■ 19

幸いなことに増田と遠藤の住む家はおれのいる街ではなく、偶然にも村田の駅周辺らしい。
 おれは薬局で目を冷やすために保冷剤を購入し、村田にそちらへ向かうことをメールで連絡したあと、電車に乗り込んだ。おれがいた駅と村田の待つ駅までの距離はそう遠くない。時間にすれば十分かかるか、かからないくらいの距離だが、音楽プレーヤーも読書する本もない。鞄のなかにあるのはウェラーさんが収録していた台本のみ。もちろん台本を読み返す気になど到底なれない。保冷剤をタオルで巻くと泣き顔を隠すようにうつむきそっと瞼にあてた。
 思った以上に目はすでにはれていたようだ。じわじわと保冷剤の冷たさが熱をいやしていくのがわかる。
 目をつぶると瞼の裏にさきほどのことが浮かび上がってくる。消そうにもそれは徐々に鮮明さを増してくるからたまったものではない。
 こんなにあたまのなかがぐちゃぐちゃになったのははじめてだ。どうにかして意識を切り替えようとしても気がつけばウェラーさんのことばかり考えてしまう。
 胸が痛くなるたびに、おれは何度も言い聞かせる。『付きあったとしてもおなじ。最終的には別れる』とか『初恋は実らないものだ』とはやく失恋をふっ切るために。けれど、そう自分に現実を突き付けるほど、胸の痛みは増すばかりで呼吸さえもままならない。

 ――そうして悶々と瞼の裏にはりついた映像を繰り返し何回も嫌々観たあと、ようやく村田の待つ駅のホームに降りた。
「おーい。渋谷ぁ」
 改札口で村田は待っていてくれたようだ。
 おれはすぐに改札を出ると携帯電話を取り出し、増田に電話をかけたがでないので、メールで到着したことを伝える。
「増田くんや遠藤くんに会えるの何年振りだろうね。ふたりともイケメンだし、あちこちひっぱりダコだから、もう会うことはないだろうなあって思ってたけど。まさか、渋谷と繋がってるなんておどろいた」
「いや、繋がってるって言っても増田や遠藤とはここ最近会ったばっかりだよ。っていうか、村田のくちぶりだと増田や遠藤の仕事知ってるかんじ?」
 手ぶらでおじゃまするのはあれだと、おれと村田は増田の返信を待ちながらなにか差し入れを駅地下で探すことにした。差し入れと言っても、酒のつまみだけど。適当に酒にあいそうな惣菜をいくつか買いこんでいく。
「知ってるもなにも、けっこう雑誌でも取り上げられてるよ。業界雑誌もそうだけど、スタイルも顔もいいからメンズファッション雑誌も載ってるし」
「え! そうなの?」
「そうだよ。はあ……まあ、渋谷が買う雑誌なんて野球関連か声優とかしかないもんね。もうちょっと女子力ならぬ男子力あげるためにメンズ雑誌でも読んでみれば?」
「うっ……精進します」
 痛いところを突かれて思わず、声を詰まらせる。もとよりファッションにさほど興味もこだわりがないことと、専門学校で先生に「下っ端はあまり目立つ服装をするな」という教えから、なるべく地味な色合いと系統のばかりを中心に購入していたので、メンズファッション誌コーナーで立ち止まったことなどあまりない。
「と、いうかそれよりも昨日、事務所に渋谷が呼ばれた理由ってなんだったの? オーディションとか?」
「いや、おれもそう思ってたんだけど……オーディションじゃなくて、ドラマCDの収録見学に行ってこいって言われたんだ。で、今日乙女系CDの収録におじゃましたんだ」
「ふぅん。SINMA事務所で見学に行くってことはフェアリーローズさんところの乙女系CDかな。ダミーヘッドマイクを使うからってまえに僕も同じようなこと言われた気がする。……ってことはあれか。今回の収録相手はウェラーさんだったんでしょ」
 疑問符をつけずに村田が確信を持った口調で言う。おどろいて村田のほうをみると彼はパックに入ったからあげの買い物かごにいれながら「じゃなきゃ、見学行っただけでそんな顔にはならないよ」と付け加えた。
「この間、はなしを聞いて渋谷的に色々と気持ちを整理してたんだと思ったんだけど……なんで泣きそうな顔してるわけ?」
「え、と……あの」
 村田の問いにことばを探していると人混みのなかで「渋谷」と名を呼ばれた。
「あれ? 遠藤」
 正面からこのまえと同じように変装をしたままこちらに手を振り遠藤がやってくる。
「僕もイベントのときは、あれぐらい変装したりすることあるけど、はたからみるとよく警察に捕まらないよなあって思うね」
「……そうだな」
 さらり、と遠回しにいま遠藤のことを変質者と言ったような気がしたがあえて聞かなかったふりをした。
「よお、渋谷! それから久しぶりだな、村田」
「うん、久しぶりだね。遠藤くん」
 軽く再会のあいさつをすませると、遠藤はおれと村田が手に持つ買い物袋に目をやる。
「それは?」
「ああ、手ぶらじゃあれかなって思ったから、宅飲み用にいくつかつまみを買ってたんだ。これぐらいでたりるかな?」
「なんかわりぃな。でも助かる。あ、でもおまえら声優なら酒飲むのはご法度じゃねえの?」
 遠藤が言うと村田は「それはそうだけど」と肩をすくめた。
「どこの世界も交流を深める席には酒があるのさ。まあ、飲まないのが一番いいのかもしれないけど、絶対に飲んじゃいけないわけじゃない。僕は飲みたいときは飲む」
「へえ、そんなもんなのか」
「そんなものさ」
 それからなんとなくおれは村田に言うタイミングを逃してしまい「まだ準備終わってねーけど、このまま行こうぜ」と両手の買い物袋いっぱいに酒を買いこんでいる遠藤のあとについて行くことにした。

