものにならないくらいに圧迫感があり胸を締めつける。
「警察、みんなで行きましょうか。そこで真実をはっきりさせましょう。たとえユーリがあなたを庇い黙秘をしても、警察が真相を明らかにするでしょうから」
 吉田さんがウェラーさんが握りしめる防犯スプレーを見つめ、青白い表情をみせる。缶の中身を警察に調べられてしまえばおれが供述しなくても彼が犯した行為は明白になってしまうだろう。
「――警察には行きません」
 そうして静寂な雰囲気のなか、おれは言う。
「有利くん!」
 すると吉田さんは安堵したようにおれの名前を呼ぶ。しかしおれは吉田さんを庇うために言ったわけじゃない。これ以上、事を荒げたくないだけだ。
「……約束。吉田さんが破ったわけじゃないけど、これじゃ約束は無効でしょう」
「そんな……」
 おれは肩を抱くウェラーさんの手を離れ、吉田さんへと近づいていく。
「そんな、そんなのはいやだ……っ! せっかくきみを手に入れたのに!」
 ぶんぶんと首を横に振り、吉田さんが何度も「いやだ」と言う。
 もっとちゃんと吉田さんと向き合っていれば、こんな風に彼を傷つけることも、あんな行動もさせなかったのかもしれない。騙され脅されたことを許せたわけじゃないけど、必死におれを引きとめようとする吉田さんの目はほんとうにおれが好きだと告げている。
「警察に行って、いままでのことが明るみになったら、もう会えなっちゃうよ」
「おい、ユーリ! なにを言ってるんだ。まさかこれからもコイツに会うつもりなのか」
「うん。……吉田さんが会いたいって思ってくれるなら」
 自分はたしかにほかのひとと比べれば恋愛にたいして疎い。だけど、吉田さんの好意には気づいていた。
 おれは吉田さんの好意に入りこみ、甘えていたんだ。そんなおれが彼をこれ以上罰することなんて許されない。
「吉田さん、ごめんなさい。やっぱりおれはあなたとは付き合えない。だけど、許されるなら……友だちでいたいんです」
 ひどいことを言っているのはわかってる。
 自分の立場を吉田さんに置き換えてみれば、好きなのに振り向いてくれないのに『友だちでいよう』なんて。それならいっそきっぱり振ってくれたほうがいいのかもしれない。
「……ひどいことを言うね。有利くんは」
 やはり吉田さんもおれと同じことを思ったようだ。嘲笑的な笑みを向ける。
「わかってます。おれもそう思う。だけど、おれは吉田さんじゃないからどう考えてるのかわからない。……吉田さんにはすごくお世話になりました。あなたがいてよかったと思うこともたくさんあります。だからこそ、吉田さんに選択してほしいんです。絶対おれはいま以上の好意をあなたにもてない。でもまたはなせたらいいなっておもうそれはおれのわがままだ。おれは吉田さんが会いたくないって言うならそれに従います」
 言うと泣きそうに吉田さんは表情を歪めてなにかを言いかけたあとあきらめたように「きみはばかだね」とため息まじりに呟いた。
「なんでこんなにきみはやさしいんだろ。今後の選択は有利くんにあるのに。……ずるいよ。お友だちならいいとかそれでまたぼくにひどいことされるかもって思わないの?」
「思いませんよ」
 おれは矢次に返答をする。
「吉田さんは、やさしいから」
 彼はは目を見張って「あーあ……。これだから有利くんには叶わない。毒気を抜かれちゃうよ。きっとあのままきみを奪ってもぼくに有利くんは笑ってくれなかった」とくちにしヨザックへかおを向けると手を離してくれと言う。
「もう暴れたり、怒鳴ったりしない」
「……」
 ヨザックは信用ならないといった表情を浮かべながらもようやく吉田さんの拘束を解き、吉田さんは宣言通り暴れることなく自分の身なりを整える。
「……ぼくはきみが好きだ。さっきも言ったけど有利くんの笑うかおがなにより好き。その笑顔に救われてきた。いまは気持ちの整理がつかない。けど、落ち着いたらまた有利くんに、会いたい」
 なにかが吹っ切れたような吉田さんの表情におれは頷く。
「はい! 『KATHAEN』で待ってます。そのときはおれを指名してください」
 言うと、何度も吉田さんは頷いた。
「ばかなことをしてごめんね。それから……ありがとう。ぼくはもうすこしここで休んでから行くから、きみたちは帰ってくれ」
 そう言う吉田さんはやさしく笑っていて、おれは泣きそうになり、俯けばがしがしとヨザックに髪をかきまわされ舌うちをされた。
「……ほら、行くぞ」
「うん。あ、」
 肩にぱさりとなにかが、被せられる。それはウェラーさんの上着だった。
「行きましょう」
 いつのまにかおれの散らばったカバンと中身を回収してくれたらしい。ウェラーさんはおれのカバンを片手に持ち、目が合うと再びおれの肩を抱き寄せた。


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