* * *

増田と遠藤の住むマンションへおじゃますると、大皿に盛られた豪勢な料理がテーブルいっぱいにあふれて、空腹を感じていなかったはずなのに鼻孔をくすぐるおいしそうなにおいに腹がきゅる、とちいさく音をたてた。
「おじゃましまーす」
「どうぞ、あがってあがって。村田も久しぶり」
 久々の再会をなつかしむのもほどほどに飲み会がはじまった。
 もともとおれ自身は酒をあまり飲まないので、ウーロン茶ばかりを飲みながら、高校時代などの思い出はなしに花を咲かせ、恥ずかしい失敗談や怖い先輩のはなし。都市伝説とぱらぱらと花を咲かせていき、増田が電話口で言っていたように、遠藤は増田と付き合っていることを村田にカミングアウトした。
 さすが村田というべきなのか、村田はすこし気恥ずかしそうにしている増田と酒の飲み過ぎで出来上がっている遠藤を見て「高校時代から、もしかしたらふたりは……なんて思っていたよ」と驚くわけでもなく淡々と答えた。そんな村田に増田は目元を緩めて笑い、遠藤は遠藤で「じゃあ、なんで高校時代のときに教えてくれなかったんだ」と絡み酒になっているのかむちゃなことを言い、増田に怒られてひたすらに笑いあってどれぐらいが経っただろう。
 いくらでもはなしたいことはたくさんあるのに、ふと賑やかな部屋がしん、と静まりかえる。
 そこでやっとおれは酒の缶を手にとり、プルタブに指をかけた。
 それにたいしてどうしてだか、さんにんは『待ってた』と言わんばかりのやさしい笑顔をこちらに向けてくるから、おれはなんだか泣きそうになってしまう。
「あのさ……空気を読めないはなししてもいいかな?」
 言うと「身内の酒のみの席で気ぃつかうことねえだろ」と遠藤がぐしゃぐしゃとおれの髪を撫でつける。
「と、いうかオレとしては電話で渋谷とはなしたときからずっと気になってたからさ。落ち込んでたみたいだし……気が晴れたいいなって思ってたんだ」
「うん、僕も増田くんと同じ意見だ。あのね、渋谷。酒の席っていうのは上司にごまをするか、友人とグチを酒のつまみにしてはなす場だよ? 空気がどうとか関係ないの」
 村田は、チータラを食べつつチューハイの缶を「乾杯」と言っておれのもつビールの缶にあてた。
 おれはビールを一口飲んでから、ゆっくりとくちをひらいた。
「……増田と遠藤なら知ってると思うけど、おれの事務所にいるコンラート・ウェラーっていう売れっ子声優さんがいて、おれ、そのひとに告白されたんだ」
 増田と遠藤はやはり知っているみたいで、一瞬目を見張る。それに、同性に告白されたということにも驚いているのだろう。ふたりはここ最近の出来事を知らないので、おれは要点だけをかいつまんで説明をする。はじめてのドラマCDがボーイズラブで、音響監督にダメだしをされたときにウェラーさんにアドバイスとしてキスをされたこと。そのあと次回の台本の資料としてテーマパークに行き観覧車の天辺でキスをまたされて、その後告白されたことを。
 さて、ここからさきは村田にもまだ言っていない今日の出来事だ。
 はなしの合い間にちまちまとビールを飲んでいたためか、もうビールの量は半分ほどになっていた。いい感じに酔いもまわってきているらしい。あたまがほんのすこしぼんやりとする。
「――……で、今日はウェラーさんの収録を見学しに行ってトイレに入ったときなんだけど。ウェラーさんと音響監督がはなしてたんだ。いろいろと。もうなにをはなしてたのかよく思い出せないけど、恋愛のはなしをしてたのは覚えてる。で、たぶんおれのことなんだろうなっていうはなしをしててウェラーさんは言ったんだよね。『好きなひとはいました』って」
 酒のちからかべらべらとおしゃべりがとまらない。
「おれ……ちゃんと返事してないから勝手に保留にしてたんだ。ウェラーさんの返事。でもウェラーさんのそのことばを聞いてあのときのことでぐるぐるしてんのはおれだけなんだって気がついた。気がついて、でもどっちみち告白のときおれはブチ切れて逃げたんだからウェラーさんが振られたって解釈してもおかしくないし、引きずってなきゃいけないわけじゃない」
 数時間もまえのことだ。あのトイレの個室にいた自分がすぐによみがえってきた。じわじわと情けない自分のすがたが。それが滑稽でふしぎと笑いがこみあげてくる。
「その時点でもおれはウェラーさんのことが好きなのかよくわからなかったんだ……けど、収録の帰りみちで見ちゃったんだよね。女のひとと一緒にいるところ」
 言うと、村田が「マネージャーじゃないの?」と尋ねおれはよこに首をふる。「なら女友だちとか」と矢次に遠藤がいうがおれは同じようにまた首をふった。
「女友だちじゃないと思う。ウェラーさん、そのままジュエリーショップに行ったから」
 すると、増田がなにかを言いかけてくちを噤む。言うことばがみつからなかったのだろう。ジュエリーショップで、男と女がいればもうそれは言わずとも友だちとはいえない『関係』がある。かりに女友だちだとしても、その店に行く時点で、双方どちらかに気があるのはたしかだ。なんでもないひとに高価なものはプレゼントなどしない。恋愛に疎いおれでもそれくらいはわかる。
「……そこで、ウェラーさんときれいな女のひとは指輪をみてた。……なにか気になったものがあったんだろうな。ウェラーさんは、店員を呼ぶとジュエリーボックスから指輪を出してもらって、女のひとの左手をとって……おれは最後までみれなかった。そんときにさ、やっと気がついたんだ。告白されたときにすぐに返事ができなかったこと、ぐるぐる悩んでいたのは、ウェラーさんのことをいつのまにかおれ――好きになっちゃったからなんだって」
 いま思えば、ウェラーさんにされたことに自分はひとつだって嫌悪したことなどなかった。逆にどきどきしてしまったり、からだが熱くなってしまったりとしたそれは彼のことが好きだったからこそなのだろう。
「はなしたかったことはこれでおわり。……っていうか、失恋してから『好き』だって気がつくなんて、遅いよな。……ばかだなあ、おれって」
 無意識に笑いがこみ上げてちいさく笑うものの、おれ以外、笑うやつはいなかった。でも、シンと静まりかえる室内の空気が怖くて、おれは気づかないふりをして笑い続け、苦くてちっとも美味しいと思わないビール缶を空にしてテーブルに乱雑に置かれいるあたらしいビールに右手を伸ばすと、その手を増田にとられて、そのまま彼の胸のなかに顔をうずめてしまう。
「ますだ……?」
「つらいよなあ、恋するのって。なんでみんなが両想いになれないんだろうな。恋、しちゃうんだろうなあ」
 増田は高校生のときから遠藤に片思いをしていて、いまは両想いになれたけど、きっといろんなつらいことがあったのだと思う。そんな彼だからこそ、おれの気持ちが伝わってしまったのかもしれない。おれのあたまを抱きしめながら増田はちいさく啜り泣いていて、村田はおれの背後からぽんぽんとあたまをやさしくたたく。「つらかったね」とただ一言。そのたった一言があまりにもやさしくておれの涙腺は一気に崩壊してしまった。もうこれは確実にのちのち目が腫れるとかバイトに支障がでるだろうな、と思ったがそんなことはどうでもよくなった。
 いまはめいいっぱいばかみたいに泣きたい。
 おれは増田とわんわん泣きながら、遠藤の「なんだよ。おまえらは酒が入ると泣き上戸になるのか?」という冗談にちょっと笑いながら、あたらしいビール缶に手を伸ばした。
 はじめて恋をして、失恋をし大人になった自分へ向け、そしておれのはなしを最後まで聞いてくれた友だちに感謝をしてもう一度おれは天井にビール缶をかかげて「乾杯!」と言ったのだ。
 

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